大震災の記憶 あの時、僕は。

未翔完

2019年 ――震災から8年――

あの時、僕は。


 3.11。

 あの時、僕は。


 

 西暦2019年 3月11日 月曜日 朝


 いつも通り、僕はベットの上で起床した。

 中学の制服に着替え、朝食を食べてから家を出る。

 バスに乗り、車内では英単語テストの勉強をした。

 いつも通り。いつも通りの朝だった。

 だけど心の中では、一つの言葉が浮かび上がっていた。

 

 東日本大震災。


 3.11と言い換える人もいる。

 東北を中心に東日本で起こった未曾有みぞうの大災害。

 しかし、僕が住む県・市・地域は首都圏であるため被害は大きくなかった。

 だが、それでも。

 あの時の出来事は、断片的にだが多く覚えている。

 あの時、僕は6才の子供だった。


  

 西暦2011年 3月11日 金曜日 午後2時46分頃

 

 僕は保育所の部屋の中で、おやつが配られるのを待っていた。

 その時は当然、何かを感じ取ることもなく、ただじっと…いや友達とおしゃべりなんてしていたのだろうか。

 その時、体が不自然に揺れたような感じがした。

 ……感じではなかった。確かに体が、床が、地面が、揺れていた。

 しかも今まで経験したことがない程の揺れ。

 机と椅子も大きく揺れ、ひどい恐怖が僕を襲ったことだろう。


 しばらくして、保育員の先生が僕達児童を連れて、園庭に避難した。

 僕はそれが地震であることは知っていたのだろうけれど、ただ大きく揺れ続ける恐怖感に呆然としていただろう。

 先生達に何らかのお話みたいなものを聞いて、ずぅっとしゃがみ込みながら揺れを感じていた。

 だけど、まだ6才だった僕に適切な状況判断なんてできない。

 恐怖感は少なからずあったが、危機感なんてものはなかった。

 だから、ざらざらした園庭の砂利でもいじって暇を潰していたはずだ。


 その後、先生たちが自分達におやつを配った。

 ……何を食べたっけ? ああ、そうだ。

 赤と透明な包装に入ったビスケットをかじったような記憶がある。

 それ以外にも食べているだろうけど、流石に全部は覚えていない。


 またしばらくして、祖父母が車で迎えに来てくれた。

 祖父母は車内で僕に何か話していたはずだ。

 だけど、その時の僕にはとにかく「大変だ」ということぐらいしか理解が及ばなかった。その頃は揺れが前よりは鎮まっていたと思う。

 

 しばらく車を走らせて、祖父母と僕はセブンイレブンに入っていった。

 歩道や車道もそうだが、駐車場にも幾つもの亀裂が走っているのを見た。

 そして、水と食料を買い求めた。

 その時、祖父母は安堵したように言った。


「早く来てよかった。じゃないと、売り切れになってしまうから」


 確かに尋常ならざるペースでコンビニの棚の品が無くなっていくのを見て、僕はニュースで見た〈大地震〉という単語が頭に浮かんだ。

 それによって起きることなんてのは、その時初めて知ったかもしれないけれど。

 コンビニの中で、僕が通っている学習塾の先生に会った。

 本当に偶然だったが流暢に話なんてしている場合ではなく、祖母と少し会話をした後、僕に慰めのような言葉をかけてくれた。


 塾の先生と別れて、僕と祖父母は病院へ行った。

 母が入院していて、父がその付添いだ。

 ……病気というわけではない。


 弟が生まれていたのだ。


 まるでこの大震災を察知していたかのように、三日前。

 3月8日に生まれてきた。母は退院した後でこう言った。


「この子が震災前に生まれてきてくれてよかった」


 本当にその点ではよかったと今でも思う。

 僕は病室に入って、母の様子を見た。

 大丈夫そうで何よりだった。弟は、僕が寝静まった夜に生まれてきたので生まれたての姿を見られなくて少し残念だったが、その時は母が抱いていたので、その華奢な肌に触れることができた。

 今までの恐怖なんてぶっ飛びそうなほど感動した。


 その後、父と祖父母と共に病室を後にした。

 その帰りに、病院の受付近くのテレビで今起こっていることの最新情報が報道されていた。テレビの周りに人だかりができていた。

 〈津波〉だとか〈被害甚大〉〈東日本全域〉みたいな、聞いてもよく分からない単語が出てきたけれど、現場からの中継映像を見てギョッとした。

 まるで外国の大河?みたいな濁流と、それに押し流される家や車。

 なんだこれ、一体どうしてこんなことが。

 その後、赤く表示された〈6強〉や〈7〉といった数字が東日本を覆い尽くすような感じで付けられている図を見た。

 震度やマグニチュードが理解できなくても、分かる。

 今、日本でとてつもなくヤバいことが起きていることを。

 病院の駐車スペースへ歩いているときに、グラグラとまた大きいのが来て、車へと懸命に走ったのを鮮明に覚えている。

 車を走らせて、またグラグラ……グラグラ……と揺れるのを感じた。

 何なんだ、いつになったら収まるんだこれ。

 わけがわからないので、後部座席に座ってじっとしているしかなかった。


 家に帰ったら、とりあえずテレビニュースを見て。

 たまに来る揺れに若干怯えながらも、本を読んだり、トミカで遊んだりしていた。その間に、家族は結構せわしなく動き回っていたけれど、僕はその真意を読み取れるほど聡明ではなかった。

 でも、ニュースを見ているうちに分かった。

 なんとなくだけど、この大地震のことが。

 ついでに言うと、最初は〈東日本巨大地震〉とニュースでは言っていて、新聞では〈東北沖大地震〉と呼んでいたその大災害を。

 

 祖父母も父もいるので、保育所にはしばらく行かないことになった。

 僕はコンビニで買ってきたおにぎりとかお菓子を食べて、その日の夕食を終えた。僕はすっかり疲れ果て、結構早くに寝た気がする。



 その後、〈東日本大震災〉と命名されるその大災害を、僕は3月11日に体験した。

 決して怪我をしただとか肉親を失ったわけでもないけれど、僕は確かにその時の経験を覚えている。

 それを風化させていいものか。

 テレビや新聞で見たおびただしい死傷者。

 行方不明者がたくさんいるということに、衝撃を受けた。

 僕は、この出来事を忘れることはないだろう。

 仮に忘れたとしても、今ここに書き記し、残している。

 これから、何十年。何百年と伝えられるようにしよう。


 僕は今度の春休みに、被災地である旧荒浜きゅうあらはま小学校しょうがっこう石巻いしのまきを父と共に訪れる。

 8年目になって、あの震災をもっと知りたいと思ったから。

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