第52話 8/05 不穏な空気は、隠蔽しても臭うもの。
「の」の字の構想は、敵を城に近づけにくくすること、火事の際、類焼の広がりを防ぐこと、将来、街を拡張しやすくすること、船で物資を運搬しやすくすること、と言う、意図だった。
また、堀の工事によって得た土砂は海岸の埋め立てに利用し、無駄を極力嫌った。
こんな後日談が残されている。
ある時、天海は、将軍・家光から柿を拝領した。
柿を食べると天海は、その種を丁寧に包んで懐に入れた。それに気づいた家光は、天海に問うた。
「天海よ、その柿の種を、どう致すのか」
「持ち帰って、植えまする」
「何と、百歳ともなろうという老人がか。何とも、無駄なことを致すのだ」
と、家光が誂うと、天海は、家光を諭すように
「天下を治めようという人が、労を惜しむとは…そのように性急では、誠は見えませぬぞ」
と、返した。
それから数年後、天海から家光に柿が献上された。
「ほぉー、柿か。どこの柿か、珍しき柿か」
「何時ぞや拝領しました、あの柿の種で御座います。それが、ほれ、このように実をつけたので御座います」
天海は、物事には基となる原因がある。それをしっかりと見極めることの大事さを家光に諭したものだった。
天海は、江戸城の北東と南西の方角にある「鬼門」・「裏鬼門」を重視した。
鬼門を鎮護するための工夫を凝らしたのだ。
江戸城の北東に寛永寺を築き、住職を務めた。寛永寺の寺号「東叡山」は東の比叡山を意味する。が、天海は、平安京の鬼門を守った比叡山の延暦寺に倣って、寛永寺の側に、近江の琵琶湖を思わせる不忍池を築き、琵琶湖の竹生島に倣って、池の中之島に弁財天を祀るなどした。
天海の願いは、寛永寺が、比叡山と同じ役割を果たすようにと言う思いからだった。その他にも、江戸城の鬼門鎮護を厚くするため、寛永四年(1627)には、寛永寺の隣に上野東照宮を建立し、神田神社も移転させる。
幕府の祈願所とした浅草寺では、家康を東照大権現として祀った。
江戸城の南西(裏鬼門)には、その方角にある増上寺に二代将軍である徳川秀忠を
葬った上で徳川家の菩提寺とした。さらに、同じ方角に、日枝神社(日吉大社から分祀)を移すなどして、鎮護に労を惜しまなかった。
江戸には、三大祭がある。
神田神社の神田祭、浅草寺の三社祭、日枝神社の山王祭。
江戸城は、寛永寺・神田神社と増上寺を結ぶ直線と、浅草寺と日枝神社を結ぶ直線とが交差する地点に築城されている。
これは天海が、鬼門・裏鬼門の鎮護を非常に重視した証だった。
天海は、更に、江戸を鎮護するため、陰陽道以外の方法も利用した。
主な街道と「の」の字型の堀を交差させ、城門と見張所がある要所に、平将門に縁のあるものを祀った神社や塚を設置した。
将門の首塚は、奥州道に通じる大手門に、胴を祀る神田神社は、上州道に通じる神田橋門に、手を祀る鳥越神社は、奥州道に通じる浅草橋門に、足を祀る津久土八幡神社は、中山道に通じる牛込門に、鎧を祀る鐙神社は、甲州道に通じる四谷門、兜を祀る兜神社は、東海道に通じる虎ノ門に。
天海が将門の地霊を祀ったのは、江戸の町と街道との出入口に街道からの邪気の入り込みを防ぐものだった。なんだかんだと天海は多忙を極めていた。
更に、「家康の簡素な墓を」と言う遺言を覆し、徳川の威厳を天下に知らしめる栄華を極めた墓所の計画を着々と進めていた。
その頃、江戸城内では、不穏な空気が立ち込め始めていた。
家康の鶴の一声で、秀忠の意思は除外され、竹千代をもって三代将軍とされた。
秀忠の正室であるお江与は、国松による将軍の座を諦めないでいた。
お江は、二代将軍秀忠の権力を十二分に利用して、関ヶ原を一緒に戦った大名を中心に、竹千代の異常な素行を盾に、三代将軍は国松が相応しいと風潮する日常を送っていた。その行いを竹千代の乳母であるお福は、苦虫を潰す思いで、見て見ぬ振りを通していた。
幾ら存命の家康がいるとは言え、実質の権力者は秀忠であり、お江との寵愛を受けて、育てられている国松を無下に扱うことは出来なかった。
国松は、お江より「お前は次期将軍になるです」と言い聞かされ育てられた。
竹千代は幼くして、秀忠とお江を親と思うことを辞め、自分を次期将軍に指名してくれた家康を父と思い、お福と同様に、お江の行いを遣り過ごしていた。
苦しい時、悲しい時には、いつもお福が傍にいた。
お守り袋の中には、家康の「二世権現、二世将軍」と書いてくれた紙を入れ、心の支えとしていた。そのせいもあり、自分を将軍後継者に指名した家康への崇拝の念は、非常に強くなっていた。
一方、国松は、お江や秀忠を後ろ盾に我が儘に育っていき、今のままでは兄である竹千代がいる限り、お江の言う次期将軍に成れないことを薄々感じるようになった頃から、自分が本当の権威の頂点にある事を周囲に知らしめるため、露骨に家臣を見下したり、脅したりし、その苦しむ様を見るときにだけ、将軍としての自分を自覚できるようになっていた。
国松は、お江の野心家の血を引くだけに、家臣を手懐ける聡明さを発揮する面も見せていた。
お江は、家康の動向を探っていた。その時、ある異変に気づいた。それはある時から、家康が駿府城に入り、滅多に江戸城に来なくなったことだ。たまに登城した時も、極々僅かな側近としか会わず、竹千代にさえ会わず帰城することが日常のようになっていたからだ。
お江は、そのことを夫である秀忠に問い詰めたが、お茶を濁され、満足する回答を得られなでいた。
「もしや、あの家康様は影武者か…。さすれば、我が夫、秀忠が正真正銘の天下人としてあるはず…。何故にその力が、及ばぬ。家康の威光を繋ぎ留めさせる者がおるのか。それは、何者。裏で糸を引く者とは…。それが分からぬでは、下手に動けませぬわ」
と、考えお江は、探りを入れるため、当たり障りのない文を、御機嫌伺いと称して
駿府の家康に定期的に送った。文を届けるにも細心の注意を払った。
手懐けた女中に町に出掛ける用事を設け、家康への繋ぎの者に、その文を届けさせていた。何通かのやり取りを成功させてたお江は、ある確信を得られるようになっていた。その確信とは、家康が暇を持て余していることだった。
お江は、然りげ無く探りを入れた。
「家康様は、御健存でありながら、老け込まれるは、この国の為にならず。我が夫には、まだまだ、家康様の助言が入用かと存じます」
お江は、家康の出方を探り、綻びが出るのを今か今かと、待ちわびていた。
その頃には、天海が配備していた恵最・監視の為の探偵からも報告が入っていた。
「動き始めましたか」
「そのようで御座います」
「して、奴はどうしておる」
「何やら、心、浮き足立つと申しますか…」
「そうか…・」
「如何に致しましょうか」
「もう、暫く、様子を見る事に致すか」
「はっ」
探偵は、直様、監視に戻った。
「あ奴め…、もう、限界か。退屈の海から上がるか…。上がれば、日干しにしてくれるわ…、く・く・く・く・く」
天海は、早速、駿府の恵最の元へ伴を連れて、向かった。伴たちは、家康死去後、松尾芭蕉として全国行脚を満喫しているであろう服部半蔵が、手配した者たち。天海入れ替わりに立ち合わせた、選び抜いた忍びの里の者たちだった。半蔵が、選び抜いた信頼の置ける七人衆。
板前修行を済ませた貞丸と伝助は、竹千代とお福の擁護の為、江戸城に残し、佐平、寅吉、菊次郎、太平次、小太郎を連れ、恵最のいる駿府へと旅立った。
天海は、細心の注意を払っていた。お江が、どこまで知っているのか推し量れない。もし、自分の存在が、お江に知られれば、いや、反家康の者に知られれば、駿府城へ向かう道中は、天海暗殺の絶好の機会となるからだ。
本能寺の変の後の父・光秀の思いを胸に抱いて、光慶こと二代目天海は、駿府城へと急いだ。
「家康様、天海様が参られました」
「天海が…」
「お久しぶりですな家康様」
「ああ…、その者たちは下がれ。しばし、天海と話がある。人払いを」
「御意」
「宜しい。それで恵最よ、如何過ごしておる」
「言われるまま、極力人と会わず、日長一日を過ごしておるわ」
「そうか…、変わりし事はあるまいな」
「そのような事あれば、退屈はせぬわ」
「…なら、退屈凌ぎに鷹狩りはどうかな」
「鷹狩りとな…やったことなど…」
「安堵せい。当方で仕切るゆえ、暇つぶしじゃよ」
「…ならば」
「鷹狩りは、高尚な武士の嗜み。よって、鷹匠と鷹狩りの作法・約束事など、急ぎ習得なされよ、時は御ざりませぬぞ」
「如何なることかな」
「家康様が江戸に近寄らぬは、可笑しなこと。それを払拭するため、一ヶ月後に鷹狩りを催した」
「間に合うのか…、儂が影武者であることが公になるのではないか」
「それゆえ、時を惜しんで習得に励みなされよ」
「しかし、上手く行かぬこともあろうかと」
「安堵なされ。そこは年波や古傷を充てがえば良い」
「任せるわ」
「付き人も警護も、ここ駿府の者を同行させる、安堵なされよ。その者の中には、鷹狩りの作法に詳しい者もおるゆえな」
「分かった」
「江戸の者を知らぬは宜しくない。そこは、江戸城に奉公しておるこの者たちを頼るが良い。この者たちは、菊次郎、太平次、小太郎である」
「良しなにお使いくだされ、しっかりお仕え致します」
「相分かった」
「急なことゆえ、こうして私、直々に参った。私が動いていることは、くれぐれも内密に。万が一にも、他方に漏れ伝われば、そなたの落ち度と見なす故に、心して置かれるように」
「本日は自棄に角のある言い方であるな」
「左様か…、気になさるな。多忙の折、抜け出し、この駿府まで参ったのじゃ、少々、気が高まっておるのじゃろう」
「そうか…」
「では、日取りが決まり次第、書で知らせる。慌ただしいが、私はこれにて、帰城致す」
「何と、急ぎなこと」
「後は、この三人に任せておるゆえ、良しなに」
「分かった」
天海は、残す配下の三人に
「では、そなたら、後を頼み申したぞ」
「はっ」
僅かな時を過ごした天海らは、折り返すように江戸への帰路に就いた。
馬の体調を気遣いながらの帰城となった。
「寅吉、この先に宿場町がある。先に行って、本陣を探し、宿の確保を頼みます」
「御意」
「本陣の主には、これを見せれば良い」
天海は、三つ葉葵の家紋が刻まれた脇差を寅吉に渡した。
「このような貴重な物、お預かりする訳には」
「構いませぬ。所詮は刀よ。もしかの時は、大事はそなたの命ぞ。深追いせずにな、分かったな」
「御意、有り難きお言葉、悼み要りまする」
「分かれば、早う行くが良い。おお、そうじゃ、宿の主にはこう伝えるのじゃ。
我らの為に先客の安らぎを奪うべからず。寝泊り出来れば、陳腐な部屋もお構いなし。食事、風呂も皆と同じく、気遣い無用。後は、馬の世話を頼むとな、良いな」
「御意」
寅吉は、急ぎ、宿場町に向かった。
「のう、佐平」
「何で御座いましょう」
「そなたの目には、如何、映った、恵最の本心」
「天海様と同じかと」
「ずる賢い返答じゃのう」
「恐れ入りまする」
寅吉は、宿場町に入ると本陣の場所を町人から聞き出し、向かった。
「御免、主はおいでか」
「何用で御座いましょうか」
「私は寅吉と申す。あるお方にお仕えする者。お頼みしたいことがある故、主との接見を所望致しまする」
「と、言われましても、ここは本陣として」
その言葉を遮るように、寅吉は、背に大切に布にくるんだ脇差を取り出し、鍔に親指を掛け、カチンと音を立たせて、刀を少し抜いた。
「な、何をなさいます…」
「これを」
そこには、金で装飾された徳川の家紋が刻まれていた。
「こ、これは…、お、恐れ…」
「これ、周りの目があります、落ち着かれよ。納得なされたら主を呼んで頂けないかな」
「はい、ただ今、旦那様、旦那様」
直様、小走りで主が奥から近づいてきた。
「これは、知らぬこととは言え、ご無礼な事を…」
主は、寅吉の前に正座し、頭を下げた。
「これ、やめて下され、お忍びで御座います故」
寅吉は、周りを気にしつつ、天海からの伝言を主に伝え、宿泊の了承を得たのち、宿場町の入口で、天海と佐平を待った。
「こちらで御座います」
「大儀じゃった」
直様、主が挨拶に出向いてきた。
「世話に成り申す」
「当宿をご利用頂き、恐縮至極で御座います」
「忍びの旅故、何分、騒ぎ立てぬようにな」
「畏まりました。では、お部屋の方へ」
「私からの伝言は、ご理解頂けてますかな」
「はい、それは…しかし、それで宜しいので御座いますか…、お気に召さなければ、お申し付け下さいませ」
「気遣いなさらぬが、我らへのもてなしと思うてくださらぬか」
「勿体無い、お言葉を」
「では、ご案内申し上げます、さぁ、こちらへ」
案内された部屋は、一人部屋と三人部屋として隣接する部屋だった。
「ご主人、この部屋の用立てに、他が者に迷惑をおかけしておりませぬな」
「それは、ご心配なく、はい」
「では、早速であるが、膳と銚子を六本、ご用意頂けますかな…、おっ、そうじゃ、その前に風呂を頂くことに致しますかな」
「この刻限ですと、他の客人も…」
「構いませぬよ。それでは食事は風呂の後に」
「畏まりました」
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