お喋り上司とスナイパー

シン

第1話

《アリス。アリス。少佐より入電だぞ》


 じっと伏せたままスコープを覗き込む私の耳に、可愛らしい子供のような声が響いた。

 舌ったらずで偉そうなアニメ声の通達から間を置かず、ポンという軽い電子音と共に通信ノイズが入る。


『やぁアリス。ご機嫌いかがかな?』

「……」

『天気はどうだ? あぁ何も言うな。お前さんの考えてる事は分かってる。今日はクソッタレ野郎の尻の穴に鉛弾なまりだまをぶちこむのにぴったりな陽気、だろ? クソッタレ野郎のクソッタレ人生最良の記念すべき日だ。ド派手にパーティーといこうじゃないか』

「……」

『うんうん。お前さんもそう思うか。奴らは今日も思い知ることになる。たとえ賄賂で証人を黙らせたとしても、すべての悪事は白日の元に晒され、悪人には等しく裁きが下る、とな』

「……」

『アハハハ。睨むな睨むな。美人が台無しだぞ? 可愛いお嬢さん』

《アリス可愛い。少佐は話が分かる》

「……」


 あまりにも軽い、緊張感の無い声音。

 可愛いというワードに追従する電子観測手スポットナビの電子音声さえも鬱陶しい。

 ばれないように小さく溜め息を吐いて、私は手にした相棒、狙撃銃のスコープを覗き込むことに意識を集中させた。


『……お、どうしたアリス? 怒ったか? ん?』

「別に……。仕事があるのでお喋りなら後で」

『おいおい連れないなぁ。お前さんが苛立ってるのは知ってるよ。俺の予想だとあと三日で生理が来るからな。次の支給品には高級ナプキンを加えてやるから安心しろ。厚手で漏れないやつだ』

「……ピット。通信閉じて」

《出来ないぞ。少佐の通信権限の方が上だぞ》

「……知ってる」

 

 この裏切り者。と心の中で吐き捨てる。

 傍らに配置されアンテナを伸ばす電子観測手スポットナビのピットも、手にして覗き込む狙撃銃スナイパーライフルも、全てこの品の無いセクハラを冗談ジョークだと信じて口走る男、少佐の手配した持ち物だ。この仕事が終われば高級ナプキンだって言葉通りに届けられるだろう。


『アハハ。可愛いアリス。そうカリカリするな。ちょっとした冗談じゃないか』

「ちょっとした冗談で私が標的を撃ち漏らしたら、困るのは少佐だと思うけど」

『おおっとそいつは困る。大いに困るな。標的をここで逃がすわけにはいかない。一ヶ月もかけて足取りを追ってたんだぞ。逃げられたとしたら俺が大目玉をくらって減給だ。俺はおまんま食えなくなっちまうし、お前さんの高級ナプキンだってボソボソした粗悪品に変わっちまう。そいつは嫌だろ?』

「……」


 確かに嫌だが。

 それよりも問題がある。

 私はスコープから視線を外し、周囲を……高層ビルの屋上を見回した。


「ピット。周囲のスキャン」

《やってるぞ。異常無しだぞ》

『アリス。アリス。たまには俺のジョークに笑え。まったくお前は昔から無口で無愛想で……』

「少佐。予定時間を過ぎても標的が現れない。情報は正確?」

《少佐。予定時間を一分十五秒超過してるぞ》

『あぁーそれを伝えに来たんだよ。標的は遅刻だ。受付のかわいこちゃんに金を握らせてハッスルしてからの重役出勤たぁ恐れ入る。だがまぁ、少ししか遅れてないところを見るに、勤労な早漏野郎だな』

「……」

『ん、ごほん。いや、正直言うと羨ましい。美人の受付嬢に、クーラーのよく効いたオフィス。俺も椅子を尻で磨くだけの内地勤務に変わりたいもんだ。そしたらお前に毎日嫌というほど濃いコーヒーを淹れさせてやる。経費の無駄遣いのコピー業務もあるぞ』

「……ピット。情報更新。通知して」

《了解だぞ。情報更新。標的は十二分後に予定地点に到着するぞ。待機指示だぞ》

「……了解」


 短く返した私は地に伏せたままスコープを覗き込む。情報によれば今回の標的は陣取ったビルの向かいに位置する高層ビルの執務室へと現れるはずだ。執務室では当初の時間通りに会議が始まり、一つは空席。


《目標距離520メートル。今は気温差で下からビル風が吹いてるぞ。照準を垂直に二度調整。弾道予測……》

 

 私は銃口を少しだけずらし、空っぽの豪華な革張りの椅子へと狙いを定めた。電子観測手スポットナビのピットから告げられる気象観測情報を聞き流しながら、じっと待つ。

 大丈夫。この距離なら外さない。


 指示された標的の狙撃、射殺。それが私の仕事。

 今日も今日とて少佐の指示で、電子観測手スポットナビの相棒、ピットを従え、私の小柄な身体に合わせてカスタムされた狙撃銃スナイパーライフルを手に、世のクソッタレどもに鉛弾をご馳走してやる、いい仕事だ。払いも十分。

 ただひとつ欠点を上げるとすれば……。


『あと11分39秒そうやってじっとしてるつもりか? 芋虫みたいだぞ。後で衛星写真で可愛い尻を撮って送ってやる。あぁーしかし、その狙撃ポイントを作るのには苦労したんだ。ビル壁面の強化防弾ガラスの1枚だけを非強化プラスチックに張り替えさせたんだからな。今日のためにどれだけ金を積んだことか。おかげで俺の稼ぎは雀の涙だ。クソッ』

「……」

『俺が標的みたいな金持ちだったらなぁ。最新の装備、最高の環境でお前に仕事をさせてやれるのに。むふふ。ダンディな俺様は本部の高層ビルのオフィス勤務だ。仕事終わりに美人秘書と芳醇なワインとチーズで乾杯、か。悪くない。あ、お前にはまだ酒は早いからダメだぞ。オレンジジュースをくれてやる。うん。俺の出世と美人秘書ちゃんはお前さんの活躍に掛かってるんだからな。ケツの穴絞めて気張れよ』

《頑張れアリス。頑張れアリス》

「……」


 一つだけ欠点を挙げるとすれば、上司がとんでもなく下品で、加えて呆れるほどにお喋りだということだ。

 

「仕事の邪魔なんで黙ってください」

『まぁそうカリカリするなよ。今回の標的はとんだクソ野郎でな。新薬開発の人体実験に発展途上国の子供を使ってやがるんだよ。聞いたか? 子供を買ってきては適当に調合した薬打ってやがるんだぞクソが。子供をだぞ? 政府は外貨獲得のために黙認してやがったし、国連は知らぬ存ぜぬだ。世も末だね。一縷の望みを掛けてユニ○フと○十字に募金したが、何も変わらなかった。俺は遂に堪忍袋の緒が切れたね。だから正義の鉄槌を下すことにした。ホワイトハウスの公式TwitterアカウントにDMしたんだ。そしたらどうなったと思う? ブロックだよクソッタレ。【特定の人物、企業、文明、政府、文化を根拠なく否定または誹謗中傷する行為は名誉ある国民の成すことではない】と返信された5秒後にだ。さすがは我らのマイホームは言うことが違うなと思ったね。可哀想な俺は言い返す事も許されないらしい。その日は帰って糞して寝たよ。良い形のブツが出たが、涙は出なかった……たぶん。だがな、朝起きたら俺は愛国心を燃料にして動く殺戮マシーンへ変身していた……。アイアン・パトリオットだ。映画見たか? とにかくあんな格好いい存在だ。やはり正義の鉄槌は自ら下さないとやり切った感じがしないだろ? だがな……悪党の妨害か、俺には仕事が山積みだった。とてもピザの配達バイトを続けながらヴィランを退治するスパイダー・ボウイにはなれそうにない。そこでお前の出番だ。俺が正義のスーパーヒーローなら、お前は相棒。サイドキックみたいなもんだからな。今はなんでもシェアする時代だろう?』

「少佐の仕事が山積みなのは、こうやって無駄話をしているからだと思いますが」

『無駄とはなんだ無駄とは。標的に対する怒りを込めた一撃こそ、悪党を葬り去るに相応しいものじゃないか。怒りで覚醒するんだよアリス。いやスーパーアリス!』

「勝手にスーパーにしないでください……」

《怒りで覚醒するパターンは少年向けコミックで使い古された手法だぞ。だいたいは親しい者の死や何らかの喪失によるものだぞ》

『なに……そうか。俺の事じゃないか』

「少佐がいなくなっても、私はいつも通り仕事をするだけです。ご心配なく」

『な、なんてドライなやつだ……。けっ。仕事場に出勤してトリガーを引く。楽でいいよなぁ。よくやった。すごいぜ。クールに決めたな。誉められるのはいつもお前。その影で準備をして、こそこそと動く俺はネズミを見るような目を向けられるんだ。ほら見ろ、今だって働くお前のためを思って激励を送っているのに、奴らの顔ときたらどうだ。ホットケーキに砂糖と間違えて塩を入れた事に食った時気がついたような顔だ。写真で送ってやりたいくらいだよ』

《ホットケーキ一人前3枚分の砂糖の分量は40gだぞ。ふんわり厚めに仕上げたい時は牛乳を減らす事を推奨するぞ》

『誰がホットケーキの情報を聞いたんだ。このお喋りポンコツ機械め。少しは有益な情報を出してみろってんだ』

「……」

《イエッサー。標的に関する情報の開示は秘匿事項048に抵触するぞ。この会話は作戦終了後に作戦部へ開示されるから、弁解の準備を進めておいた方がいいぞ》

『……なるほど。ピット君。君は優秀な電子観測手スポットナビ、そうだろ? つまりは記録の改竄など朝飯前というわけだ。いやいや、改竄などしなくても、通信状態によって雑音が入るのはよくあることだろう? 俺が何を言いたいか、分かるな?』

《イエッサー。作戦行動中に磁気または天候の影響で一部通信機器の状態にイエロー・アラート。任務遂行に支障なし》

『よろしい。優秀な部下に囲まれて俺は幸せだよ』

《ありがとうございます、だぞ。あと履歴を見ると少佐の募金した10ドルはウガンダで働く子供のための井戸を掘る資金に使われているぞ》

「……10ドルしか募金してないんですか」

『俺はカード派だから現金は持たないんだよ。しかし、そうか……そうなのか。やるじゃないかユニ○フ。どこだウガンダ』

《Wikiped○aによるとウガンダ共和国、通称ウガンダは東アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国だぞ。東にケニア、南にタンザニア、南西にルワンダ、西にコンゴ民主共和国、北に南スーダンとの国境に囲まれた内陸国で、首都はカンパラ》

『なるほどわからん。しかし、ふむ……クソッタレ政府とクソッタレ企業の早漏守銭奴のおかげで恵まれていない子供たちのために掘る井戸か。あとでもう10ドル募金しておこう。名義は『イケメン足長おじさま』だ。二枚目に加工した顔写真付きでな』

《了解だぞ。顔を秘匿するのは良いアイデアだぞ。加工サンプルを情報処理班に通達》

『おいおいなんでモザイク処理をかける。やめろ。顔を細くして鼻を高くして目元をキリッとさせてだな……』

《少佐。0に何を掛けても答えは0だぞ》

『口の減らないクソロボット野郎だ。スクラップにしてやろうか』 

「はぁ……」


 いつも通りの仕事。いつも通りの待ち時間。

 いつものお喋り声に、いつもの相棒たち。

 私は愚痴を吐く代わりにため息をつき、狙撃任務遂行を妨害しようと画策する少佐の無駄話を聞き流し、残り10分を耐え……。


「……くたばれF※ck you


 そうしてトリガーを引き、高級ナプキンを手に入れるのだ。


《着弾。生体反応バイタルスキャン……ターゲットの殺害を確認。任務完了だぞ》

『……アリス、なんて汚い言葉遣いだ。どこで教育を間違えた。俺は悲しいよ……。悪い友達とでも遊んでるのか? あぁ、訓練学校のクソ教官のせいか? あの新人イビりしか脳のないサイコ野郎め。苦情付けて減給させてやる。ピット、Twitterでハッシュタグ付けてあることないこと拡散しとけ。画像つきで炎上させてやる……奴のあだ名をインポの微笑みデブに仕立て上げてやる……ご近所を出歩けないようにしてやるから覚悟しろよ……』

「……はぁ」


 口が悪いのは、あなた譲りですよ。

 少佐。

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