第37話 微笑みの裏で般若が笑う
「そうか…まぁ、心配はいらぬわ。お福とはできる限り、会わぬようにしておるわ。お福に限らず、家康をよく知る者とは、何かと理由を設け、会っておらぬわ」
「良き、心がけかと」
「しかし、何故、今なのじゃ…。そのような調べ、お福を乳母として、傍に置く際に家康大事とあれば、天海自身が調べれば良かったものを」
「あの頃は家康様がご存命のこと。気にも止めなかった。しかし、今となれば、蟻の穴も澪とせぬゆえにな」
「そうじゃな、お福については、前もってそなたに言われたようにその素性、徳川に恨みを抱く血縁がいないかなど、調べはついておるわ」
「ほぉ~なら、聞かせてもらおう、お福とは何者なのか。返答次第では、お福も竹千代も抹殺を余儀なくされるゆえにな」
「恐ろしいことを、それでも仏門に身を預けた者か」
「言われなくとも重々承知。私も鬼に化しても成し遂げねばならぬゆえに…もう、私に残された刻限はないものと感じておるゆえ」
「私にもその刻限はないと言うことか」
「似たような年を重ねておる。他の者から見れば化物よ」
「化物か…ならば、化物らしく生きるか」
「何でもよい、お福のことを話すがよい」
「何故か、苛立っておるな、そなた」
「お福とやらがやけに気に掛かるのじゃ。やつこそ化物ではと」
「そなたに掛かれば、みな化物にされそうじゃな」
「減らぬ愚痴はよい、さぁ、話せ、話せ」
「なら、よく聞くがよいわ」
「ああ、待て、その前に恵最に聞いておかねばならないことが有り申した」
「話の腰を折るのは、如何なものかと」
「済まぬ、胸騒ぎが収まらぬゆえに、心、乱しておるわ」
「まぁ、そなたも人じゃ、良きとしよう、それで何じゃ」
「はっきり申すぞ、そなたおなごと情を交わしたことがあるのか…お福とその…その…」
「安心致され、情は交わしておらぬわ。下の具合や夜の趣向は幾ら似ていても異なる故にな」
「良き、心がけですな、それで」
「坊主であっても、おなごには興味がある。修行の合間に寺銭を誤魔化し貯めて、遊女とな」
「遊女か、それなら良かろう、安堵した」
「では、お福のことを聞かせて貰おうか」
天海は、興味深く、恵最のお福に関する話を聞いた。一方、恵最は意気揚々と滑らかに語り始めた。
「お福(後の春日局)は、天正七年、丹波の国で生れた。名門戦国武将・斎藤利三の娘じゃ。何不自由なく育てられたが、本能寺の変によって、お福の生き様は激変したのじゃよ」
天海は、すくっと立ち、恵最に背を向け、天守閣から城下を眺めた。その態度を恵最は、不思議そうに見て、言った。
「続けるぞ…気づいていようが、本能寺の変の際、信長を襲撃した明智軍の主力部隊を率いていた、筆頭家老の利三じゃよ」
「そうか…」
「利三は、秀吉に捕らえられ、張り付けにされ、六条河原で斬首となった。お福は、謀反人として処刑された父の姿をその幼い目で見たそうじゃ」
「なんと、哀れな…、お福も見ておったか…済まぬ…」
「続けるぞ…本能寺の変のほとぼりが冷めた頃には、お福は十歳になっておった。その頃、母と共に京都に戻ってきた。そこで転機が訪れる。十三歳になったお福は、母方の親戚筋にあたる公家の三条西家の侍女として奉公に上がることになった。三条西家は、京都公家衆、名門中の名門。その奥方付きとなったお福は、よく働き、行儀作法は勿論、和歌などの教養を貪欲に学んだそうじゃ。十六歳になったお福は、八歳年上の稲葉正成の妻となった。正成は、名門小早川家の城主、秀秋の重臣だったのじゃ」
「秀秋とな、これまた明智平の件で気苦労をお掛けする黒田長政に関わる人物とゆかりか…」
「世間は狭いものじゃなぁ…では、続けるぞ。お福が輿入れして三年後の慶長五年、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、西軍に参戦した小早川秀秋に、黒田長政と共に、稲葉成正が、東軍への寝返りを進言した。その後の事は、天海殿の方がよく存じておるじゃろーて」
「ああ、それは、それは、大功労者のひとりとして、よく覚えておりまする」
「その後、稲葉成正に何があったかは分からぬが、自らの処遇を巡り主君と対立しよって、何を思ってか、城を出て、故郷の美濃の国へと戻ってしまったそうじゃよ」
「そのようなことがあったのか…存じぬこととは言え…欲を掻いたか…不遇か…雲行きが気になる所ですな」
「察しの通り、お福は扶持のない浪人になった夫と、二人の男の子を抱え途方にくれることになったのじゃよ」
「不憫なことですな」
「見る見る暮らしは、行き詰まり、蓄えていた金も底をついた。そんな折じゃ、お福に耳寄りな話が舞い込む。京都で、二代将軍秀忠の若君の乳母を探しているとな」
「そうでしたな…」
「秀忠の正室、お江が、初めての子の養育に際し、こんな条件をつけよった」
「それは、どのような…」
恵最の調べに関して天海は、よく調べていると少なからずも驚いていた。
「野暮なむくつけ関東の女に、わが子を育てられるのは嫌で御座います、とね。
この乳母の求めを知ったお福は、ちょうど三人目の男の子を産んだ頃だったそうな。お福は、往くすえの不安を募らせていた。このままでは、夫おろか、可愛い子たちの往くすえも危うい。夫が頼りにならぬなら、この私が、とね」
「気丈なおなごですな…」
天海の目頭から一筋の雫が、頬を伝い流れていた。それは、面談当時のことを思い出してのことだった。恵最には、天海がお福と面談した事実は知られていなかった。
「お福は、稲葉正成を説き伏せ、子供たちを預け、ひとり京へ。京に着くと、三条西家の伝手を頼って、「私を若君の乳母に」と名乗りを上げ、京都所司代と面会。強力な伝手を得て、見事、将軍の嫡子、竹千代の乳母に。お福は、正成との子以上に、竹千代への愛情を注いで、育児に勤しんだ、と聞き及ぶ」
「恵最よ、ひとつ、そなたが知らぬことを、教えよう」
「知らぬこと…それは何じゃ」
「何故、私がそなたにお福との夜伽のことを聞いたのか…。悪趣味からではなく、竹千代君は、家康様とお福の子よ。秀忠は、家女との間に長男・長丸を授かっておった。これにお江が激怒し、以後、秀忠は、お江との間におのこが生まれるまで、夫の種を決して、他のおなごに渡さなかった。これはあくまでも噂ではあるが、長男・長丸がお灸によって、僅か九ヶ月で病死したのは、お江の策略とな」
「そのような事が御座ったのか」
「そればかりではなく、お福との子を家康は、お江に秀忠の次男、竹千代として育てよ、と押し付けたのよ。お江は、家康の申し出を渋々、承諾するしかなかった。我が身を恨んだろうな。この時、おのこを授かっておれば苦悩はなかったはずじゃからのう。それでも、お江は、次期将軍は我が子にと、諦めなかった。幼い竹千代を手懐けて、思うままにしようと試みるも、本能といいまするか、竹千代は、お江の策略を悟ったようになつきませぬでな、お江を困らせたのですよ。なつかぬ子は、可愛くありませぬからな。ましてやお福には、嫉妬するほどになつきよってな、流石、血の絆は、本能で敵味方を感じ取るものですなぁ」
「そうであったか…それゆえ、お江が、三男・国松を授かると、次期将軍候補の竹千代に見向きもしなくなったのか」
「お江にしてみれば、やっと子種に恵まれ、おのこを産んだ。秀忠との子でなくても、我が子は可愛い。確証はなくても、秀吉、長丸の暗殺に加わった、いや主謀者だったお江に竹千代を任せる訳には、益々、承諾を許さぬことと、成ったのですよ」
「戦場は、野戦から奥屋敷に移った訳か」
「気を付けなされよ、お江が次に狙うは、竹千代を次期将軍と思われている、恵最の演じる家康で御座いますぞ」
「驚かせるではないは」
「決して、戯言ではありませぬ、お気を付けなされよ」
「…」
「お江の子が、国松と言うのも数奇な運命でありまする」
「どういうことじゃ」
「ご存知ないか、豊臣秀頼の嫡子の名が国松ですよ」
「そうであったか…武家の習わしは難儀な事、多しじゃな」
「作用で御座いますな」
「なるほどな、流石、家康の子じゃな、竹千代は。しかし、病気がちな竹千代は、心配じゃな」
「ゆえに、恵最、そなたも気を許さず、見守ることよ」
「相分かった」
「これで終わりでは御座いませぬよ」
「なんじゃな」
「お江になつかない竹千代。一旦は、渋々も次期将軍は竹千代と諦めてみせたものの、手懐けて、思うようにしようと企むも、竹千代が、それを拒んだ。本能的にでしょうが。国松は流石に血の繋がりか、お江になつきましてな、お江も国松を溺愛するように成り申した。当然、そうなれば竹千代への風当たりは強くなる。なれば益々、竹千代はお福を頼る。そこで事件が起こるのですよ」
「ほおー事件とは何が起こった」
「気弱な竹千代は、母に愛されないことを悔み、自害を図ろうとして、間一髪、助けられたのですよ」
「自害を図るとは、只事ではありませぬな」
「その竹千代の行動が、お福を突き動かしたのですよ。このまま、お江に竹千代を任せておけば、竹千代の気が可笑しくなるか、気の病で死に至るのではと。そう感じたお福は、我が子を守る一手を打ったですよ」
「ほほおー、その一手とは」
「将軍の座を国松に奪われる不安と、竹千代の苦悩を痛いほど感じたお福は、病弱な竹千代のことを思い、伊勢参りに行くと偽り、江戸城を抜け出したのですよ」
「それで、どこへ行き寄ったかな」
「向かった先は、家康様が隠居されていた駿府城ですよ」
「直談判か…幾ら竹千代の産みの親としても、身内の恥を曝け出すとなれば、お手打ちもありますな」
「最悪、それも覚悟の直談判だったのでしょう。お福は、家康の前で、思いの丈を張り上げた。実は、その時、私は、家康様と囲碁を打っていたのですよ。その時、お福が来たとの知らせを受け、隠れ、家康様とお福のやり取りを襖越しに聞き入っていたのですよ。家康様にすれば寝耳に水の戯言、お福の思い過ごしと相手にせずに聞き流す有様。それでも、お福は、死を覚悟で家康様に訴えてくる姿に家康様が怒りを顕にし始めたので、私は咳払いをして、その場を断ち切ったのですよ。お福は、連れ出され、帰されました。お福は、思いの丈が伝わらない苛立ちともし、この事がお江に耳打ちされれば、お役御免ばかりか、死罪も覚悟せねぬからな」
「それでどう、なったのじゃ」
「怒り心頭の家康様を、取り敢えず落ち着かせ、私がこの件を預かる、と言うことで、その場を収めたのですよ」
「それから、天海殿はどうなされた」
「直様、半蔵を呼び寄せ、真偽を調べさせた。その際に、国松の出生の秘密を暴くようにと命じてな」
「そなたは、お江を怪しんでおりましたからなぁ」
「半蔵は、よくやってくれましたよ。くノ一をお江の傍に送り込み、奥屋敷内の痴話ばなしや、奉公人が通う行く先々で、噂を探らせた。そしてついに、酒場で調子の良い事を言う、ある武士を探り当てた。その男は、上手いことをやって金蔓を掴んだ奴がいる。その男が羨ましも憎ましいとぼやいていたそうな。その近づき、出生の秘密を聞き出したそうな。それによりますとな、二代将軍となった挨拶の為、秀忠が京都に出向いた間、お江は、おのこの種を探した。探し当てたのが、浅井家の家臣であると突き止めましてな。重要な証言を元に、くノ一がその家臣に近づき、見事に寝物語で密会の事実を聞き出したのですよ」
「ほーほーそれでどうなった、儂も知っておかねばな」
「国松の出生の秘密は掴み申した。同じくして、竹千代君の身を案じ、江戸城には家女とお江の御側役人を引き込み、密偵として忍ばせていたのです。その報告では、江戸城はまさに案じていた心配事が…。二代将軍秀忠の正室・お江は、国松を溺愛している。それは、諸大名にとっては、次期将軍に違いないと思わせるのに充分な事であった。江戸城のおもだった家臣は、国松(後の忠長)こそが次期将軍と思い、御機嫌伺いに日参してくると言うものだった。さらに、密偵からは決定的な、お江と国松との会話を聞いた。それは、お江が国松にこう言ったそうな。国松を抱き寄せ、「そなたこそが次期将軍じゃ」、とな。国松が、「兄上は…」と返すと、「あれは兄ではない」、と、お江は、微笑んで言ったそうよ。これで、お江が浅井家の血を引く、国松を次期将軍にしようと企んでいることが、明白と成り申した」
「して、国松の父は、誰なのじゃ」
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