第57話 9/25 掌握術は、命ずることなく、考えさせよ、だ。

 「く、く、く、く。いや、城内を歩いていましてな、ちと疲れまして、休ませて頂いておりました。ですが、ここが家光様の部屋とは、つゆ思いませぬでほれ、この通りお許しくだされ」


と、天海は頭を垂れて見せた。


 「ふん。ここが私の佇まいとは知らないでいたか…。まぁ、良いわ、好きにくつろげば良い」

 「いやはや、歳は取りたくありませぬな。流石に仙人と陰口を叩かれるこの天海も

年波と呆けには、歯が立ちませぬは」

 「減らず口は良いわ、で、何か用があってのこと、遠慮は要らぬ、申せ」

 「これは、参りましたなぁ。話などありましたかな…、もう、忘れ申したわ」

 「忘れた…、忘れたとは、話すことがあったと言うことではないか」

 「これは一本取られましたな、く、く、く、く、く」

 「ほんに天海殿は、掴み所がないお方ですよ」

 「気苦労が多く、痩せ細って、この通りです」

 「もう、良いは。それより、城下の様子は如何か」

 「職人たちが労を惜しまず、勤めぬな」

 「そのお言葉だけで、充分で御座います」

 「何かあらば、遠慮なく申し出るが良い」

 「御意。では、お陰さまで疲れも癒されて御座います故、下がらせて頂きます」


 家光は天海の心中を察し、窯を賭けてみた。


 「ああ…、いや、待たれよ、天海殿」

 「待たれよと言われて、断る理由が御座いませぬな」

 「そなたと話すのは、ほんに邪魔くさそうだな」

 「お言葉が悪う御座いますぞ」

 「捨て置け。減らず口は、この辺りの置き、少し話していかれませぬか」

 「宜しいとも、お茶のみ相手位は、務めましょうぞ」

 「まだそのような歳ではないわ」

 「これは、失礼致しました」

 「これが噂の天海の話術か」

 「何で御座いましょう、その天海の話術とは」

 「何気ない会話の中で、いつしかそなたの掌で踊らさせられると言う、風の囁きよ」

 「では、家光様も舞ってみなさいますか」

 「お好みであれば、あははははは」

 「では、遠慮なく」


と、天海は、凛として謳い始めた。


 「高砂や~、この浦舟に、帆をあげて~」

 「よせ、よせ、よさぬか。寝ても覚めても母上から、早く世継ぎを、と。そのためにも縁組をと急がされておる」

 「おやおや、いま、お福を母上と申されましたな」

 「あっ、いや…。そう、確かにそう言いましたぞ、それがいけませぬか」

 「く、く、く、く、く、微笑ましく存じまする」

 「ふむ、なぁ、天海殿。私にとって、いつも気遣ってくれるお福は、母上であり、家康公は、父上と思うておる」

 「それで家光様の胸中が穏やかならば、それで宜しいかと、存じます」

 「そう言うてくれるか…」

 「しかしながら、このことは」


と、天海は、口元に人差し指をあてた。


 「はあ、私も天海殿の話術とやらに取り憑かれたようですね、でも、う~ん、爽快ですよ」

 「それは良かった、良かった、く、く、く、く、く」

 「はぁ、何か胸の支えが取れたような気が致す」

 「それは、宜しゅう御座いましたな。晴れ晴れとしたご様子に見受けられます」

 「そうか」

 「良かった、良かった、く、く、く、く、く」

 「何か分かったような気がします」

 「何がですかな」

 「家康公とお福が、そなたに絶大なる信頼を寄せている理由がですよ。解いて見せよと言われれば、困りますが、この胸の奥深くに沁みておりまする」

 「ほう、沁みておりますか、お風邪など召されぬように、お気をつけなされよ」

 「この風邪なら自ら掛かりとう御座います」

 「では、何か漢方薬でも煎じねばなりませぬな」

 「漢方薬か…、是非、いいものであればな」

 「了承致しました、く、く、く、く、く」

 「あははははは」


 この漢方薬が、徳川幕府の礎となろうことをこの時、家光は知る由もなかった。 


 「天海殿、しばし、私の絵空事に付き合ってくれぬか」

 「どのようなことですかな」

 「変人と揶揄される者の戯言ですよ」

 「変人ですか」

 「昼行灯である私にも、耳位はあるわ」

 「作用でお御座いますか。で、何を聞かれたいのです」

 「何を言っておる。話すのは私ですぞ。聞くのはそなたで、話すのは私ですぞ」

 「そうでしたな、では、お聞き致します」

 「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ、あ、は、は、は、は」

 「如何なされました」

 「流石、天海殿。私が話したい事…、それは天海殿に聞きたい事、確かめたい事でした」

 「これからは、要らぬ気遣いは、無用で御座います」

 「うむ」


 家光は、天海に心の揺らぎを感じ取られている事を頼もしく、癒される思いに包まれていた。


 「実は、家康公の事なんですが、もう、この世には居られぬのでと思いましてな、些か、心、穏やかでない。家康公は、遺言を常に記されています。薨去なされた後は、久能山に埋葬せよ。簡素にな。しかし、家康公らしいと言えば、そうだが、常に大坂に睨み、監視できるように施せと、な。それほどにも秀吉の執念、怨念を警戒されておられたのでしょう、いやおられているのか」

 「その御意向で久我山東照宮はもう建立され、後は主である家康様の魂を待つばかりかと」

 「本当に主なき墓なのか…。近頃、夢枕にじーじが立たれて、家光よ、しっかり致せ、致すのじゃ。幕府が揺らいでおるでなないか、と」

 「なるほど、家康様らしいお話で御座いますな。それで、家康様が薨去なされたのではと」

 「生きておられれば、不意に訪れ、私を戒められ、乱れた幕府の有り様を正されるのではないかと。それをなされぬは、いや、なされないのは…」

 「はぁ~」


 天海は大きな息を漏らした。


 「流石に血の繋がりは、誤魔化せませぬか」

 「と、申すは如何なること…・、聞かせてくれ、いや、是非とも聞かさせてくださらぬか」

 「夢に悩まされておられるのでは、お話しますか。家光様のご推察の通り、家康様の御霊は、既に久能山東照宮にありまする。このことは、秀忠殿と徳川の重臣のほんの一部の者しか知らない事で御座います」

 「何故、皆に知らせぬのか」

 「徳川幕府の安泰を磐石に致す為にで御座います」

 「如何なる事か」

 「重臣たちの中には、秀忠殿が頭が上がらない者も多く、また、合戦での失態は秀忠殿にとっては、今の幕府に貢献できていない後ろめたさがあるのです。また、お江が企む背乗り行為は、家康様への裏切りにほかならぬのは秀忠殿もご存知の事」

 「なるほど、父…いや秀忠様は、二代将軍として表に目ざとき動きをなさらぬのは、控えておられると言うことなのか」

 「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」

 「それに、家康様の意向を強く引き継ぐ、そなた、天海と言う妖怪が睨みをきかせておる故にな」

 「お言葉が過ぎますぞ、妖怪などと」

 「済まぬ、済まぬ、聞き流すがよい」

 「さて、家光様の胸の支えを今ひとつ、降ろしてしんぜましょうか」

 「何かな」

 「家光様の感ずる絆は、真の事で御座います」

 「な、何と…、と驚かぬは。やはりそうであったか」

 「家光様は、家康様とお福との子で御座います。お江の企みを成就させぬ為に私が仕組んだもので御座います。お福にも、明かしてはなりませぬぞ。お江は疑うも確証が持ててぬ故、築城のために来るある藩の家臣を引き込み授かったのが忠長で御座います。忠長は、徳川の血を引き継いではおりませぬ。気性の粗さは、お江の血を受けたもの」

 「秀忠様はそのことをご存知なのか」

 「知りませぬ…、いや、無関心を貫いておられるいやも」

 「そうか」

 「これもそれも、徳川安泰の為にで御座いますよ」

 「そのような事が…、なのに私は…」

 「急ぎませぬが、ゆるりともしておられませぬ。政務に今少し、ご感心を抱かれ、この天海や崇伝はもとより、家康様のもとで尽力してくれた重臣たちの命が経たれぬ迄に何卒、三代将軍としての知を身につけて頂ければと、お祈り申し上げる次第です」

 「…」


 天海は、家光の人格の変貌の兆しを感じていた。


 「あい、分かった。これより、何かと尋ねる事も多くなるであろう。良しなに頼んだぞ」

 「御意」

 「そうか…、秀忠様も口には出せぬ苦悩をお抱えになられておったか…」


 家光は、感慨深く、目を閉じていた。


 「そうじゃ、人知れず久能山東照宮に家康様に会いに行きとうなったわ、何とかならぬか」

 「それは良い思いつきで御座いますな。早速、ご手配を致しましょう」

 「頼んだぞ」

 「どうで御座いましょう。秀忠様との見えぬ確執があるとするならば、お互いに晴らされては如何でしょうか」

 「秀忠様と…、うん、良しなに」


 家光は、空を見上げた。空は、海のように青く、雲ひとつなかった。


 「では、今、駿府におるのは」

 「私が用意した影武者で御座いますよ。恵最と申して、人前に晒せば馬脚を現し、

大きな混乱と徳川幕府への忠誠を揺るがしかねませぬ。家光様においては、秀忠殿と同じく、家康様として接して頂き、幾多もの、助け舟をお願い致しまする」

 「承知した」

 「で、その恵最ですが、近々、登城させようと存じておりましてな、既に手立てを打ち、事を進めておりまする。久能山東照宮に行かれるのは、その時が宜しいかと」

 「それでは、恵最の正体が明らかにされるのでは」

 「そこは、重臣に任せようと存じております。それに確かめたい事もあります故」

 「確かめたい事とは、何か」

 「それは、ご勘弁くだされ、壁に耳有り障子に目あり、と申しますでしょう」

 「それを言うなら、今までの話もではないか」

 「これは一本取られましたなぁ、参った、参った」

 「ほんに食えぬ男よ、そなたは」

 「では、秀忠様にも極秘に要件を申し上げ、久能山東照宮参りを成し遂げて見せましょうぞ」

 「ふむ、頼んだぞ」

 「では、疲れも癒されたようですので、私は、徳川幕府の今とこれからの繁栄を願い、町づくりに専念致しますか」

 「ふむ、大儀である」

 「では、いつ何時でも、お茶にお誘いくだされ、例え遠方に居ようとも駆けつけまする故に」

 「あい、分かった」


 天海は、満足気な笑みを浮かべて家光の元を去った。家光は、天海が鎮座していた座布団の凹凸具合を見ながら、その存在を感じ、心の中で思っていた。


 (天海め、城内の騒がしさに苦言を呈しに来たのであろうが、何故に語らず引き下がったのか)と。


 ただ、その座布団の温もりを心で感じていた。

 天海は、家光と忠長との一件を知らなかったが、明らかにひと皮剥けた家光の心の変化を頼もしく感じ、今、企てている事を迷いなく行えることに安堵していた。


 天海が家光の部屋を出て、廊下を歩いていると家光を心配したお福が、慌ただしく駆け寄ってきた。


 「天海様、どうか家光様を、家光様を」

 「お福、落ち着きなされよ」

 「しかし、城内を騒がせておるのは、家光様ではなく忠長とお江で御座います、何卒、何卒、良しなに」


 お福の頓珍漢な危惧に天海の悪戯心に火が付いた。


 「三代将軍になろうかと言う人物が、このような騒動に何も手を打てぬとは、愚かさにも程がありまするぞ」


と、敢えて、お福を恫喝して見せた。


 「何卒、何卒、家光様をお見捨てになるようなことは」

 「黙らっしゃい。身内もまとめられずして、天下など収められる理由が御座いませぬわ」

 「この、この、お福が言い聞かせて、必ずや必ずや家光様にこの件の収まりを成し遂げさせまする故、何卒、何卒、ご尽力を賜りたく存じまする」


 お福は、天海の衣の裾を強く握り締め、縋り付くように懇願していた。

 天海は、やりすぎたかな、と反省しつつ、お福の前に屈み込んだ。


 「お福、しっかり致せ」


と、うな垂れるお福の肩を手で強く掴み、諭した。


 「のう、お福よ。前も申したであろう、忘れたか」

 「何、何をで御座いましょうか」

 「いつまでも我らがそなたらの傍に居る訳にはいかないと、申したはずじゃぞ。そなたが気を確かに持たないで、誰が家光様をお守りするのじゃ。よく周りを見て、何が起こっているのか、何が起きようとしているのか、起きることが、厄介なことであれば、どのようにして防げるのか、さらに、如何に対応すれば良いのかを考えよと」

 「あ、はい」 

 「思い出したかな、うん、それならば苦労を惜しまず、如何なる苦難にも、仁王立ちできるようにおなごを捨て、自らを磨きなされよ」

 「あ、はい、いや、精進致しまする」

 「うん、そうなされよ。お福に申しておく。家光様は、もう大丈夫じゃ。ひと皮もふた皮も剥かれたようでな、これからは、徐々にではあるが三代将軍に相応しい人格、裁量を身につけられることであろう、この私が言うのじゃ、信じなされよ」

 「はい」

 「のう、お福。家光様を陰日向となり照らせよ。それがそなたの歩む道じゃてな」

 「はい」

 「それにのう、そなたが悩む刻限はもうない。お江の動きもあるが、それはそれよ。それより、我が命がいつ尽きるかわからぬ。急げるものは急いで行わなければな」

 「そのような…」

 「いつまでもあると思うな親と金じゃよ」

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