紅月の残照

kanegon

紅月の残照

「ご主人さま、月がきれいですね」

「……そうだな。満月、かな? こんな夜中に月を眺めているのなんて、俺たちくらいのものだろうけど」

「たぶん満月は明日だと思います。それにしてもご主人さま、戦争が終わって良かったですね」

「……それは皮肉か?」

「いいえ、とんでもない。戦争が終わって良かったのは事実じゃないですか。これ以上、人間同士の殺し合いによって死者が出なくて済みますよ」

「正式に終わったのではなく、厳密に言えば休戦でしかない。それですらもう遅きに失した感もあるがな。どこの都市へ行ってもすっかり荒廃してしまっている。教会には神の救いを求める難民と病人が溢れかえっていて、司祭も困り果てている。ネズミも増えている。こういう状態になってなお、領主たちは戦争をやめようとしないのだからな。説得も一苦労だ」

「それでも、ご主人さまの威厳のあるお姿を見て、領主たちはみんな、最終的には説得に応じてくれているんですよね?」

「まあ確かに説得にあたっては、木の杖を振りかざして芝居がかった大袈裟な身振りをして演出しているのは事実だな。こんな状況なのにもかかわらず戦争を続けて更に領民が減ったりしたら困ることくらい、ちょっと考えれば分かるだろうに。何が騎士の誇りだか」

「ご主人さまの威厳があれば、説得というよりは脅迫といった方が効果がありそうですよね」

「この際、平和的な説得だろうが、強硬な恫喝だろうが、なんでもいい。結果が大事だ。そうしないと休戦にもならなければ、俺への報酬も払われないし」

「ご主人さま。報酬って、きちんと払ってもらえているんですか? 出し渋る領主はいないんですか?」

「そんなの、出し渋る領主だけしかいないわ。でも出すものは出してもらわないと、こっちだって活動資金が無くなってしまうと、交易商人から燃料の油や薬草などの必要な物資が買えなくなってしまう。物資が買えなければ、その時点で何も活動ができなくなるだろう。そうなると、領主だって困るだろうからな。戦争が休戦になったからといったって、この窮状が終わったわけじゃないからな。むしろ、これからどう立て直して復興して行くかが問題だ」

「……そうですね。戦争が終わったからこそ、これからが本番ですよね」

「ああ。状況が落ち着いたら、東の森の開墾も再開されるだろうな。街道の整備と新規交易路の開拓だけでなく、更なる農地の拡大も必要だと、領主は言っていた」

「でも東の森って、人間でありながら満月も魔力を浴びて尻尾とか耳とかに狼の特徴が顕現してしまった人狼がいる、という迷信があって、禁忌の森として恐れられていますよね? それで開墾が進むのでしょうか?」

「そういう迷信も、根拠無く広まるものじゃないと俺は思うぞ。人狼はともかく、東の森には狼が住んでいて下手に迷い込んだら食い殺されてしまうのは事実だからな。そういう恐怖が人狼伝説という形に変貌して伝わっているんだろう」

「……そうですね。月って、あんなに妖しく赤く輝いていて、そういう魔力が働いても不思議じゃないですよね」

「ああ。月の魔力が人間を狂わせるから、陰惨な戦争が起きるのかもしれないな」

「でも、その戦争もようやく終わって、これから復興に向かっていくのですね。……ご主人さま、わたしは、これまでご主人さまのお役に立ててきましたでしょうか?」

「もちろんだ。役に立たなければ契約解除するしか無いからな」

「ありがとうございます! わたし、ご主人さまのお役に立てて、良かったです」

「ああ、使い魔であるお前が頑張ってくれて助かっているよ。今夜もたくさんネズミを狩ることができた」

「わたし、フクロウですから。闇夜の中を音も無く飛んで、ネズミを捕まえるのは得意です」

「これからも頼りにしているよ」

「……それはそうと、それに人々の病気を癒すご主人さまは最近は『フクロウの聖人』って呼ばれるようになってきているようですよね」

「フクロウであるお前を使い魔として使役しているからだろうな。だけど……何が聖人だか。俺だって別に好きでこんなことをやっているわけじゃない。黒死病をこのまま放置して大流行したら完全に世の中が荒廃してしまって、俺だって生きにくく不便になってしまうから、それを未然に防ぐために否応なしにやっているんだ」

「黒死病、早く根絶できるといいですね」

「ああ。実のところ、感染力の強さはそこまでではないのではないか、とも最近は思われているようだな。もし感染力が強かったら、とっくに人間は絶滅しているんじゃないかと、教会の司祭も言っていた。問題は、感染力の強さよりも、広範囲への拡散の早さらしい。各地方の領主によって街道が整備されたことによって遠方との交易も盛んになったが、それにより他の地方の領主との利害衝突も発生して戦争の原因になって。さらには交通の利便性が黒死病のような流行病の拡散に繋がっていると言われ始めているようだ。皮肉なものだな」

「ネズミによって流行が拡散されているんですよね?」

「どうやら黒死病は本来はネズミの病気で、それが人間にも感染している、らしいぞ。まだまだ分からないことだらけだ」

「これからまだまだ、ご主人さまのご活躍の機会はあるということですね。わたしがご一緒できないのが残念です」

「え? ご一緒できない? 何を言っている?」

「ご主人さまとは、今夜限りでお別れさせていただきます。今までお世話になりました。私は東の森に入って、もう戻ってきませんので」

「おい待て。戻ってこないなんて、そんな勝手は認めないぞ。使い魔であるからには俺の命令には逆らえないはずだ」

「残念ですがそのご命令は無効です。何故なら、わたしはもう既に死んでいるからです」

「なんだって?」

「黒死病はネズミから人間にだけに感染する病気ではなかったということです。感染拡大を防ぐためのネズミ狩りで、わたしも感染してしまったようです」

「そ……そんな。フクロウにも感染すると分かっていたら、お前にネズミ狩りなどさせなかったのに……」

「それは分からなかったのだから仕方ありません。ご主人様がご自分を責める必要はありませんから。だから、これでさよならです。……あ、ご主人様が『フクロウの聖人』と呼ばれるのは、フクロウであるわたしを使い魔として使役しているからじゃなくて、感染防止のためにフクロウのような仮面を被っているからだと思いますよ。わたし、フクロウですけど、その仮面を被っているご主人さまがフクロウの同族に見えて、格好良くて好きでした」

「あ、待て! 戻ってこい! ……って、本当にもう命令が効かないのか! なんてことだ……こんなことになるなら、あらかじめ言っておけば良かったな。感染防止のためにこの嘴の付いた仮面を被ってはいるけど、俺自身、人狼ならぬ人フクロウなんだ。人であると同時にフクロウの特徴と感性を備えているんだ。お前のこと、好きだったよ!」

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