応援コメント

あの時、僕は。」への応援コメント

  • あの日は夜間仕事の徹夜で朝帰ってきて、犬一匹残して二階の自分の部屋で寝るのも可哀想だなと思い一階で寝て、起きて15分後の事でした。
    当然犬は吠えまくるし家具は揺れに揺れ倒れるのか?というくらいでしたが、幸いにして他で聞くような食器が飛び出るとかそういった事もなく、二階の部屋のやらしいDVDが本棚から飛び出し散乱した程度でした。
    その後の余震も同じくでした。
    そもそも起きた時何か違和感的なものを感じてふっと目が覚めた。数時間寝たのだから普通に起きたのだろととられるかもしれませんが。
    1991年6月2日19時ちょいすぎ、あこれ事故るなと思って数分もしないうちに従兄弟が運転する車が雨の中超電磁スピンして街路樹に横から衝突し自分のいた右後部座席はなくなっていたという事もありそれ以来嫌な予感は当たるような気がするようになりました。
    後部故にシートベルトをしていなかったおかげで衝突の衝撃で左にふっとんだため死なずにすんだ、九死に一生はこの時使ってしまったと思います。

    そのためあの日揺れた時は9回のうちの1回がきたのかと、今考えると不謹慎な事が過ったくらいです。

    当日は停電もあり電車も信号も不能なため翌日土曜からにはなりましたが、正直仕事上昼夜を問わず復旧に追われしんどかったのは今でも覚えてますが、被災地に比べたらこんなん大した事ではないとみんなこなしていたと思います。

    実際個人的には家は停電になっただけでしたし。
    近所のスーパー前の歩道は液状化で凸凹になったけど、市は5年半経ってからようやく修繕と合併によりくっついてきた元・町はないがしろなんだなと市に対しては不信感をより一層もったりはしましたが。
    自分は見てませんが、当時埼玉で唯一テレビに出た地域らしいです。

    ほぼ自分のことしか書いてませんが、こうして人の記憶と記録を残したり伝えたりは大事な事です。
    人は忘れる生き物です。良くも悪くも。
    たとえ悲惨な事でも後世のためには必要だよねと。
    もっとも良い事で後世に残さなければという事は思いつきませんが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。貴重な体験談を聞かせていただき、恐悦至極です。その体験をぜひ、他の人にも伝えてみてください。本当にありがとうございました。

  •  非常に生々しい手記であり、私のように西日本にいる人間からすれば大変有意義な記録でもありました。
     被災していない人間が、はたからどうだこうだと述べられる筋合いではないのですが、このように記録に残してくださったことを心からお礼申し上げます。

    作者からの返信

    感想、ありがとうございます。
    ぜひ、今後書く〈石巻紀行〉も読んでくださると幸いです。

    編集済
  • みしょうかん様、私はニュースで見ていた方の人間でしたが、あの震災の光景には目を疑いました。この作品のように伝えていくことが大切ですね。
    執筆は大変だと思いますが、非力ながら応援して居ります。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    ぜひ、今後書く〈気仙沼紀行〉も読んでくださると幸いです。
    ↑ 間違えました、石巻紀行です

    編集済
  • はじめまして。企画を立ち上げた《押羽》です。
    今回の企画に参加していただき、ありがとうございます。

    『風化させてはいけない』という思い、たしかに受け取りました。
    みしょうかんさんの『3・11』は、どうやら、これから始まるようで…
    頼もしい限りです!

    気仙沼の報告、もちろん、書きますよね?(笑
    楽しみにしてますね。

    作者からの返信

    感想、ありがとうございます。
    気仙沼紀行の報告は、恐らく3月下旬になるでしょうが、必ず書きます!
    ↑ 間違えました、石巻紀行です

    編集済