第40話 3/25 思い付きの脈略、それが記憶
家康にすれば、我が子、秀忠への微かな期待が即断、即実行の動きに、待ったを掛けさせていた。とは言え、万が一を考え、万全を期するため、竹千代の身辺には養育補助の者として家康肝入りの警護のための忍びの者を配していた。
秀忠は家康の本気の怒りを心に抱き、その原因とも言えるお江に経緯を報告した。
「危うく、竹千代を駿府に拐われるとこじゃった。駿府にて養育し、父上の子として、将軍になさると」
憔悴しきった秀忠に対して、落ち着き払いながらも、腸が煮えくり返っているお江がそこにいた。
「またしても、お福の入れ知恵か」
「そうともばかりとは言えぬぞ。お江、そなたの一方的な国松贔屓は家臣の目にも明らかじゃ」
「何とおっしゃいます、竹千代も国松も私の子で御座います。ただし、将軍の器に相応しいかどうかは、別のことで御座います」
「またもやそれを言うか…お江、三代将軍は竹千代じゃ」
「竹千代は、女々しゅ御座います。侍女の衣装を纏い、口紅や頬紅をつけて…はぁ」
「子供の悪戯じゃろう…」
家康に釘を刺された秀忠は、お江からすれば、
腑抜け同然の、不甲斐ない男に見えていた。
「逸そ、竹千代を駿府にお遣わしくださりませ」
「戯けた事を申すな、もっての他じゃ。忽ち、大御所のご不許を被り、廃嫡となるは、必定。竹千代に将軍としての器量あらずんば、吉利をもってこれに変える、と父上は仰せじゃったわ」
「吉利殿を…。ううう…。大御所の本音が分かり申した」
「さればこそ、竹千代を大切に、大切に、育てねばならんのよ」
と、このようなやり取りがあったとかなかったとか、で御座いますよ」
「秀忠の面目は、まる潰れじゃな」
「それからと言うもの、お江とお福の確執は、より一層、深みを増しましたよ。ただ、竹千代を亡き者にすれば、国松の将軍の道も閉ざされる。家康様らしいと言えば、らしいのですが、正直、私は、肝を冷やしましたよ。確かに、駿府で育てるより、幼き頃より、家臣の目に触れさせ、敬う忠誠心を育てるには、江戸城であってこそのことでしょうから」
「そのようなものかのう、儂には分からぬわ」
「僧侶の世と、いまそなたがおる世では、何もかもが違いますからな。とは言え、そなたも分からぬ、分からぬでは困りますぞ」
「分かっておる、分かっておる」
恵最扮する家康は、邪魔くさそうに頷いて見せた。
「大丈夫ですかのう、お頼み申しますぞ」
「おおおう、そうじゃ、この機会にそなたに聞きたいことが」
「何ですかな」
「そなたが言っておった得体の知れぬ、ほれ、あの、堺の商人の何と申したかな」
「ほぉー越後忠兵衛のことで御座いますかな」
「そうそう、その越後忠兵衛の事を聞かせてくれぬか」
「そう言えば、恵最はまだ会ったことがなかったな」
「家康は会っておったのじゃろ、ならば、儂も知っておく必要があるのではないか」
「…、知った所で…、役に立つ訳もなくですが…」
「そう勿体振るでない、ふたりの間で隠し事など…な」
「まぁ、良いか、とは言え、私も詳しくは知らぬのですが…・」
「知らぬより知っておいた方がじゃろ…のう」
「まぁ、良いか。ならば、掻い摘んで。忠兵衛は、大坂の堺の商人でな、鉄砲を手に入れ、それを職人に分解させ、その仕組みを習得させ、更に我らに使い勝手の良い物に仕上げさせ、諸大名に売り、大儲けした。その際、職人が何を作っているか分からぬように、部位専門の職人を組織した。これには、鉄の配合の秘密漏洩を防ぐ為だった」
「用意周到な上に、頭が切れるな」
「そうですな。さて、そこで大名らと築いた関係を活かして、異国との貿易で得た品々で更に儲けて豪商と呼ばれるように。そこで得た金を元手に資金繰りに苦しむ大名に金を貸し、関係を更に深めて、特産品の販売権や独占権を得て、藩そのものの財政にも大きく関わり、権力を手に入れた。ある時、借金を返せなくなった大名が、忠兵衛の暗殺を目論んだ。用心棒が幾人か犠牲になったが、忠兵衛は無事だった。これが忠兵衛の転機となった。同じような悩みを抱える商人と手を組み、閻魔会を結成。
名の由来は、金を借りる時は、神と崇め、返す時には鬼と呼ばれることからと、言っておったな」
「世の常よな、悲しき者の勝手なり」
「忠兵衛も同じじゃよ。心優しい男が鬼と化した」
「鬼とな」
「金の力で大名を追い込み、自らに都合の良い条法を幾多も作らせ、実行させた」
「命の危険を恐れなかったのか」
「それも忠兵衛を鬼にした要因ですよ。常に命の危うさをひしひしと感じていた。
そんな時、ある出来事から、忍びから足抜けした者を助けた。逃げてきた忍びへの追っ手をやめる条件を忍びの里に突きつけ、その代わりに援助や働き口の世話などを行った。それは、流派を超え、伊賀、甲賀とも通じるきっかけになった。そこで服部半蔵と出会ったそうな」
「半蔵は、貧困に苦しむ仲間を援助してくれる忠兵衛に甚く感謝し、行動を共にすることになる。当時は、甲賀だ、伊賀だと睨み合うことはなかったゆえにな。有能な者は、家康の為、忠兵衛たちの為に従事した。閻魔会に敵対する組織の者の暗殺、歯向かう武士に罠を仕掛けて失脚させるなどは、日常茶飯。いつしか、闇の将軍とまで呼ばれた人物ですよ」
「そんなに恐ろしい奴なのか」
「そうですな、敵に回せばね」
「闇の組織であれば、噂はたっただろうが、所詮は噂話、歯向かう者などおらぬだろうに」
「それがいたのですよ」
「霞を喰らう者がのう…。便乗して名でも売ろうとする者か」
「そうではありません。奴らの存在は噂の域を出なかった」
「では、どこのどいつが歯向かったのじゃ」
「そんな閻魔会に立ちはだかったのが、利権の全てを手に入れようとした信長と秀吉だったのですよ」
「信長と秀吉に立ち向かう…何という怖いもの知らずの者よ」
「直接と言うより、彼らが作る御条法や思い付きと言うべきか。鶴の一声で今まで築かってきた牙城を崩されたくないのは必定。そこで忠兵衛らが、閻魔会の表の駒として、目につけたのが徳川家康だったのです。勿論、半蔵の雇い主でもあり、話が通りやすいと考えてのこともあった。いや、偶然と言うか家康の信頼を得ていた半蔵との出会いがあったからこそでしょうな…、将に運命の出会い」
「その運命を得て王には、玉を得て、対抗すると言うことか」
「将棋の例えか、まぁ、そうじゃな。そこでそなたが言う玉を得るため、私こと明智光秀を選んだのじゃ。今は亡き、光秀も一度は天下人を夢見た者。その者が家康自身を援護してくれる。それは孤独な戦国武将にはこの上ないこと。特に自暴自棄になりがちな家康にはね。その為、武士の光秀でなく、僧侶の私がいる。下剋上はありませぬからな。そうそう、本能寺の変もまたこれに違わず。光秀を得るための便乗商法だったのですよ。その情報は至る所に密偵を配置。借金を棒引きにする代わりに内通者に仕立て上げられた者も数知れず。その情報の中に光秀の謀反…があり、事前に知った忠兵衛たちは、あらゆる筋書きと人材を備え、その時を待っておったのじゃよ。
その時は思いがけなく直ぐに現実味を浴びる。これも忠兵衛の持つ運と言うやつか。その際、都合の良いことに、信長による家康暗殺の情報も転がり込み、更にイエズス会とこの光秀が関わっていることをも突き止めた。その後のことはそなたが知っておるようなものじゃよ。忠兵衛たちは、解きほぐしやすい私に目をつけた。 それは、服部半蔵の助言が大きかったのに違いない」
「半蔵の存在を如何にして突き止めたのじゃ」
「突き止めたも何も、私が閻魔会に囚われた時、半蔵が、忠兵衛との仲介をしておったからな」
「ふむふむ」
「それから、色々あって、今に至る」
「家康は、忠兵衛と会っておるのか」
「一度かニ度か、ですかな。 大概は私を介し、意思の疎通を図っておりまする。 初めての家康との関わりは、本能寺の変の時、堺を遊覧していた家康を、私の明智軍の一部が 追い詰めた時ですかな。ただ、あれは、情けない話、私の家臣の中に信長に通じている者がおり、我が軍を騙し、信長の命令を果たそうとしたものでしてな」
「家臣に内通者がいたのなら、本能寺の変は…」
「それも運命と言うか、信長の命により当初は秀吉の援軍、実は家康の暗殺。それを確かにするため別班を堺に向かわせて負ったのよ。その中に内通者がいたのよ。よって、信長への謀反はばれずに済んだ。そういう意味では私にも違った運があったやもしれぬな」
「そなたも家臣に裏切られておったのか」
「それも戦国の世では、珍しきことではなかろうて」
「そう言うものなのか…、難儀なものよなぁ」
「そなたが言ったではないか、将棋のような、と。敵と思えば寝返り、味方に。味方と思えば寝返り、敵に。まさに、敵は味方の振りをして平然と動くものですよ」
「何を信じれば良いのかのう」
「我が身の嗅覚ですかな」
「では、そなたには、その嗅覚とやらが足りなかったと言うことか」
「ほんに、双子だけあって、毒の吐き方が家康様と同じですな」
「それは褒め言葉と受け取っておくか」
「そう言うことにしておきましょう」
天海の直感は、恵最の楽天さを頼もしくも、驚異にも感じていた。
「そうそう、忠兵衛らを甘く見れば怪我をしますぞ。家康を本能寺の茶会直前に、堺遊覧に連れ出したのも、閻魔会の手引き、策略でしてな。その大胆さは侮れないものですぞ。追っ手に窮地に追い込まれた家康様を同じ身支度をさせた影武者を囮に、危機を切り抜けさせた。それがあっての閻魔会と家康様との最初だったかと…、それで家康様の信頼を得て、幾多の行程を経て私、天海の登場となりまする。 家康、天海の初めての出会い、と申すか再会。その後のことは、そなたも知っておろうが」
「ああ、家康に万が一の事があればと、そなたからの使者の報告で、知るに至っておるわ」
「そうそう、大坂の陣で大筒が、天守閣を壊したであろう」
「聞き及んでおる」
「あれは、大坂の陣に向かう前に、家康が忠兵衛に持ちかけたものでな、家康様曰くは、優秀な鍛冶屋職人がおるなら、今までにない大筒を作れぬか、と問われて、
忠兵衛がそれを受けて、作らせたものですよ」
「そうであったか…」
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