キカイのコトダマ

一飛 由

機械の言霊

「奈緒、忘れ物はありませんか?」

 すぐ後ろから聞こえてくる声を無視して、私は玄関へと続く廊下を足早に進む。

 声の主はわかっている。

 我が家の家事を担うアンドロイド、ケイトだ。

「奈緒、今日の夕飯について、希望はありますか?」

 こちらの心中など全然察する様子もなく、ケイトは別の質問を投げかけてくる。

 でも、それは無駄なことだ。

 意地でも答えたりするもんか。

 無視を決め込んだ私は玄関までたどりつくと、焦げ茶色をした通学用の靴に足先を詰め込む。

 サンダルをつっかけるように靴を履いたら、後は扉を開けるだけだ。

 そうすればケイトはもう追ってこない。

 私にとっての、何にも縛られない、自由な時間の登場だ。

「いってらっしゃい、奈緒」

 見送りに出たのであろうケイトの言葉に、後ろ手に閉めた扉で蓋をする。

 そこでようやく、私は安堵の息を吐いた。

 視界いっぱいに晴れ渡った空。

 ほのかに匂う春の息吹。

 少しの肌寒さと、呑気にさえずる小鳥の歌声。

 何気ない、学生にとっては退屈にさえ感じる、平穏な日常の風景。

 それなのに、私の心は鈍色の楔を打ち込まれているかのように重く、沈んでいた。

「何が、いってらっしゃい、よ……」

 無意識に歯を食いしばる。

 どうしてアイツが家族ヅラしてるのよ。

 人間じゃないくせに。

 ロボットのくせに、アンドロイドのくせに。

 心なんてないくせに。

 どうして私の人生に割り込んできてるのよ……。

 瞬間、私を慰めるように春風が優しく頬をかすめた。

 そうだ、早く学校に行かないと。

 学校に行けば友達もいる。

 家のことを考えなくても済む。

「――よし、行こう」

 私は足の親指に力を込めて、登校の第一歩を踏み出した。



 ケイトが私の家にやってきたのは数か月ほど前のことだった。

 購入を決めたのは父さんだった。

 交通事故で母さんがいなくなって塞ぎこんでいた私に、寂しくないようにとの気遣いかららしい。

 でも、私はそんなの望んでなかった。

 ケイトというのはデフォルトの名前だ。

 黒髪のショートヘアが妙にしっくりくる、美少女だった。

 年齢的に私と同じか、少し年上くらいの、目鼻の整った綺麗な顔立ちで、スタイルもそこそこ良い。

 完全に私の上位互換だった。

 父さんは好きに名前を付けていいと言ったが、私はそれを拒んだ。

 名前を付けたら、家族として認めてしまうような気がして……。

 ケイトという名前は、私なりのささやかな抵抗の証だった。

 今の時代、アンドロイドを家族として受け入れる家は珍しくない。

 中には家族としてでなく、家事の補助と割り切って取り入れている家もある。

 実際、ケイトは家事もきちんとこなしているし、それで父さんの負担が減っているのは知っていた。

 だけど、だからといって、家族として受け入れられるかというと、それは別問題だ。

 私にとっての家族は父さんと母さんだけだ。

 突然やってきた機械人形に居場所などあるわけがない。

 あっていいわけがない。

 父さんはどうか知らないけど、少なくとも私はそう考えている。

 だからケイトが何を言っても答えないし、こちらから話しかけることもない。

 どうせ相手は機械なのだ。

 こちらがどんな対応をしようと、何も感じない。

 AIが判断した、こちらが満足するであろう行動を繰り返すだけだ。

 語り掛けてくるどんな言葉も、いってらっしゃいの声も、心などないのだ。

 毎日母さんが送り出す時に掛けてくれた言葉とは違うのだ。

 そう、母さんとは、違うんだ……。



「あっ、定期っ!」

 駅までもうすぐというところまで来て、定期券を忘れてきたことに気付く。

 今から帰れば次の電車には乗れそうだが、その労力を考えると笑えない。

 ついさっき渡った横断歩道は待ち時間がすごく長いのに。

 それに、またあの家の敷居をまたがなければならないのだ。

 そう思うと怒りを通り越して憂鬱だ。

 あぁ、もうっ!

 これも全部、あのアンドロイドのせいだ。

 忘れ物は自分のせいだとわかってはいたが、今の私にはそれを認められるだけの心の余裕なんてない。

 今現在、自分が感じている不平不満のすべてを、とにかくケイトにぶつけたかった。

「……もう、最悪」

 悪態をつきながら、私は踵を返す。

 瞬間、歩いてきた方向に、一番見たくない顔が見えた。

 人間っぽく小走りで、手には私の定期券を持って。

 奥歯がギリッと音を立てたような気がした。

 きっと今の私は、露骨に嫌な顔をしているのだろう。

 だけど、こうなってしまっては仕方ない。

 私は溜息を吐きながら、来た道を戻る。

 横断歩道を渡り、ケイトの元へ向かう。

 ケイトもこちらに気付いたのだろう、いつもの笑顔でこちらへ駆け寄ってくる。

 もうすぐ信号が変わるだろうけど、これなら定期を受け取れば赤信号になる前に戻れるかもしれない。

 そんなことを思いながら歩く速度を落としたその時だった。

 点滅を始める歩行者用信号機。

 いつの間にか笑顔じゃなくなったケイト。

 そして、今まで聞いたことのないような、緊迫した声。

「奈緒、下がってください!」

「――えっ?」

 まったく予期していなかったケイトの言葉に、思考がフリーズする。

 それと同時に、自動車のクラクションが津波のように横から押し寄せてきた。

 迫ってくる鉄の壁。

 ぶつかったなら、まず命はないだろう。

 そんな局面に出くわしたのに、不思議と私は恐怖を感じなかった。

 驚き。

 戸惑い。

 母さんもこんな気持ちだったのかな?

 そんなことを思いながら……。

「母さん、私も――」

 全てを諦めて、受け入れて、目を閉じようとした、その時だった。

「――奈緒っ!」

 何かに突き飛ばされる感覚。

 視界いっぱいに空が広がる。

 そして背中に感じる重い衝撃。

 タイヤがアスファルトに擦れる、嫌な高音。

 次いで、硬い物同士がぶつかり、砕ける音が耳に入ってきた。

 一体何が起こったのだろう?

 痛む身体をやっとの思いで起こしながら、さっきまで自分が居た場所へと目をやる。

 そこにあったのは、原型を留めていないケイトの無残な姿だった。

 手足はねじ曲がり、胴体の一部は内側の機構部がむき出し。

 小さな機械部品が無数に飛び散って、歪な光の庭園を造り出している。

 そんな中、幸か不幸かケイトの頭だけは傷一つなくて、それが皮肉にも余計に悲壮感を引き立たせていた。

 正直、言葉が出なかった。

 いなくなれと思ったことは何度もあった。

 でも、こんな形での別れなんて、望んではいなかった。

 あまりのショックで動けなくなっている私に、ケイトはその綺麗な頭だけを向けて、いつもの、あの笑顔を浮かべる。

「奈緒、無事でしたか?」

 その言葉に、私の心は強いざわめきを覚えた。

 どうして?

 ケイトの言葉は、心なんてないはずなのに。

 プログラムで選ばれた言葉を発しているだけのはずなのに。

 人間とは違うはずなのに。

 ――どうして、私の心はこんなにも、悲しんでいるのだろう。

 わからない。

 わからないのに、私の身体は強く震えて、両目からは涙があふれてくる。

 その日、私の心は最後まで安らぐことはなかった。



「いけないっ、遅刻しちゃうっ!」

 慌ただしく自室の扉を開けて、私は玄関へと急ぐ。

 最低限のメイクに真新しいスーツ。

 左右の手には仕事で使う資料が入ったバッグと、朝食代わりの菓子パンの袋。

 ケイトが大破したあの事件から、もう数年の月日が経っていた。

 当時は多感な時期ということもあって、少なからずショックを受けたのは間違いない。

 それでも、こうして今無事に立ち直り、就職ができたのも、私を支えてくれた家族のおかげだ。

「――奈緒、忘れ物はありませんか?」

 あの頃と同じ、聞き慣れた声が私の背後から聞こえてくる。

 一秒でも惜しい朝の時間だけど、私は足を止めて声の主を振り返る。

 そこに居たのは、あの頃のままの姿をしたケイトが、あの頃の笑顔を浮かべてそこに立っていた。

 父さんの話では、あれだけの大事故だったにもかかわらず、記憶を司るメモリー部は奇跡的に無傷で、胴体部の修理だけで済んだそうだ。

 私はケイトの顔をまっすぐに見据えて、答える。

「うん、大丈夫」

「そうですか。では、今日の夕飯について、希望はありますか?」

 こちらの気も知らず、ケイトはいつもの顔でいつもの言葉を返してくる。

 何度も繰り返した日常のやりとり。

 以前はうざったいばかりの言葉だったけど、今は違う。

「……ビーフシチューがいいな。それじゃあ、いってきます」

 自分の希望を伝え、玄関の扉に手を掛ける。

「わかりました。では、いってらっしゃい、奈緒」

 扉を閉める間際、ケイトが穏やかな微笑みを浮かべながら、小さく手を振っているのが見えた。



 扉一枚を隔てただけなのに、全身に感じる空気感は新鮮で陽光の温かさが心の奥まで照らし、癒してくれるようだった。

 その陽気に導かれるように、私の足は軽やかに動き出す。

 緊張と不安を上塗りするように、心の内から笑みが浮き出てくるのが自分でもわかった。

 これは、あの頃の私なら考えられないことだ。

 学生時代に遭遇したあの交通事故で、私は変わった。

 プログラムだから愛がこもってないだとか、肉声だから心がこもってるだとか、そんなの関係ない。

 心無い言葉を吐く人間もいれば、心を満たしてくれる言葉をくれるアンドロイドもいる。

 結局のところ、愛のある言葉っていうのは、受け取る側の気持ち次第なのだ。

 だから、私はこれからもきっと、頑張っていける。

 愛のある言葉で支えてくれる存在が、私にはいるから。

 ……そうだよね、母さん。

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