相生と阿

赤眼鏡の小説家先生

僕が彼女に勝つ唯一の方法。

 これは僕がまだ高校生だった頃の話だ。

 だが、その話をする前に、まずは自己紹介をさせて欲しい。なぜなら僕の名前が、この物語に大きく関係しているからである。


 僕の名前––––というか、苗字は『相生あいおい』という。

 聞いた話では地名性らしい。相生市という

市があるらしい。まあ僕は、その市が日本のどこにあるのかなんて知らないし、そもそもそんなことに興味はない。

 大事なのは、相生という苗字である。


 相生。あいおい。

 まず間違いなく、名前の順ではトップになる苗字である。

 名前の順最強である『あ』の次に『い』が来る。さらにその次は『お』であり、最後はまたまた『い』である。苗字の全ての文字が『あいうえお』の文字で構成されている。

 まさに、名前の順で一番を取るためだけの為に生まれた苗字である。


 なので僕は小学校の頃も、中学の頃も名前の順では常に一番だったし、父さんと父さんの妹さんも、当然のように名前の順ではいつも一番だったらしい。

 だから親戚で集まりお酒が入ると、必ず名前の順で『相生』は最強だ! という話題になる。


 なのに。

 なのにだ。


 高校生になった僕を待ち受けていたのは、『』という苗字をもつ女生徒だった。

 阿という一文字であり、しかも名前の順最強である『あ』から始まる名前。

 その名前を持つ彼女は、新学期早々の席順で僕の定位置である右上入り口付近の席に我が物顔で座っていた。


 僕はそれを見て驚愕した。最強だと思っていた『相生』が負けたのが信じられなかった。今まで一番であったはずの自分の苗字が、負けて二番目になったのが信じられなかった。

 変えようのない敗北、絶対的な敗北。


 最早これは、相生家始まって以来の恥である。


 しかも最悪な事に、僕と彼女は三年間同じクラスであった。

 新学期が始まるたびに彼女は、僕の前の席に座り、僕はその後ろに座るという屈辱を三年間も味わう事になった。

 前からプリントが回って来るたびに、彼女から『私の勝ち』という無言の勝利宣言を毎回され(あくまで僕の想像だけれど)、新しいクラスになるたびに、昇降口に貼られたクラス分け表を見て、自分の名前が二番目に記載されているのを見る羽目なり、もちろん毎朝出席を取る時にも、僕の名前は彼女の次に呼ばれたし、席替えをして離れたとしても、テストのたびに彼女は僕の前に立ちはだかった。

 唯一、体育館で並ぶ時だけは男女別に並ぶので僕らは隣同士になったけれど、あくまで隣同士であり同点である。


 だから、僕が彼女の事を意識するのは必然だったし、彼女からしても、毎回同じクラスで、席も毎回後ろの僕の名前を覚えるのも必然だったとは思う。


 それに『阿』という名前は呼びづらいものだったので、僕が彼女の事を下の名前で呼ぶのも必然だったと思う。

 まあ、これは敗北を認めたくないからかもしれないけど。

 現に先生や、クラスの女子とかは彼女の事を『あ↑さん↓』みたいなイントネーションで呼んでおり、定着していた。もしくは『あーちゃん』みたいな感じで、親しいあだ名で呼ばれることもあった。


 まあ僕は、絶対に彼女の事は苗字で呼ばなかったけどね。先程も言ったけれど、悔しかったからだ。


 そして、ある日彼女からその事を尋ねられた。まあ、ある日というか––––卒業式の日なのだけれど。


「君はどうして私のことを下の名前で呼ぶのかなっ?」


 僕はとても悩んだ。素直に「名前の順で負けたのが悔しかったから」なんて答えたら、子供ぽいと馬鹿にされるかもしれないと考えた。

 なので、違うことを答えた。


「そりゃ、僕と君は三年間同じクラスだっし、席も近くて、仲もそれなりにいいから、そう呼んでたって、別に不思議でもなんでもないだろ?」


「ふぅーん、それだけー?」


 小首を傾げ、僕の顔を覗き込む彼女。これまで色んな表情の彼女を見てきた。


 体育館で、校長先生のながーい話を気怠げに聞く彼女の顔。

 プリントを回す時に、毎回僕の目を見て渡してくる彼女の顔。

 同じクラスになるたびに、僕を見つけてニコっと笑う彼女の顔。


 その顔を一番近くで見れた僕の高校生活がどうだったなんて、語るまでもないだろう。

 だから、僕はこう答える。唯一僕が彼女に勝つ方法。『阿』という苗字に勝つ、唯一の方法を。


 その結果として、数年後、僕と彼女の苗字は同じになった。

 同じ『相生』という苗字になった。


 高校三年間、名前の順で常に二番目だった僕だけれど、それで良かったと思っている。


 だって、こんなに幸せなのだから。

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