第53話 8/15 コンフィデンスマン?に翻弄され、生きた心地が…。
天海たちが、風呂に入っている間、宿ではいろんな憶測が、面白おかしく賑わいを見せていた。
坊主頭のお侍?いや、坊様か?なのに精進料理や般若湯のご注文もない…。
一体、どなた様なのでしょう?
天海らは、そんな雀の囀りを一切気にせず、胃袋と喉を潤して、明日への鋭気を養っていた。
主は、正体不明の泊り客が不安になってきた。
「これは、詐欺ではないでしょうか…、勘定の段階で難癖を付け、代金を支払わない所か何がしかの侘び金を吹っかけられるのでは…」
と、番頭の恵太が言い出したものだから、主の喜之助も不安が募り始めた。
「お政、お酒のおかわりを口実にして探ってきてくれないか、な、な、な」
「ええ~」
喜之助に背中を押されて、渋々、お政は天海らの元へ向かった。
「失礼致します。お酒、足りていますか」
「そうだな…、あと三本、頼もうか」
「はい…、あのう…、いや、直ぐに」
お政は、聞きたい気持ちより、無礼打ちの恐怖心に勝てずに尻込みしていた。
銚子三本を届けたお政は、それからも、火鉢の炭は、とか、新たな注文取りとか、何かと理由をつけ、顔を出した。
「先程から変な女中ですね」
「く・く・く・く」
「何が可笑しゅう御座います」
「解らぬのか、く・く・く・く」
佐平と寅吉は、顔を見合わせた。二人は、店の者が当たり前のように、客人をもてなしているだけと思っていたからだ。
「可笑しく思わぬのか…あの女中」
「何が…でしょうが」
「あの落ち着きのなさ、そわそわして、視線が興味の対象に向かっって、泳いでおるではないか」
「そうだったか?」
「いやー、全く気づいていなかったなぁ」
「なら、それで良いわ、どうも、この頭が災いしておるようじゃよ、く・く・く・く」
天海は、光沢のある頭をポンポンと叩いて見せた。
佐平も寅吉も、ほろ酔い気分で、ふわふわの頭で必死に考えたが、根気が続かず、考えることを止めてしまった。
寅吉が用を足して、手を拭いていると背後に人の気配を感じた。
「あのー」
それは、女中のお政だった。
「どうなされた」
「こんな事、聞いたらいけないことだと分かっています…でも、どうしてもお聞きしたくなって」
「ほぉー、何でしょうか」
当初、お政は、主、喜之助の無理からの頼み事だったが、今は自らの好奇心が優っていた。戸惑いながらもお政は、意を決して聞いた。
「あのー、お客様たちは、一体、どのようなお方なのでしょうか、おふたりはお侍様でも、もうひとりのお方は…」
「あ~、名を明かす事はできませんが、怪しい者ではありませんよ」
「と、言われましても…、お侍様とお坊様…。気さくにお話されていて、その関りというか?どう見ても、不思議な取り合わせで…」
「あのお方は、家康様の懐刀と申しますか…、いや、今のは忘れて下され。ただ、申し上げられるのは、あのお方なくしては江戸の町づくりは、上手く進まぬと言うこと、ですかな、おっと口が滑らかになりましたな、誰にも言わないでくださいよ」
「あっ、はい」
お政は、にこやかに元気な面持ちで去っていった。寅吉は、お政の後ろ姿を見て
「あれはどう見ても、黙っている玉じゃないな」
と、軽く後悔の念を抱き、苦笑いを見せた。寅吉の不安は、的中した。
「旦那様、旦那様、大変で御座います」
「どうしたお政?」
「あのお客人は、あの家康様の懐刀のお方で…」
「何と!ああああああ、もう、私は終わりだぁ…」
「どうしたんですか、旦那様…」
「そんな、そんなお方を詐欺師呼ばわりに…いやいや、私はどうすればいいんだ…あっ、そうだ、昇太、板場にないのか、そのぉ~鯛のお頭付きとか、いや、もっと何か、ご気分を介さないものは?」
板場を預かる昇太は、小心者の喜之助に言った。
「旦那様、板場にはもう何もありませんよ」
「そうなのか…」
余りにもの喜之助の慌てぶりを見て、お政が言った。
「さっきから、旦那様は、何を恐れられているのです」
「だから、詐欺師呼ばわりを…」
「あのお方たちは、激怒などされてませんよ」
「いや、いやそんなはずはない」
昇太とお政は、心配性の喜之助に呆れて「はぁ~」と溜息を漏らした。
「では、有りものですが、主から、と何か差し入れされては如何ですか、本当に激怒されているかを確かめるために…お政、頼むぞ」
「そうしますか、はぁ」
昇太は、酒の肴となる物を思案し、庶民的なめざしを焼いた物を用意した。もし、渦中の客人が身分高きことを鼻に掛けている高慢な人であれば、火に油を注ぐようなもの。だからこそ、試してみる価値があるとお考えたのだ。
「お政、これを」
「めざし。こんなのでいいのかい」
「酒が好きなら、この味が分かるはず。お付の人は別として、あのお坊様は、このような物を余り召し上がって居られないのではと。そうであれば、これはご馳走に値するのですよ」
「そうなんですかねー。はいはい、じゃ、行ってきます」
お政は、幾度か天海の元を訪れて、その気さくさを肌で感じ取っていた。
「度々、失礼致します。こちらはこの宿をご利用頂いたお礼と申しますか、ささやかな心尽くしで御座います。どうぞ、お召し上りください」
と、出されたその心尽くしを見た、佐平と寅吉は、
「めざし…、あははははは」
と、笑い転げた。その態度に素早く天海は興味を見せたふりをした。
「うん、どれどれ…うん、美味い、旨いではないか」
「えっ」
佐平と寅吉は、顔を見合わせて、天海の疑念の正体を悟った。
「やっぱり、昇太さんの言う通りだったね」
「ほう、昇太さんの言う通りとは」
「昇太はうちの板場を預かる者でしてね、その昇太が言うには、お付の人には馴染みのある物でもお坊様の方には、美味になるはずと、申しましてね」
「ほぉー、この宿は良い板前を持たれておるようっじゃな」
「ほら、皆も食え、ほら」
「あっ、はい」
「それでは、何かありましたら、お呼びくださいまし」
「あっ、待たれよ。ここの主は、私達を怪しんでおろう。寅吉、宿泊代を前渡ししておきなさい」
寅吉は、荷物から財布を取り出し、天海に渡した。
「これで、足り申すかな。足りねば、勘定の時、遠慮なく言ってくれ」
と、五両をお政に渡した。
「こんなに…」
「これで、安心して頂ければ良いが…」
「充分過ぎです、はい」
「そうか。おお、それで頼みたい事がある」
「何で御座いましょう」
「あす朝、握り飯三つを三人分、それに水筒と草鞋もな」
「畏まりました」
「おぉ、そうじゃ、主に礼を言うておいてくれぬか。胃袋を満たしてくれたばかりか、懐具合まで心配して頂いて、と」
「確かにお伝え致します」
お政は、怪訝な面立ちで、立ち去った。
「天海様、悪戯が過ぎませぬか」
「良いではないか、主とあろう者が人を見る目を持たぬは、愚かなことであろう」
「今頃、主は生きた心地がしないのでは…」
「心配など要らぬは。奉公人に恵まれておる故」
「そうで御座いますな、あははははは」
お政は天海に言われたように、主・喜之助に伝えた。すると、喜之助は慌てふためいた後、腰を抜かした。
「どうしたねぇ、旦那様」
「あのお坊様が言ったんだな、懐具合まで心配して頂いて…と…はぁ~」
と、喜之助は、青白い顔で頭をたれと思うと急に立ち上がり
「お久~、お久~」
と女将の居る部屋へと、急ぎ、向かった。
「なぁ、昇太さん。旦那様は何故、あんなに慌てなさるのかのう」
「分からねぇーか」
「分かんね」
「懐具合って言ってなさったんだろう。ようは、旦那様が客人の懐具合を疑っていた事をあのお坊様はお見通しだったってことさ」
「そんなことぉ~、大変なことじゃないか」
「そうさ、旦那様は、徳川家ゆかりのお方を食い逃げ野郎の詐欺師呼ばわりしたんだ、そりゃー、生きた心地じゃないだろうな、ふふふふ」
「何が、可笑しんだ」
「今頃きっと、旦那様は、おっかー怖いようーって女将さんに泣きついているだろうな」
昇太の読み通り喜之助は、女将のお久の胸元に顔を埋めて、喚いていた。
「お久ー、お久。もう私はダメだぁー」
「どうなさったのです」
お久は、胸元に埋まる喜之助の頭を優しく撫ぜながら、包むように聞いていた。
「私は、私は、取り返しの付かないことをやらかしてしまった」
「それで、何をやらかしたんだい」
「将軍家のゆかりのお方を詐欺師扱いしてしまったんだ」
「それは、大変なことをなさいましたな」
「もう、私は終わりだ、終わりだ。朝が来れば、この首と胴体が切り離される。嫌じゃ、嫌じゃ、そんなの嫌じゃ」
喜之助は、お久の乳房に直接、顔を押し付け、人肌を感じずにはいられなかった。お久は、この世の終りを悟った喜之助の生への執念を優しく受け止めてやっていた。
一番鶏が朝の訪れを告げる頃、喜之助は眠れぬ夜を過ごし、憔悴仕切っていた。
天海らは、朝食を済ませ、宿を去る刻限を迎えた。昇太、お政ともうひとり年増女が、見送りに居た。内密に、との天海の申し出でにより少人数に。
「気苦労をお掛けしましたな」
「こちらこそ、色々、ご迷惑を」
と、年増女が、にこやかに挨拶を返してきた。
「そなたは、女将か」
「はい、お久と申します」
「ご亭主は、如何なされた」
「あの人なら今頃、布団を被って…ほほほほほ」
「そうか…後で、女将から謝っておいて下され」
「勿体ないお言葉。寧ろ、私は喜んでおります」
「ほぉー、何故ゆえに」
「脅して頂いたお陰で、昨夜は久しぶりに…おほほほほ」
「おお、そうであったか、それはそれは、く・く・く・く」
「人は面白いものですなぁ。死の恐怖は、生への執念になるのでしょうか、果ててはそれを認めたくない様にまた挑んでくる。お蔭でどうです、血色、肌艶が大きく若返ったような、ほほほほ。このようであれば、こちらからお願いしてまたお泊り頂かねばと感謝しております」
「そうであったか、主は今頃、精気を吸い取られ悲惨なご様子かと。ほんにおなごは強いものですなぁ。ほれ、これで主に精の付くものでも食べさせてやっておくれ」
と天海は宿賃の釣銭の全てをおかみに渡した。
「勿体ないことを。礼を言わねばならないのはこの私で御座いますのに」
「よいよい、坊主に金は似合いませぬ故、どうぞどうぞ」
「それでは遠慮なく頂きます。このお金で奉公人に旨い物でも食べて貰おうとおもいます」
「そうしてくだされ、では、我らは先を急ぎます故、お健やかに」
「また、お近くにお立ち寄りの際は、是非、当宿をご利用くださいませ」
「そう致そう、それでは、世話になったな」
天海らは、馬に乗り、宿場はずれまで、ゆっくりと馬を歩ませた。
「お政、あのお方らは、何者ですか」
とお久は世話をしていた女中に尋ねた。
「詳しくはおっしゃらなかったのですが、江戸の町を作られているとか…」
「そうですか…、行ってみたいですね、あの方が、お作りなる江戸の町に」
「はい」
「では、皆で行きますか、江戸見物に」
「それは、叶えば、嬉しいことです」
「叶うように、皆で頑張りましょう」
「はい」
帰城の道中、馬の体調と腹具合を考え、休息を天海らは、とった。
「民は、取るに足りない日々の喜怒哀楽を謳歌している当たり前のように。それが天下泰平の世なのですね」
「いきなりどうした佐平、悟りでも開いたか」
「おからかいを」
「いやはや、そうですな、その通りですぞ」
「またまた」
「戦など民には無関係なこと。されど、国を支えるは、その民の日々の行いに
よって成り立つものと言う事を忘れてはなりませぬ」
「天海様が天下泰平を望まれるのは、この国の往く末えを重んじての事と分かり申しました」
「今更ですか、それは困りましたなぁ」
「いや、つくづくそう感じたと言うことです」
「左様か」
「戦など権力争いの悪行よ。されど、悲しいかなその権力を握らなければ、何も出来ぬのも事実」
「必要悪ですか…」
「ほぉー、深い言葉を知っておるな」
「からかいが過ぎます、天海様」
「く・く・く・く。身を持って感じれば、何をすべきか、するべきではないか、分かり申そう」
「はい。百聞は一見にしかず、ですね」
「そうよ、何事もこの目で見、肌で感じることが大切」
「そうで御座いますなぁ」
「寅吉はどう思う」
「お二人の言われる通りかと」
「こずるい返答じゃな」
「そのようなこと…真実は、立場で変わるもの。故に、他に惑わされず、心眼で見る力を身につけなければならないと、思うただけで御座います」
「その力は、どのように身につけるのかな」
「それは…」
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