第39話 3/15 眉間にしわ寄せ沽券を打ち砕く

 「条件とは何じゃ」

 「新たな火種を作らぬためにも、秀忠殿には知らせたくは御座いませぬからな…。何かと用事を申し付け、秀忠殿不在と致しまする。要は、お江、国松、竹千代君とで会うようにとね」

 「それで、家康に何をさせたのじゃ」

 「駿府城で隠居なされている家康様。隠居とは言えど、権力は言わずと知れたこと。その家康様に、江戸城と町づくりの視察と言う名目で、登城して頂きました」

 「それが、仕掛けと、どう関わるのじゃ」

 「く・く・く・く・く…、それが大有りで御座いましてな、家康様が来られたら、残されたお江はどう致しますかな」

 「それは、御機嫌伺いに参りますわな」

 「それが狙いでしてな」

 「狙いねぇー」

 「お江にしてみれば、千載一遇の機会と舞い上がって、接見するに違いない、と」

 「う~ん…」

 「欲に支配されたお江に周りを見る繊細さなど微塵もありませぬわ、く・く・く・く。お江のことです、良き機会と思い、竹千代の病弱なこと、人目を憚らんばかりの趣味趣向、将軍として、気弱なこと、それに引き換え、国松は、快活で健やかなれば、次期将軍職に相応しきとでも、雄弁に直訴するのでしょう…。ほんに、浅はかな女で御座いまする、く・く・く・く」

 「それで家康が登城して、如何致したのじゃ」

 「それはですな…」


 天海は当日の事を思い出していた。

 「家康公の、御成ーりー」

 「ご機嫌麗しゅう御座います」

 「久しぶりじゃな、お江、健吾であったか」

 「お陰様を持ちまして」

 「うん、そうか」

 お江は、傍に立った国松を抱えるように従えていた。襖の影からひょこんと顔を出す竹千代。その姿を見つけると笑顔で竹千代を家康は呼び寄せた。

 「じーじ」

と叫び、飛びかかる竹千代を家康は膝の上に座らせた。それを見てお江は、直様、国松を抱える手を解いた。国松が一歩踏み出した時だった。

 「長幼の儀礼をわきまえないとは何事か、控えなされ。竹千代殿は兄、世継ぎとなる身。国松殿は弟、臣下となる身。同列に並ぶことは、許さぬ」

 その言葉に、御機嫌伺いと称し媚をうろうと遠巻きに控えていた幕臣たちも凍りついた。それは、幕臣たちを翻弄させた次期将軍の座が、竹千代であることが明白になった瞬間だった。

 その瞬間、お江の顔から血の気が引いた。結局、家康は、しばし、竹千代と戯れ、立ち去った。

 秀忠が家康からの用事を済ませて帰ると、お江は直様、秀忠に泣きついた。

 「如何した」

 「家康公が竹千代を三代目将軍にすると…。長男が亡くなり、次男、竹千代が継ぐのは道筋かと、しかしながら、病弱の上に吃音のある竹千代より、容姿端麗、才気煥発の国松の方が将軍に相応しい限り。ましてや国松こそ我らの子、何卒、何卒、家康公にお考え直されるよう、秀忠様からお頼み申し下され」

 「父上がそのようなことを…。今の将軍職は我にあり、次期将軍を私に相談もなく決めるとは、ご無体なことを」

 秀忠は、江戸城に残る家康に直談判を図った。

 「ああ、秀忠か、如何致した」

 「ご機嫌麗しゅう」

 「父上のご壮健ぶりには、家臣皆々、驚きいっておりまする。大坂の陣においては、冬と夏の二度のご出馬の上、ご奮戦あそばせ、この度は関東一円にひと月に渡るお鷹狩り」

 「物見遊山じゃないぞ、伊達政宗の謀反心をくじかんが為じゃ」

 「効果は覿面で御ざりましたわ。伊達政宗はじめ奥州の諸大名は、余程、恐れをなしたか、 年内には江戸に施行する運びで御座います」

 「さて、秀忠、構えてそちに相談がある」

 「はぁ…」

 秀忠は、意を見透かれたように感じていた。

 「竹千代を駿府に連れて行き、儂の元で養育したい」

 「ほぉ…」

 「来年は京都で元服させ、宮中に参内して叙任じゃ」

 「恐れながら、竹千代はこの秀忠将軍家の世継ぎで御座います」

 「その世継ぎが、粗略に扱われておる」

 「何と仰せられまする」

 「家臣の間では、竹千代は廃嫡され、国松が立てられると、もっぱらの噂じゃ」

 「いや、滅相もないことを」

 「お江は、あれだそうじゃなぁー、竹千代を毛嫌いして、口もきかぬとか」

 「い…いや、それは偽りで御座いまする」

 おどおどする秀忠を尻目に家康は激昂した。

 「偽りにあらず、儂がこの目で確かめた。竹千代の小姓までもが国松に媚び諂うは尋常にならん」

 家康は、自分の言葉に酔うように鬼の形相と化していた。


 「お言葉ながら、竹千代は、乳母の福が養育致しておりまする。して、二人の母たるお江は、国松のみを養育致しておりまする。さすれば、傍から見れば、寵愛と見えるは止む終えず…」

 「さにあらず。お江は、織田信長の姪じゃ。さればこそ、国松に信長のひ孫を娶らせ、織田家の再興を図っておる。国松を三代将軍にと企んでも、不思議はあるまい」


 秀忠は、その口調・表情から父・家康の強い決心を痛いほどに感じていた。


 「父上、その義はこの秀忠が…」

 「駄目じゃ。…そちはお江に頭が上がらぬではないか」

 「あはははは…」


 秀忠は、自らの存在を家康に否定されたように、悲痛な思いながら、強ばった笑顔を作って見せた。秀忠を、関ヶ原の合戦での遅刻の悪夢が襲いかかっていた。


 「笑いことではないぞ、長男を持って、世継ぎと成すは古来の仕来りである」

 「無論、承知に御座いまする…」

 「このままでは、竹千代が危ない。駿府にて養育し、儂の手で三代将軍となす」

 「それでは、それではこの秀忠の顔が立ちませぬ」

 「竹千代が廃嫡されては、この儂の顔が立たん。既に縁組した鷹司家に何と言って頭を下げる」

 「いやいやいや、何卒、何卒、竹千代の義は、この、この秀忠にお任せ下されまされー」

 「任せら・れ・ぬ、と申しておる」

 「必ずや、必ずやこの秀忠が、竹千代に将軍家を相続させまする」

 「駿府の方が、安心じゃ。儂が念入りに養育し、もし、将軍の器に叶わぬであれば…」 

 「叶われば何と致しまするか」

 「知りたいか」

 「知りとう御座います」

 「教えて遣わそう、それは、尾張の吉利をもってこれに変える、どうじゃ、わはははは」


 思いもしなかった家康の決断に、沽券にされた秀忠は狼狽の色を隠せず、獅子身中の虫とされ焦っていた。


 「父上、その義は、平に平にご容赦。お江にも、よう申し付け、神明に誓うて必ずや御意に従うべく、あい務める所存で御座りますれば、何卒、何卒、何卒…」


 天海から申し出のあった、お江の策略を飲んだ家康は、悲痛な秀忠の思いとは裏腹に、意気揚々と、してやったりの充実感に満ち溢れていた。

 釘を刺すだけ刺して、翌日、家康は何事もなかったように江戸城を経ち、駿府に戻って行った。この時、竹千代はまだ、江戸城に残されていた。

 狸親父の異名らしく、秀忠を窮地に追い込み、動きがとれないようにしつつ、秀忠の義とやらを、ぎりぎり繋ぎ留めて見せたものだった。

 そうしておいて、秀忠・お江の出方を見守るという、危険な賭けに家康は、出ていた。そこには、家康の思いが見え隠れしていた。この程度の内輪揉めを解決できずして、何が天下人よ。おなごに頭の上がらぬ腑抜けさを恥、舵を切ってみろ。戦国の乱世を生き抜けば、幾ら安泰と言えど、遺恨が残って然り。その遺恨もしっかり見据えねば、何が政権安泰か。そう、家康は、秀忠に問いかけていたのだった。

 家康は、竹千代を亡き者にしても国松の道はない。そう、明言して見せた。お江が欲にまみれ動けば、将軍の後継権は、尾張に移ってしまう。それは、お江の動きを止める目的に他ならなかった。



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