図書室の“   ”

柚城佳歩

図書室の“   ”

成績はいつも真ん中らへん。

短距離走では平均より少し速いくらい。

イベントごとには楽しんで参加するものの、率先して引っ張るタイプでもない。

基本、長い物には巻かれろ精神でこれまでの17年間生きてきた。


そんな、これと言って突出したもののない俺だけど、唯一人には負けないと思っている事がある。


それは、読書量だ。


本好きな両親の影響で、小さい頃からたくさんの本に囲まれて育った俺は、毎月小遣いの何割かを書籍に注ぎ込むくらいには本好きな遺伝子をしっかりと受け継いでいた。


それでも読み足りない分は学校の図書室を利用している。

うちの高校はいくつかの専門的なコースが入っている事もあって、校舎がでかい。

それに伴ってか、図書室も広い。

そして蔵書量もすごい。


(お、新しいのが入ってる)


図書室に入ってすぐ、今月の新刊コーナーに立ち寄ると、好きなシリーズの最新刊が置いてあった。

早速手に取り貸出しカードを確認すると、いつからか見慣れたものになってしまった名前があり、思わず溜め息を吐いた。


(まただ。これもか…、“庵野温あんの あつし”)





時代がデジタルに移り変わってきている昨今、この学校の図書室は未だアナログな貸出しカードを採用している。


バーコードで管理した方が簡単だろうに、と常々思っているのだが、なかなか導入する気配が感じられない1番の理由は、司書の先生の趣味なんじゃないかと思っている。

なんでも、そこから始まる恋もあるとかなんとか。

まぁそれはともかくとして、俺も結構こっちの方が好きだったりするんだけど。


頻繁に通い詰めている甲斐あって、入学してから約1年半の間に蔵書されているものの大半は読破したんじゃないかと思う。


だからだろう。

庵野温という名前を覚えるようになったのは。



* *



初めて認識したのは、好きなシリーズの1作目を借りた時。

真っ新なカードの1番上にその名前を見付けた。

どちらかと言うとマイナーな作品だったから、同じ本が好きな奴が身近にもいるんだと嬉しくなった。


それからも時々、貸出しカードで名前を見るようになった。

あまり高校生が進んで読まなそうな、ちょっと昔の小説とか、映画化が決まった話題の作品とか、授業でしか使わなそうな参考書染みたものまで。


不思議だったのは、決まって庵野あいつの名前が1番最初に書いてある事だった。

だから別に、庵野の後を追い掛けている訳では全くもってないのだが、俺の名前はいつも2番目になる。


そういう事が続くと、一体どんな奴なのかと見てみたくなるのが人情ってもので。

特に用事がない時は、放課後、図書室で過ごす時間が多くなった。



* * *



「あー!わっかんねぇなぁ…」

「何が?問4?」

「それもわからん」


放課後。迫る定期テストに向け、クラスで仲の良いけいを誘って今日も図書室へと来ていた。


弥生やよい、代入する数字間違ってるもん。そこ3じゃなくて4だよ」

「あ、ほんとだ」


言われた箇所を、忘れないうちに解き直していると、横から圭が顔を覗き込んできた。


「で、他には?」

「他は今んとこ大丈夫かな」

「いや、数学の話じゃなくてさ。さっき“それも”って言ってただろ。“も”って事は他にも何か気になる事があるんじゃないか?」

「あー…」


こいつはあっけらかんとしているように見えて、案外他人の機微に敏感な所がある。

だからだろう。いつも周りに人が集まりやすいのは。


「お前ってさ、顔が広い方だよな」

「何なに、気になる女子でも出来た?」

「いや、気になってるのは男子なんだが、庵野温ってどんな奴か知ってるか?」

「あんのあつし?」


圭は暫く考えていたようだが、心当たりがいなかったらしい。お手上げのポーズで俺に向き直った。


「少なくともオレの知り合いではいないかな。そいつって何組?」

「2年3組。俺らと同じだな」

「って事は、コースが違うのかもね。コース違うと全然会わないし」


それは自分でも考えていた事ではあった。

だからこそこうして張り込みみたいな真似をしているのだ。あれだけ頻繁に本を借りているのなら、きっとそのうち現れるだろうと思って。


「でも弥生、何でいきなりそんな事聞くんだ?」

「…実はさ」


少し迷ってから、俺はこれまでの経緯を話し始めた。



* * * *



「なるほどなぁ…」


話を聞いた後、圭はまた何か考える仕種を見せる。邪魔しちゃ悪いと思い、かといって自分だけテスト勉強に戻るのは少し気が引けて、視線を彷徨わせていたら、圭がぽつりと呟いた。


「弥生ってさ、幽霊とか信じる方?」

「幽霊?」

「そ、幽霊」


突拍子もない事を聞かれて、眉間に皺が寄る。


「頭っから否定はしないけど、信じるかって言われたら…、微妙だな」

「だよな。まぁ俺もそうなんだけど、今の弥生の話を聞いて思い出した事があるんだ」


そう言って圭が話し始めたのは、この辺の地域に昔から伝わる怪談や都市伝説みたいなもの。

そのうちの1つに、『図書室に出る幽霊』というものがあるらしい。


ずっと昔、ここの生徒だった男子がある時入院した。今なら簡単に治せるだろう病気もその時代には薬がなく、元々の身体の弱さも相俟って大した治療も出来ないままにこの世を去ったらしい。


本好きだったその生徒は、亡くなった後も、特に何か危害を加える訳でもなく、ただそこに、学校の生徒に溶け込むように時々図書室に現れるのだという。


「え、何それ。怖っ。しかもうちの学校が舞台とか聞きたくなかったんだけど」

「お前幽霊とか信じないんじゃなかったのかよ」

「それとこれとは別だろ。ああいうのはあくまで遠くの土地のフィクションだから楽しめるのであって、こんな身近な場所の話は普通に怖いだろ」

「でも司書の先生にも心当たりがないって言うなら、幽霊って線もなくはないんじゃない?」

「いやいやいやいや」


幽霊姿の庵野温が夜な夜な本を読んでいる風景を勝手に想像しそうになる頭を、考えごと振り払う。


「もうこの話は終わり!俺は俺でまた庵野を探してみるよ」



* * * * *



数日前にあんな話を聞いたからだろう。

どうにも気になってしまい、以前借りた事のある1冊を再び手に取っていた。


裏表紙の内側、貸出しカードを取り出してみると―。


(庵野の名前がない…!)


そこには1番上に俺の名前があるだけで、何度見返してみても庵野温の名前はなかった。

思い出せる限り、手当たり次第に以前読んだ他の本も確かめていく。


(ない、ない、これにもない)


どの本のカードにも、庵野温の名前はなかった。

庵野の名前があった場所は、他の生徒か俺の名前に変わっていた。

俺は、いつも、必ず2番目だったのに。


ふいに、圭に聞いた都市伝説が頭を過る。

ただそこに、学校の生徒に溶け込むように、時々

図書室に現れて本を読んでるんだって―。


そう考え始めると、あいつの名前。

庵野温も“アンノウン”とも読めるんじゃないか。

“Unknown=存在しないもの”。


まさか、な。

頭では否定しつつも、急に怖くなってきて早足で図書室を後にした。



* * * * * *



例の都市伝説によって一時足が遠退きかけたが、なんだかんだ言いつつ、図書室が落ち着く場所である事に変わりはない。

この日俺は、勉強と読書だっせんに力が入りすぎて、久しぶりに遅くまで残ってしまった。


傾き掛けた夕陽で鮮やかに染まる廊下で、見慣れない生徒とすれ違う。

透き通るような青白い肌、日に透ける柔らかそうな髪、色素の薄い瞳。

どことなく魅かれて後ろ姿を目で追うと、その生徒は図書室の扉へ手を掛けた。


「…あのっ!」


瞬間的に呼び止めていた。

ゆっくりと振り返ったそいつは、やっぱり見覚えのない男子で。


「間違ってたらごめん。お前って、もしかして“庵野温”?」

「…そうだけど」


なんだ、やっぱりちゃんと実在してるじゃん!

じゃあ貸出しカードに名前がなくなっていたのは俺の見間違いか、新しいカードに変わったからなんだな、きっと、いや絶対に。


ここ数日、幽霊説が濃厚に思えていた事もあって、目的だった庵野温との邂逅に安堵して、知らず緊張していた肩から力が抜けた。


「いきなり呼び止めて悪かったな。俺は2ー3のひいらぎ 弥生。貸出しカードでいつもお前の名前を見掛けて、どんな奴か気になってたんだ。だから会えてよかった」

「そう、僕も君と話せて嬉しい」


ふわりと優しく笑った顔はとても綺麗で。

思い込みとはいえ幽霊扱いしてしまった事を申し訳なく思った。


「コースは違うかもだけど、お前も3組なんだろ?同じ3組のよしみでまた会ったらよろしくな!」


照れ臭さもあったかもしれない。

言うだけ言ってすぐにその場を立ち去った俺の耳には、庵野が小さく零した言葉が聞こえる事はなかった。


「…僕が3組だったのは、もう100年も前の話だけどね」



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