第58話 10/05 凪の水面下は、混沌、暗躍の嵐

 「おう、そうじゃ。お福に伝えておきたい事が有り申したわ」

 「何で御座いましょう」

 「ふむ。血の絆とは摩訶不思議なものじゃのう。家光様は、そなたを母とし、家康様を父として慕うておるわ。それを語る家光様の眼差しが余りにも真剣でな、つい、本当の事を言うてしもうたわ。かと言って、そなたと家光様の関係は変わらぬ、良いな。秀忠の面子もあるゆえ、心得て置くことよ」

 「はい、承知しました」

 「うん、それで良い」

 「して、私は何事を急がせれば宜しいでしょうか」

 「言うまでもない。家光様のお世継ぎを授かり、四代目将軍をも間違いなく、手中に収めることよ」

 「家光様の男色を好むは、治りませぬ。如何致したら…」

 「そなたが自ら考え動き、解決してみよ。それくらい出来なくて、天下を治めるなど、夢のまた夢のことですぞ」

 「はい」


 お福は、力なく答えた。それを見て、天海は天海で手立てを講じなければならい覚悟を確信していた。


 「私は、お江と忠長の動きに目を配り、家光様を支えます故、お世継ぎの件、頼みましたよ」

 「はい」

 「では、早速、動かれよ。打てる手は全て打ちなされ。誰にも邪魔させぬ故、例え秀忠であってもな」

 「はい」

 「おう、そうじゃ、今ひとつ言い忘れておった。近々、駿府より家康様をお迎え致す。しかしながら、そなたの知る家康様ではない、恵最と言う影武者じゃ」

 「影武者…、では家康様は」

 「もう、天から気を揉みながら、我らを見られておられましょうぞ。故に、お福は会わぬように。いや、会ったとしても、平常と心得よ」

 「はい」

 「家康様の御霊は、久能山東照宮に既に安置されておりまする。秀忠によって家康様の遺言通り、時期を見て、日光に移される。そして、家光様に日光大改修を名目に

大々的に建立し直して頂く段取り。もう、既に工事は、内蜜に取り掛かっておりまする。家康様の遺言通り質素ではなく、後世に徳川の威厳を受け継がさせるものに致す所存。今となってはこの私が家康様の遺言の証人、何とでもなる。今、言えるのは徳川幕府を確かなものに致すための策として十分に活用させて貰うと言うことよ」

 「楽しみで御座いますなぁ」

 「そなたは私と家光様が作る日光東照宮に参られれば良かろう。それまでは動きなさるな」

 「承知致しました」

 「うん、では、そなたはそなたに課せられた業を成し遂げなされよ。後は、私に任せてな」

 「大義に御座います。では、私は持ち場に戻ると致しまする」

 「ふむ、そうなされよ」


 お福は、安堵を手に入れ、迷いを消し去っていた。天海と話せば、大概の者が経験することだった。

 天海は、駿府で影武者である恵最を監視させている菊次郎と繋ぎを取り、恵最を江戸に向かわせる準備を致すようにと指示を出した。その足で天海は、秀忠を訪ねた。


 「これは天海殿ではありませぬか、如何致した」

 「秀忠様にお願いが御座いましてな、参じました」

 「願いとは、何ぞや」

 「久能山東照宮にお参り頂きたい、家光様と」

 「父上の墓参りとな、それも家光と」

 「家光様は、秀忠様とこの徳川を築く決心をなされ、その意を家康様にご報告致したいと言うことです。しかしながら、内密な事がある故、密かに行うべき事。そこで、駿府より恵最を登城させまする。恵最には鷹狩りに呆けて貰いますゆえ、その間に朝廷に会う名目で、お二人でお参りくだされ。私と私の選んだ護衛も一緒に」

 「そうか、家光が…。了解した。そなたの言う通りに致すわ。詳細が決まれば知らせよ」

 「大義に御座います。では、刻限が決まれば。あっ、このことはお江のお方には」

 「わかっておる。波風を立てたくないでな」

 「御意」


 秀忠は内心、嬉しかった。何かと行き違いがあり、家光とは本音で話せる機会に恵まれていなかったからだ。

 お江の目のある所では、忠長擁護でなければ波風が立つ。その中で、家光と話でもしようものならば、お江の怒りは、稲光の如く秀忠に向けられ、罵倒されるのが落ちだった。此の度の天海からの申し出は秀忠にとって、あまり接点のない天海と言葉を交えるいい機会だと感じていた。


 「太平次、太平次」

 「どうしたんだ菊次郎」

 「天海様からの急ぎの文が届いたぞ」

 「いよいよ、登城か」

 「そうだ、準備が出来次第、速やかにのこと」

 「では、本多義信様にもお伝えし、準備を急がなければ」


 菊次郎は、義信に天海からの指示を伝えた後、家康の影武者こと恵最にも伝えた。


 「いよいよ登城か…。儂にとっては初めての江戸城になるな」


 恵最は、影武者であることが暴かれるのでないかと言う不安と、密かに文を交わすお江との接見への期待が入り混じっていた。


 「菊次郎、準備が整い次第、急ぎ登城せよ、と天海様からの命であるが、早馬、早駕籠を手配しないで良いのか」


と、義信は菊次郎に尋ねた。


 「そうですね。でもその手配は無用かと」

 「如何に」

 「私たちは天海様との関わりがそれなりに長く、此の度の文面を言い換えれば、こうなりまする」

 「ほぉー、どのようになるのかな」

 「準備は出来ておるか、準備が間に合わなければ、準備が整い次第、出立せよ。準備が整っておるのであれば、急がずとも良い、無事に登城致せと」

 「どこをどう読み取れば、そうなるのかな」

 「そうで御座いますな。急ぎ登城致せ、は、天海様の方は準備が出来ている。あとは、我らの準備が整うのを待つばかり。その日を心待ちに致す、と言うことですよ」

 「わからぬわ、私には」

 「本当に急がなければならない理由があれば、緊急を要する内容が含まれております。この文にはそれがありませぬ故に」

 「そのようなものなのか」

 「そのようなもので御座います」

 「天海様は常に周りへの警戒を怠らないお方。万が一、この文の内容が他に盗み見されたとすれば如何でしょう。その者は慌てて、対応に動きましょう。それの動きの有無によって、自らの動きを決められる、天海様とはそう言うお方です」

 「なるほどねぇ」

 「関ヶ原の戦の際、家康様と天海様は、事前に各大名に文を通して切り崩しや囲い入れに試行錯誤されていた。その際に勇み足や遅れを取ることもしばしあったそうで

その文のやり取りの中で得られた経験を活かされているだけで御座います。詳細は語れませぬが、我らは、天海様から四方山話として聞かされております故、文面に隠されたお心を読み取る術を習得させて頂いております」

 「そうか」

 「ここで書かれている急げは、寄り道は困るが急ぐ必要はない。唯唯、無事に登城致せと言うことですよ」

 「そうか、それを聞いて安堵したは」

 「それは良きことで御座います。ですが、義信様が幾分かでも慌てられた。もし、義信様が敵方であれば、急ぎ行動されるでしょう。そうなれば、天海様はその動きを見て、策を練られると言うことですよ。相手の動きを見て、動くほうが常に得策であると言うお考えです」

 「確かに、菊次郎がいなければ、何を置いても事を急ぎ、進めていたであろうな」

 「それが天海様の狙いで御座いますよ」

 「一筋縄では、理解し難いものであるな」

 「御意。天海様は一筋縄では対処出来ぬお方です」

 「深いな、何事も」

 「御意。慣れれば、然程のことではありませぬよ」

 「私も、その深きを早う理解したいものじゃな」

 「いつでも、問われればお答え致しますよ、私でよければ」

 「良しなに頼むぞ」

 「承知致しました」

 「大儀じゃ」


 本多義信、菊次郎、太平次、影武者の恵最は、旅支度を済ませると、江戸へと旅たった。その際、菊次郎は駿府城での人脈を活用し、剣術士や忍びの者の中から、腕利きの者を選び出し、密かに先乗り隊、後方援護隊を形成していた。

 道中は、商人の主が隠居生活を楽しむ為の旅人を装うことで、周知の目を欺くこととなった。そのお陰で道中、民とふれあいを満喫しながらの道筋となり、ひと時の癒しの時を過ごしていた。


 「もう少しで江戸の町に入りますな」


と菊次郎が本多義信に言った。


 「そうですね、楽しき旅も、もう終わりだですか」


 本多義信にとっても、これほどに民と触れ合う機会はなく、新鮮な体験の連続に胸を躍らせていた。


 「義信殿、太平次を天海様のもとへと走らせます。手薄になりますが、よろしくお願い致します」

 「御意」

 「我らの前後は、用心のため配した者で固めておりますが旅籠の中まで手が回りませぬ故」

 「わかっておる」

 「太平次が江戸に先乗りし、天海様の段取り、ご指示を持ち帰るまで、江戸四宿で、数日宿をとることに致します」

 「了解した。太平次、頼んだぞ」

 「御意。では私目はこの足で、天海様の元へ参ります」

 「頼んだぞ」


 一向は道中、侍の匂いを消すのに始終していた。隠密な道中、どこに草と呼ばれる、人並みに馴染んだ敵方の忍びの者がいるとも限らなかったからだ。


 太平次は、徒歩の煩わしさを考え、馬を二日間借りた。江戸までは、約二里。馬の体調を見ながら、休み休み江戸を目指した。江戸城に着くと通用門から城内に入ると

すぐに馬屋に入り、飼葉と水を与え、馬を労った。その足で調理場に向かった。


 「貞丸、伝助、久しぶりだな、元気だったか」


 貞丸と伝助は、将軍家の賄いを担っていた。


 「おお、戻ったか、太平次。随分、日に焼けたな」

 「ああ、毎日、鷹狩りに出向いておったからな」

 「菊次郎も変わり無いか」

 「ああ、二里程先の江戸四宿迄、来てるぞ」

 「そうか、戻れば皆で一献、やろうな」

 「そうしよう。ところで天海様はおられるか」

 「確かお部屋におられると思うが」

 「では、先に報告を致してきますか」

 「その後どうする。泊まるなら、馳走を振舞うぞ」

 「それは有難い。それでは出立は明日にしよう」

 「よし、任せておけ。将軍並みの献立を用意してやる」

 「おお、それは楽しみだ、では、要件を済ませてこの場に戻って来ると致しますか」

 「慌てても、すぐにはできませぬ故、ゆるりと」

 「そう致しますか」


 太平次は、仲間との束の間の団欒を終え、天海の部屋へと向かった。


 「天海様、只今、戻りました」

 「ご苦労だったな太平次、皆は健吾か」

 「はい、どなたも頗る健吾で御座います」

 「それは何より」

 「早急なご指示がなければ、一泊し、早朝に戻りたいのですが、宜しいでしょうか」

 「構わぬ、そう致すが良い」

 「有難う御座います」

 「で、道中、変わったことはなかったか」

 「変わりなく」

 「そうか」


 天海は、ぼそっとつぶやくように言うと何やら考え事をしているように、空を見上げていた。


 「天海様、ご指示を賜りたく御座います」

 「うん、あ、そうじゃな。まぁ、変わりなくじゃ。兎に角、油断せず、登城するように、伝えてくれるか」

 「それで宜しいのですか」

 「他に何かあるか」

 「お江と忠長、いや、お江の動きは」

 「うむ、そなたらの知らせ通り、恵最と通じておろう。この度の不意の家康登城にも気づいておるじゃろうな」

 「恵最を泳がされると言うことですか」

 「ふむ、よくわかったな。好きなように泳がすわ」

 「それは家光様を追い込むことにはなりませぬか」

 「心配は要らぬは。家光様もやっと気構えと言うものを身につけられたようでな…、ちと、様子を見るのも、これからの行いを定めるのに良きことではないかと

今は思うておるのじゃよ」

 「何か御座いましたか」

 「それはまたの機会に致しましょうか。それより、今宵は貞丸、伝助と和むが良いわ」

 「有難う御座います」


 天海と太平次が久々の再会を成している時、お江の配下の者が、太平次の帰還を報告していた。


 「そうか、太平次が戻ったか」

 「一行はすぐ近くまで来ているかと」

 「いよいよ、家康様の御成りか…ふふふふふ」

 「如何致しますか。密偵を送り込みますか」

 「いや、何もせず、何も知らぬを通しましょう」

 「御意」

 「ただ、監視は致しておくように」

 「御意」

 「下がって良い」

 「では、手の者を手配致しまする」

 「宜しく、頼んだぞ」

 「滞りなく、努めまする」

 「良しなに」


 配下が下がるとお江も空を見上げ、考えを馳せていた。


 「天海よ、如何致す。家康の登城にも訳ありとみた。なにせ、秀忠、家光が不在のこの城に招き入れた、そこには必ずや意味がありましょう。それが何か、じっくり拝見致すとしますか」


 お江が不思議がるのも一理あった。秀忠と家光が、天海の勧めで京に向かった。不審に思ったお江は秀忠に問いただしたが、言葉少なく、朝廷への挨拶とだけ返答してきた。その裏に何やら思惑があると感じたお江は、問いただすのを止め、寧ろ、秀忠、家光が不在であるこの時期を忠長の勢力拡大に当てようと考えていた。

 天海もお江も、お互いの出方を牽制しつつ、何事もないような趣を醸し出していた。まさに、それは、狐と狸の化かしあいだった。


 城内には、見えざる不穏な空気が漂っていた。太平次にとっては、久々の江戸城だった。


 「太平次、待たせたな」


 賄いを終えた貞丸が、太平次を迎えに来た。貞丸、太平次は伝助と合流して、酒宴を始めた。


 「太平次、ほら、あの家康様の…」


 貞丸は秘密の暴露に気づき、太平次の耳元で


 「影武者は何と言うたかな」


 これを機に膝を突き合わせた小声の会話となった。


 「恵最ですよ」

 「どう、致しておった」

 「最初に会った時は、暇を持て余し、信楽焼の狸のようになっておった。鷹狩りに連れ出され、初めは嫌々のダラダラ。それが七日も過ぎた頃には、散歩を喜ぶ犬のように走り回っておったわ。その甲斐があったのか、見た目にも動きが機敏になってきよったわ」

 「ほう、見た目は侮れないと言う事か」

 「恐れ多い、でも、血筋やも知れませんな」

 「そうかもな」

 「そうだな、あははははは」


 そこへ伝助が割って入った。


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