第15話 6/25 時間厳守。守れぬ者は馬鹿を見る。
「済まぬ、済まぬ。許してくだされ。しかし、これで、時代は動きまする。それで、良しと致しましょうぞ」
家康は、小馬鹿にされた思いと、これからの成り行きを思えば、複雑な思いになっていた。ふと、天海に会えば言わなければならない重要なことを思い出した。
「天海殿、言い遅れましたが、この度は、我らの争いごとに、娘・珠様を自害に至らした事、誠に持って、お悔やみ申し上げまする」
「それはそれは、お気遣い忝く存じまする」
家康は、天海の落ち着き払った態度に、困惑を覚えていた。これが、悟りを開いた者の心情なのか。不思議な感覚に襲われていた。
「そんなに不思議かな、私の落ち着きようが」
「流石に天海殿、私の気持ちをお分かりか」
「家康様は、特に分かりやすい、お方ですからな」
「小馬鹿にされるは、三成で充分じゃ」
「済まぬ、済まぬ。まあ、お詫び代わりに、家康様に会わせたい者がおりまする」
「誰じゃ、そなたらの会わせたいには、もう驚かぬは」
「半蔵さん、用意はできておりますかな」
「整っておりまする」
「それでは、お願い致す」
天海がそう言うと、半蔵が、屋形船の障子を開けた。川面は、すっかり暗闇が支配していた。対面する所に薄っらと屋形船が見えた。少しづつ近づき、闇の中でも、かなり鮮明に見える位置に来た。対面する屋形船の行灯に灯りが点った。障子越しに、一人の人物が浮き上がった。障子が、ゆっくりと左右に開く。女だ。後ろを向いた。
「もったいぶらずに、こちらを向きなされ」
ゆるりと、女が振り向いた。妖麗な女だ。着衣が異国のような派手なのも、その妖艶さを、より際立たせて見せた。女が口を開いた。
「わらわは、ガラシャと申します。生前は、細川珠を名乗っておりました」
「ひえぇぇぇー」
家康は、背骨が抜け落ちるような驚きと、恐怖に寒気を感じた。
「天海殿、おふざけが過ぎまする。どんな妖術をお使いになった。もう~良い、宜しゅ御座います。消して下され、早う、早う」
「家康様、落ち着きなされ。幽霊では御座いませんぬ。珠も生前などと、茶化すではないは」
「家康様、ほら、ご覧なされまし、このように足が…」
ガラシャは着物の前を左右にはだけさせ、生足を見せた。
「なんと、はしたない。よしなされ」
天海とガラシャは、扇子で口元を抑えて、笑った。珠はガラシャになってから、明るく活発な女性へと変貌していた。
「夢ではないのだな」
「確かにこのような妖術が使えれば、楽しゅう御座いますでしょうな」
「しかし、珠様は、自害なされて、家臣に首を撥ねさせ、その首を絹の布に包ませた、とお聞きしておりましたのに」
「私もすっかり騙されました…と言いたいところですが、種を明かせば、私が騙された手口をそのまま、使わせてもらっただけで御座いますよ」
「どういう意味で御座るか、一体、何が何だか分かりませぬ」
「ほら、私が生前、明智を名乗り、信長という男を葬った、とされる昔話ですよ」
「本能寺の変ですか」
「あの時、信長も油を撒いてそれこそ、私も煙に巻かれましたわ」
「それと、この度と同じとな」
「左様でございます。忠兵衛の密偵から珠が人質に囚われるやも知れぬと聞かされ、ひと芝居打ったので御座いますよ」
「そうであったか、しかし、首を撥ねたとかの話は…」
「それも、真似させて貰いましたわ。あの時は、忠兵衛などが手配して、変わりの首を用意して頂いた。それで、私は、死んだことになりましたな。しかし、その首は実は誰の者か判別出来ないように、細工されておりましたな。それでも、実体があったとみなされ、後は情報操作で、私の死は真実となり申した。私も実は、焼け跡から、遺体を見つけました。焼けて損傷が激しく、判断はできませんでした。
しかし、そこに信長がいたのは確か。結果を残さなければ、その場が収まりませぬ。よって、その遺体を信長とした。しかし、確信は得られなかったゆえ、何かと理由をつけ、他言無用で押し通しましたは。目覚めが悪う御座いましたゆえ、信長ゆかりの住職に、その亡骸を託しました。珠の場合も、遺体がなければ、怪しまれる。しかし、珠の身代わりを用意するのは、流石に珠の気持ちを考えれば、できませぬ。
そこで、その場を見てきたような語り部を用意したので御座います。落ち着いて考えれば、油で燃え盛る炎の中、自害を待ち、その首を撥ね、絹の布に巻くなど、落ち着き払った行いは至難の業で御座います。
また、その首を誰も確認しておりませぬから。誰も追求もしておりませぬ。珠の放った夫、東軍の邪魔になっては…で、全てが消されましたわ。お蔭さまで、珠はここにこうして、新たな生き様を楽しんでおりまする。いわば、幽霊、親子の誕生で御座いますな」
「そうで、あったか」
「本来は、小競り合いが火元。そこへ、三成の人質の企て、揺れ動く諸大名の気持ち。それを、珠の残した言葉で、東軍の思いは、一挙にまとまり、戦の様相を帯びてきましたでは、ありませぬか」
「確かに。珠様の行いは、意気を高め申した」
「何事も情報線で御座いまする。その情報をどう扱うか。持てる札をどの順番で切るかで戦況は大きく変わり申しまする。これからは、何事も、確認の上、お動きになられるように、重ねてお願い申し上げます」
「あい、分かった」
「三成の人質は明らかに、和睦の機会を失う、策略になっておりまする。思いつきで動くことの怖さを、表しておりまするゆえ、くれぐれも家康様も軽はずみな行動はお避けくだされ」
「承知した」
「家康様にお願いが御座います」
「何かな」
「珠、いやガラシャは、キリスト教を信仰しております。今後、宗教を隠れ蓑にしたイエズス会封じに、キリスト教禁止令を家康様もだされるでしょ。ガラシャに約束させまする。信仰は己ら限られた者のみに控えよ。信仰を広めることは決してせぬと。ガラシャもそれでよいな」
「よしなに」
「そのようなこと、考えも及ばぬは。そもそも、幽霊を捉えるなど、無理難題ではないか」
家康は、高らかに笑ってみせた。明智親子も安堵の笑みを浮かべていた。
「それでは、私は、これで於いたまさせて頂きまする。家康様に、幸多きなりますよう」
「そなたも達者でな」
ガラシャを乗せた船は、ゆっくり闇の彼方に消えていった。
「さて、家康様、秀吉の禁じていた婚姻の斡旋や知行の授与など、五奉行に相談することなく勧め、諸大名には有り難られ、それを批判する三成の評判は下がる一方。何かと壁となっていた仲裁役の前田利家も死去。内部分裂は激化。三成未遂事件がおき、その仲裁を敵側といってもいい、家康様が助ける。それで、権力を強化された。
今度は家康暗殺計画があったとし、ひと波乱を企んでみたが、前田利家の妻である、まつ(芳春院)が自ら人質となり、不発に終わるも、前田家は徳川家に従う姿勢をみせ、その罪を前田利家を継いだ利長と五奉行の一人でもある浅野長政に着させて、失脚同然に追い込んだのは、収穫でしたな」
「そうじゃたな、合戦をせずに、事を動かすのは骨が折れるわ」
「そうで御座いますな。しかし、五大老の二番手の前田家を従わせて、五奉行の弱体化も成し遂げられたではないですか」
「ああ、しかし、直江兼続とのやりとりでは、売り言葉に、買い言葉。感情が昂ぶり、常軌を失い、大人気なかったな」
「それが、功を制してもつれる要因になり申したではありませぬか。ともかく、なんでもいい、三成との対立理由ができればよかった訳ですから。これまで、三成率いる五奉行に逆らうことで、どの諸大名が、こちらへ就くかを見極めることが出来ましたではありませぬか」
「ああ、かなり武断派の諸大名は、溜飲が下がったのではないかな。五奉行の中には恐れをなした者も出てきておる。そなたが言うように、その者は隠密に我が方へ取り込む術は着実に進んでおる、と言うか…もはや、内通者と言っても良い、関係になっておるは」
「それは、宜しゅう御座いましたな。しかし、上杉家への攻撃に目を囚われ過ぎ、
手薄になった大坂城を攻められ、人質を取られ、無念にも鳥居元忠様のお命を奪う結果となったのは、私目の読みの甘さが…本に悔やまれまする」
「自分を責めるで、ない。私も油断していたのは、悔いておるゆえ」
「元忠の死は、小山評定に於いて、諸大名の意思を確認する、良い結果となった。そなたの死を無駄にはせぬと、元忠の墓に報告するつもりじゃ」
「私も、元忠様の霊が安らかになられるよう、朝夕、経を唱えておきまする」
「お頼み、申す」
天海と家康は、待ち構える戦いの為に、早くから、密かに地盤固めに努めていた。
三成側で裏切り行為に走る可能性のある者を、あらゆる角度から検討し、隙あらば、その弱点を攻め立てた。その一人が、黒田長政だった。長政の豊臣家への思いは、かなりのものであった。その要因は、長政が少年時代に遡る。
長政の父、如水の裏切りを疑った織田信長が、豊臣秀吉に長政殺害を命じた。秀吉は、その命令には納得がいかず、一年間、長政を隠し通し、救った。それに恩義を感じた長政は、豊臣家を支えることに尽力する。しかし、時代の変化は、長政を困惑させた。秀吉は、戦闘に勝つ知略でなく、行政手腕を側近として選んだ。それが、石田三成だった。
朝鮮出兵にも長政は、無謀と反目を三成に唱えた。家康を支持するという訳でなく、三成と共にしたくない思いと、戦闘能力と知略を生かせる場を選んだ結果だった。勿論、家康優位の先を読んでの行動でもあった。小山評定前後に於いても、福島正則を口説き落とし、それを口火に一斉に徳川家康支持へと導いた。その裏工作の立役者として長政は、能力を発揮した。
「才能のある人は、凡人では気づかない利点や欠点を見抜くものです。家康様がそう感じられるには、心に引っかかる所があるからでは。それを、一緒に見つけましょうぞ」
「そうしてくれるか」
「では、駿府と他の土地との大きな違いは何で御座いましょう。それを知ることで、駿府の良き所、悪き所を整理なされれば如何かな。さすれば、打つ手も見えてきましょう」
「悪き所は、湿地帯であること、河や海が領地万遍に広がり、水害が常に付きまとう点。良きところは、水源が豊富であること。全体では、水路で分断されていはいるが平地であること、か」
「一見、悪き所も見方を変えれば、違ったものが見えてくる事も御座いましょう」
「見方を変えるか」
「そうで、御座います。海、河を路として考えれば、如何かな」
「水路か。成る程、水路であれば、大きな荷物や移動手段に使えるな。水源が豊かであることは、少なくとも生活用水には事欠かない。町を発展させるためには、井戸水ばかりに頼ってられぬゆえにな」
「そうで御座いますな。少し、角度を変えるだけで、無用の長物が、隠れた宝の山に見えてきたでは、ありませぬか」
「まさに、何か希望が湧いてきたわ。天海殿と話していると、不思議と落ち着き、考えがまとまる。戦略、知略に長ける者は、多いが、そこはそれ、武士であるゆえ、
完全に心を許せるかと言えば・・・悲しきことよな。それに引き換え、天海殿は、世を捨てた者。俗世間の戯言に無縁と思えば、心が許せます」
「有難いですな。そう申して頂くと。しかし、世捨て人はないでしょう。寧ろ、平安の世に尽力したいと、願っておりまする」
「それは、私も同じことよ。戦乱の世はもうよい。老い先短いこの身を命の駆け引きに使いとうはない」
「そうで御座いまするな。その思いは、この身を持って経験しておりまする。家康様には、一日も早く、天下泰平を実現して頂かねば、この天海も老い先が短こう御座いますからな」
家康は、ひと時の安らぎを感じていた。
「天下泰平のためにも、天下統一を勧めませんとな」
「意地悪ですな天海殿。折角の現実逃避を、覚まさせるとは」
「心情調査を繰り返し、その風穴を利用して、西軍の中にも、協力者が出ておりまする。さらに、ひと押しもふた押しも、念を押す必要がありまする」
「そうじゃな、まだ、寝返る確信が持てぬ。こうして、暇を作って天海殿に会うのが、歯がゆく思いまする」
「実は、私もそう思っておりました。秀吉亡き後、今一度、戦場にこの身をおこうかと考えておりまする。つきましては、お願いが御座いまする」
「何だ、軍勢でも用意せよと言うのか」
「ご冗談を。血眼臭いやり取りは、仮にも仏門の者としてご勘弁を」
「では、何を願う」
「戦場にお供させて頂きたい。次なる戦は、即時即答、臨機応変に対応せねばならないものと存じます。家康様は、どーんと構えているかと思えば、武田信玄のときのように、馬鹿にされたと、興奮し、まんまと信玄の罠に引っかかり、命を危険にさらされる。それを、安泰な場所で心配するのは、この身が引き裂かれる思いで御座います。ならば、秀吉亡き今なら、家康様の身近でお役にたちとう御座いまする」
「言いたいことを言い寄って。しかし、天海殿さへ、良ければ、寧ろ、私のほうがお願いしたきこと。その願い、この家康、ありがたく、承知いたしまする」
「それはありがたい。久々の戦の場。血が騒ぐまいと言えば、嘘になりまする。しかし、刀や鉄砲ではなく、知略を武器として、半蔵らと共に、家康様を支えまする」
後に、関ヶ原の戦いの絵図に、天海のような人物が描かれているのは、武将たちが名を残す戦を見て、影の存在に身を投じていた明智光秀の、武将としての血が騒いだ証か…、いや、影でなく陽のあたる場所への願望が、そうさせたものに、ほかならなかった。天海は、家康に人心掌握の術を伝えた。
一、戦の大義名分を身近なものと思わせよ。
この戦は、自らに火の粉が降りかかってきたものではなく、
一見他人事のように思え、静観の恐れもある。
その心を動かすには、自らに当てはめさせること。
評価への不満。
命を賭ける者と高座から見るだけの者との違いを訴えること。
立場の違いを明確に打ち出し、自らの問題とすり替えて行く。
これにより、後の寝返りを防止すること。
一、応援要請は、支持ではなく、願望とせよ。
支持されたでは、不満も出る。また、寝返ることも考えられる。
飽くまでも、自分の意思で、参戦する。
勝利は、自らの糧となると思わせる語彙を用いること。
一、先方の近信事情を組み入れよ。
密偵による家族や、藩、領内など気になる事柄を選び、
文中に書き足すこと。
いつも、気にかけている事を訴え、親近感を植え付けること。
一、成功報酬は、曖昧にせよ。
報酬は、先方の存在価値を表すものとなり、不満の火種にも
成り兼ねない。あくまでも、希望的内容に止めよ。
参戦を決めかねている者への切り札として温存すること。
以上のことを、天海は、家康が納得のいくまで、説いた。
徳川家康は、出陣間近まで、天海と取り決めた内容を踏まえ、各地の武将や大名に協力要請の文を書き続けた。文のやり取りで、大まかな軍勢が把握できた。天海とのやり取りから、せっせと文を書き、早くも一ヶ月ほどを費やしていた。
「さぁ、準備は整い申した、皆の者、いざ、出陣じゃ」
戦いに当たって、石田三成を誘い出さなければならなかった。大坂城に篭城されては、勝ち目が薄い。そこで、家康は、あえて「大坂を焼野原にしてやるは」という内容を三成に送りつけた。
「家康の奴、そうはさせるか、むしろ、返り討ちにしてやる」
三成は、秀吉に大軍を任せたいと言わせた大谷吉継と相談し、関ヶ原近くにある、大垣城に戦いの場を構えることにした。
「ここなら、山の上から、来る東軍が一望出来る。ここに陣取るは、西軍の勝利を揺るぎないものにしたわ」
三成は知略で先陣をきり、圧倒的優位な位置取りを得たことで、勝利を確信した。
「家康破れたり。うわははははは」
三成は、天守閣から城下を見ながら、高笑いを抑えきないでいた。
家康は、軍勢を二分した。
ひとつは、東海道から西に向かうもの。ひとつは、徳川家の後継者であり、家康の次男である秀忠率いる軍勢は、中仙道の山間を通り、西に向かうものであった。
「秀忠殿、途中に、徳川家を裏切り、西軍に就いた真田昌幸、幸村のいる上田城が御座いますな」
「我が軍は三万八千、真田軍は二千とされておるな」
「さようで御座います」
「父への手土産に真田軍を討ち落としてやるか」
「者共、真田軍を討ち落とし、我ら軍勢の力を見せつけようぞ」
秀忠軍は、多勢に無勢の圧倒的有利さを根拠に、真田軍に戦いを挑んだ。しかし、朗報を勝ち取るどころか、悪戯に時間を食いつぶす嵌めに陥った。名将、真田昌幸の防戦に大苦戦をしいやられたからだ。
「ええい、何を手間取っておる」
「昌幸めが籠城を決め込み、防戦一方。狭所での戦をしいやられ、大軍を送り込めぬ有様で御座いまする」
「昌幸のやつめー、強行突破じゃ、突破せい」
「それでは、我が軍の不利は拭えませぬ。悪戯に兵力を失えば、それこそ、家康様のお怒りを買うことになりまするぞ」
「では、どうせよと申す。引くに引けぬではないか」
「ここは、一旦、引き上げ、関ヶ原へと進軍致しましょう。敵の兵力を衰えさせたのは事実。ここは、それで良しと、致しませぬか」
「それでは、仕掛けた秀忠が笑いものになるではないか」
「我が軍の目的は、関ヶ原で三成の西軍に勝つこと。殿、目的を見失わないよう重ねて、重ねて、お願い申しまする」
「殿、ご決断を」
「うぅぅぅ…」
「殿、このままでは、東軍の合流に間に合いませぬ。ほっておいて、先を急ぎましょうぞ」
「えええい、何を言うか、戦いを挑んでおいて、引き下がれと言うのか…。有利な立場にあって討ち落とせなかった。恥以外の何物でもないは…。どのツラ下げて、合流せよと言うのじゃ、攻めろ、攻め落とせー」
秀忠軍は、大いに揉め、袋小路の闇に巻き込まれていった。
「殿、真田幸村らが攻めてまいります」
「幸村とな…」
「上田城に兵を出し、この場は手薄かと。ここは、撤退を」
「敵に背を向けよと、愚かなことを」
「御免、お許しくだされ」
家臣たちは、闘志を剥き出しにする秀忠を無理からに馬に乗せ、撤退させた。
家康は、秀忠の真田軍、襲撃を知り、激怒した。
「秀忠のやつ、何をしておる。真田軍など、捨て置けー、さっさと、進軍せよ。そう、伝えー」
すぐさま、家康は秀忠に使者を送った。しかし、時は、大雨。思うように使者は動けず、遅れに、遅れた。家康にとっての大誤算だった。秀忠の軍勢は、徳川軍の兵力の半分に当たったからであった。
「秀忠のやつ、色気を出しよって。何たることぞ」
使者が、秀忠の元にようやく着いた頃、まだ情勢は混沌とした、膠着状態のままだった。
「秀忠様に申し上げます。真田軍など捨て置き、いち早く、駆けつけるようにのこと、確かに申し付けた、との家康様からのご指示で御座います」
「うぅぅぅ、あい、分かった。者共、引き上げー。我らの敵は、関ヶ原にあり。西軍、真田軍を兵力を衰えさせた。我ら本来の目的の為、改めた、進軍致すぞ」
秀忠は、兵力の差に胡座をかき、何ら策略もなく、強引に進めたことを後悔していた。結果が全ての世の中。後は、関ヶ原での戦いで補うしかなかった。秀忠は、恥も外聞も捨て、改めて、関ヶ原で、この悔しさを晴らすしかなかった。
逸る気持ちを抑え、兵士の疲労度を考えつつ、足取りを早めた。後悔先に立たず…か、自らの奢りの反省と共に。関ヶ原に近づいた頃、戦場の状況を知るため、走らせていた先鋒が戻ってきた。
「秀忠様、ご報告を、ご報告を」
「おう、ご大義じゃった。それで、どうであった」
「それが、それが…」
先鋒として任務を終えた武士は、俯いたまま、声を詰まらせているように見えた。まさか、東軍が負けた。いや、いや、そんなはずが。大一、戦いの規模からして早すぎる。何だ…胸元を掻き毟るような思いが、断ち切れなかった。
「ええい、早う言え」
「それが…それが…」
秀忠は、ただならぬ気配を受け止めるしかなかった。
「どうした、どうだったのか、早う、早う言え」
「おお恐れながら、申し上げます」
秀忠一行は、固唾を飲んで聞き入った。
「関ヶ原について見た光景は、…その光景は…」
先鋒に出向いた兵士は、心を強くして、大声を張り上げた。
「戦い、既に終わって、おりまする」
「な・なんと、終わっておったと、それで、東軍が勝ったのか」
「それは、分かりませぬ。戦場には死人と残骸だけで、もはや、鎮まり返っておりました」
「なんと…」
秀忠は空を見上げた。空の様子は、秀忠の落胆の色を移すように、どんよりと曇っていた。秀忠軍は、関ヶ原の戦いに、間に合わなかったのである。
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