一番にはなれない私達だから
太刀川るい
一番にはなれない私達だから
ドアの中は、全てがあの頃のままだった。
壁際の二段ベッドも、窓の傍の三人がけの机も、その上のペン立ても。時の魔法で時間を止めたみたいに、ひっそりとわたしたちの部屋はあった。
窓を開くと、懐かしい傷でいっぱいの窓枠に腰を掛けた。新緑の林を駆け抜ける風が、レースのカーテンをふんわりともちあげる。
柔らかい光が床の上をゆらゆらと揺れるのを見ていると、ふと、ドロシーとシャーロットの懐かしい声が聞こえてくるような気がして、わたしは微笑んだ。
あの頃はここが世界の全てだった。
ドロシーとシャーロットとわたしが出会ったのは、この部屋だった。
実家から持ってきた床に置くと、「こんにちは」と、鈴のような声がした。シャーロットだった。朝の光を
シャーロットは窓枠に腰掛けていて、その場所はすぐにわたしのお気に入りの場所になった。しばらく二人であたりさわりのない話をしていると、ドロシーが入ってきた。黒い魔女帽子に藍色のローブ。細い絹のような黒髪を手で払いながら、ドロシーは無表情でわたしたちを見つめると、むすっとした顔で「ドロシーよ。よろしく」と挨拶した。
「ねぇ、ドロシー。なんで最初にあんな無愛想だったの?」
「その……ちょっと緊張してたから……」ドロシーが頬を赤らめると、シャーロットはくすくすと笑った。
鉱石ライトの小さな灯りを囲んで、わたしたちは
魔法学校に入学してすぐに、あたしたちは親友になった。
シャーロットは良家のお嬢様で、遠いご先祖さまにエルフの血が入っているらしい。その話を聞いた時、わたしは納得した。シャーロットの可愛らしさはそう考えざるを得ないほど周囲から飛び抜けていて、並んで歩いていると、十人並みな自分の容姿がひどく残念に思えたものだ。
ドロシーは、勉強が出来た。誰よりも努力家で、でもそれを人には見せなかった。クラスでは、こんなのできて当然じゃない? という顔でなんでもこなすけれど、部屋では毎日欠かさず教科書のページを何度も何度も読み返していた。冷たくて無愛想に思えるけれど、話すととてもおもしろい娘だった。
ドロシーはシャーロットに対抗意識を燃やしていたけれど、シャーロットはいつも柔和な微笑みでそれを受け止めた。ドロシーとシャーロットはいつも首席を争っていた。クラスのみんなは二人をライバルだと思っていたけれど、ルームメイトのわたしからみれば、その実力には大きな差があったと思う。ドロシーが十回やってできるようになることを、シャーロットは一回で出来た。でもドロシーは十一回目をやる娘だったから、良い勝負をしているように見えただけなのだ。
わたしは、そんな二人を見ながら、自分も頑張らないと、と思うのだけれど、結局要領の悪さが足を引っ張って、遠く二人の背中を見ながら必死についていくしかなかった。二人にはずいぶん助けられた。出来ないことがあると、夜遅くまで付き合ってくれた。わたしが苦労の末にやっと魔法を成功させると、二人はわたしに抱きついてよろこんでくれた。
今思うと、不思議な取り合わせだったと思う。趣味も才能も性格もまるで違うのに、わたしたちはすぐになんでも話せる仲になった。多分、誰とでも別け隔てなく接するシャーロットの性格が良かったのだと思う。
家のこと、授業のこと、魔法のこと、将来のこと。
そして好きな人のこと。
いや、これは嘘だ。
結局本当に好きな人のことについて、わたしたちは誰も本音を隠していた。
卒業式の日、最後の公開競技があった。もちろん最後に残ったのはドロシーとシャーロットだった。二人の魔法は息を呑むほど美しく、審査員の先生方もしばらく判断に迷っているようだった。
結果が校長先生から告げられた瞬間を、わたしは今でもはっきりとおぼえている。
壇上に上がるシャーロットに拍手を送りながら、ドロシーは嗚咽をもらしていた。わたしは思わず胸がいっぱいになって、そっとドロシーの背に手を回した。
シャーロットはそのまま祝賀会にでて、わたしたちは先に部屋に帰った。荷造りした荷物の置き場所を変えていると、ふと、ドロシーがまた涙を流していた。
わたしはその涙を人差し指で拭うと、ドロシーを抱きしめた。
あれほどまでに輝かしく大切な時間は終わり、そして新しい世界に歩いていかなければならない。そんな当たり前のことが、とても残酷に感じられた。
シャーロットが結婚するという話はもう知っていた。相手はどこかの王子様だそうで、学園の皆はロマンチックな出会いだと、きゃあきゃあと噂したけれど、わたしはそのことを考えるだけで胸が苦しくなった。
きっと、それはドロシーも一緒だったのだと思う。
そのあと、どうしてそうなったのかは覚えていない。
わたしたちはベッドの上でお互いに絡み合いながらキスをした。わたしはメガネを外すと枕元に置いて、ぼんやりと霞むドロシーの顔を見た。ドロシーは目を閉じてわたしに身を任せていた。
シャーロット。とドロシーの唇が微かに動くのが見えた。胸の奥がきゅうっと苦しくなった。
お互い、何をやっているのかは解ってたし、自分の気持ちにも気がついていた。でもこの胸の痛みを止めるためには、お互いの体温が必要だった。
わたしはシャーロットの一番になりたかった。二番目では嫌だった。でもそれは叶わなかった。
ドロシーの髪の毛をそっと手ですくいとってキスをした。この髪が金色だったら良かったのにと思う。
それは、一番になれないわたしたちが、孤独に耐えかねて肌を重ねているだけで、愛と言うにはあまりにも自分本位的な、ただそれだけの行為だった。
しばらくして服を着ると、わたしとドロシーは何もなかったかのように振る舞った。シャーロットに幸せになってもらうのが、わたしたちの共通の願いだったし、最後の夜はいつものように三人で過ごしたかった。
シャーロットがかえってくると、わたしたちはまた三人で横になって寝た。手を握り合って、思い出を語り合って、いつもと同じ様にくすくすと笑って、それで最後の夜は過ぎていった。
荷物を片付けると、とたんに部屋が広く感じられた。部屋と一緒にわたしのこころも片付けられてしまったようだ。
わたしたちは一緒に部屋を出た。爽やかなそよ風が心を冷たく揺らした。
シャーロットは馬車に乗って去っていき、わたしたちはそれが小さくなって見えなくなるまで手を振り続けた。
あれから、一体何年経っただろう。あたまの中で年月を数えてその速さに思わずため息をつく。まるで昨日のことのように感じられるのに。
「エミリー?」突然ドアの辺りから声がした。
わたしは自分の目が信じられなかった。
間違いない。ドロシーだ。知的な顔も、絹のような黒髪も、あの頃と殆ど変わっていない。
「ドロシー! 一体どうしたの?」
「ここが取り壊されるって聞いて。あなたも?」
わたしはうなずいた。
ドロシーは懐かしさを込めた目線で部屋の中を見渡すと、ベッドに腰掛けた。
「今、なにをやっているの?」
「学校の先生。魔法のね」わたしが答えると、ドロシーは目を丸くして驚くと、顔をほころばせた。
「やったじゃない。まだ魔法やってたんだ」
「うん、わたし、覚えが悪いから。結局やめ時がみつからなくて」わたしが恥ずかしがって頬をかくと、ドロシーは微笑んで、
「でも、先生になれたんでしょ。私は……」といって寂しそうな顔をした。
わたしたちは空っぽの部屋の中で、またとりとめのない話をした。長い年月はあっという間に溶けていき、あの頃に戻ったみたいだった。
でも、ここに足りないものがある。それは二人共よく解っていた。
「シャーロットは……」ドロシーが言うと、わたしは首を振った。
「だめ。来られないよ」
「そっか」ドロシーはそんなことは解っていたよとでも言いたげな顔をした。
「でも、いいよ。これでいい。ドロシーに会えたし」わたしは大きく伸びをすると、窓枠から腰を下ろした。
一番になれなくても、わたしたちは生きていかなければならないのだ。誰かの二番目どまりでも、それを受け入れて、ただ必死に前に進むしか無い。
わたしたちは手紙を書いた。これが読まれないことは解っている。
机の引き出しの、シャーロットがいつも大切なものを入れていた隠し場所にそれを入れて、静かに閉めた。
また、風が吹いて、カーテンが揺れる。穏やかな日差しが部屋の中を柔らかく照らし出した。
一番にはなれない私達だから 太刀川るい @R_tachigawa
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