第12話 5/25 煩い悩み、妖僧・天海、生まれんと

 美辞麗句に騙されて、ついつい流行りと言うものに流されやす。困ったもんで。

「エスプレッソは二重に美味しい。1杯で2配分、豆の質を落としてもわかりづらい」と申します。洒落て飲んで馬鹿を見る。世の中多かれ少なかれ、騙す奴の方が一枚上手のようで。無能な者程、何にも考えておまへん。「経営が苦しくなると、経営会議が増える」と同じだっせ。考えもなしに知恵を絞っても、粕しかでまへんがな。悩んだら動け。動く前に考えて、ですがね。徒労を取ろうって、こりゃぁ、馬鹿にし過ぎでしたかな、ご勘弁を。


 「機は熟した。後は、家康を取り込むのみぞ」


 その晩、家康は上機嫌で祝宴に酔いしれていた。

 半蔵は、家康が酔いつぶれる前に、伊賀越えについて大事な報告があると、耳打ちし、密かに会う機会を得ていた。半蔵とは、伊賀越えの苦楽を共にした仲。それ故、格別な信頼を深めた仲であったので御座います。


 「報告とは何じゃ、改まって」

 「家康様が、落ち着きなされてから、御報告致そうと」

 「して、何かな」

 「驚きなさいますな。今よりお話するのは、我らが調べた真実。心して、お聞きくだされ。なぜ、あの時、信長の包囲網を突破できたのかを」

 「そなたと伊賀者のお陰であろう、違うのか」

 「確かにそうでは御座いますが、あの時、三河までの道中、来るはずの追手の姿がなかったことにお気づきで御座いましょうか」 

 「そう言われれば…。しかし、危うく命を落としかねなかったではないか」 

 「あれには、私も驚きました。まぁ、あれ位は臨場感があって、宜しいかと」

 「馬鹿を言うな」

 「失礼、致しました」

 「それより、答えろ。なぜ、伊賀越ができたのか」

 「そもそも、あの場で、下準備もなく、山歩きの経験のない家康様に対して、あの伊賀越えを思いつくのは、困難ということです」

 「可笑しなことを言うではないか。そなたの言い方では、事前に知っておったように聞こえるぞ」

 「御意に御座います」

 「何と、襲われることが分かっていたと言うのか」

 「はい。ですから、伊賀者が援護に駆けつけておりまする」

 「確かに」

 「ならば、もっと安易に回避出来なかったのか」

 「秘密裏に動きますと、予期せぬことが起こりまする」

 「まぁ、良い。詳細を説明せい」

 「家康様においては、信じがたい、お話御座います」

 「信じがたい話だと、えぇい、勿体ぶらず、早う、言え」

 「では、ご要望通りに。家康様、可笑しなことが起きてましょう」

 「何がじゃ」

 「そもそも、信長様が家康様を三河からお呼びになったのは、お茶会あってのこと。それゆえ、警護も手薄で、御座いましたな」 

 「ああ、逆らう者はいなかったゆえ、警護も手薄で良いということだった」

 「それで、なぜ、茶会に出られておりませぬ」

 「それは、信長様が折角、三河から来たのだから、堺遊覧でもして来いと」

 「ならば、最初から、そう言えばいいではありませぬか。そもそも、呼びつけておいて京ではなく大坂の堺とは、遠すぎませぬか」

 「…」

 「真実はこうです。あの茶会は、ある堺商人によって、設けられたもの。それを信長様が利用して、家康様、毒殺を企てたので御座います」

 「な、な、何を申す。信長様が、私を毒殺とな、馬鹿を言うでない、馬鹿を」

 「そうで御座いましょうか。私が得た情報では、秀吉の援軍に向かう途中、堺に立ち寄り、家康様を討つ。それを信長様より託されたのが光秀であっと」

 「何と、信長様が、光秀に。なぜじゃ、何ゆえにだ」

 「それが、信長様ということでしょう」

 「どう言うことだ」

 「あの襲撃隊は光秀の差金ではなく、信長様の命を受けた者たちです」

 「そなた、先程、私の暗殺は、光秀が命じられたと言ったではないか」

 「確実に家康様を討つには、失敗など許されないわけです。正義感の強い光秀に邪魔されては厄介。ならば、秀吉の援軍に行けと追い出した」

 「そのようなこと…」

 「茶会に招かれた者をご覧ください。秀吉様は、遠征で除外するにせよ、光秀は当初から入っておりませんでした。側近を飛び越えて、家康様は呼ばれた」

 「ゆえに、私は認められたと、喜んでおったのに」

 「それが、信長様の思う壷、だったとしたら」

 「何と、そのような…」

 「側近だからこそ、信長の本性、気質がよく分かる。それを踏まえて光秀が何故、謀反に至ったかと言うことです」

 「私もそこが気になる、そなた知っておるのか」

 「いいえ、今となっては本人以外に知る由もなく、でしょうな。しかし、考えられる光秀の思いは、分かる気が致します。それで良ければ」

 「おぉ、聞かせてくれぬか、その思いとやらを」

 「光秀の家臣、斎藤利三には、旧知の長宗我部元親がおります。元親は、信長様から四国征伐を任されていたのです。その元親でさへいつしか自分の敵になる。確実な支配下に置けるや否か、不安を払拭できなければ、倒してしまえってのが、信長様。元親は戦う気はなく、譲歩案も受け入れると、利三、光秀を通じて訴えていました。しかし、その願いは全く通じなかったのです。まさにあの日、元親の四国討伐が間近に迫っていたのです。更に付け加えなければならないのは、イエズス会の動きです。イエズス会は、信長様に入信を迫っていた。宗教の名を借りた侵略であるとを理解していた信長様は、それを拒否した。これもあの日、本能寺の至近距離にある南蛮寺の展望台に新式火薬を持ち込み、信長爆死を企んでいたのです。隠れキリシタンだった光秀は、信長の付き人である黒人の彌助からそれを聞かされていた。

 爆死となれば、世の中が再び戦火の渦に巻き込まれる懸念があります。異国との揉め事にも発展しかねません。それは、避けなければならない。光秀は天下の在り方に不安を感じ、刻限に迫られ、あの謀反を引き起こしたのです」


家康は、目を閉じ感慨深く、口を開いた。


 「自分が手をくださなくてもイエズス会が信長を始末する。勢力争いが勃発する。光秀は悩んでおったのか…。警護手薄の二度とない暗殺の機会か…。家康を葬るための舞台を用意したつもりが、墓穴を掘るか…。ほんにこの世は面白いわ」

 「そこに、家康様の暗殺命令が下った。その時、光秀の心は決まったはず。イエズス会に討たせるより、信長傘下の謀反であれば、上手くすれば、勢力図を継承し、維持できると。そこで光秀はある者を通して、家康様を本能寺から遠ざけさせた、と言うことです」

 「何と、私を信長様から救ったのは光秀と申すか」

 「さようで御座います。ゆえに、奇襲からも逃げられ、事前に伊賀者を手配することができ、伊賀越えもできた。その結果、こうして家康様を三河国までご無事にお連れ申すことができた、と言うことです」

 「信じがたい、信じぬぞ、信長様が私を…」

 「家康様は、三河国を中心に勢力を拡大されております。長宗我部元親が、受けた仕打ちは、家康様にも、及んだことでしょう。 将来、力を付ける者は味方に取り込む。いつ裏切られるか不安なら、潰せるときに潰しておく。それが信長様でしょう」

 「そのようなこと…」

 「天下を取ろうとする者は、隙あらばでしょう。家康様も口には出さぬとも天下人は夢に思われるはず。それを信長様は、敵とみなされるのですよ」

 「信長様にとって、私は敵か…」

 「事実、お命を狙われたでは、御座いませんか」

 「…」

 「このこと、他言無用でお願い致します。混乱必定ですので」

 「わ、分かっておるわ。このようなこと、誰に、言えるか」


 徳川家康は、混乱の極みを味わっていた。主君と慕い、亡き後を追う程に思っていた信長が、自分を葬ろうとしていた。主君の敵と命を狙った光秀が、自分を救った。

 その光秀がある者に通じていた。ある者とは、誰なのか、知りたい気持ちより、動揺の方が強かった。問たくなる気持ちをぐっと抑えたので御座います。

 家康は気持ちを抑制した。ここまで話す服部半蔵が、ある者と、言うには時期早々か、隠密にしておく必要があるからであろうと容易に理解できたからだ。

 信じられるのは自ら築いた勢力圏だ、と家康は自分に言い聞かせていた。下克上はある。ましてや、他の勢力圏下に入れば、いつ何時、今回のように裏切られるか分からなかったからです。


 服部半蔵は、この日を皮切りに光秀が恩人で、信長が敵であったことを、さりげなく幾多に渡って家康に刷り込んでいった。

 家康は本来、さみしがり屋で、臆病者。それを、情報や裏付け、信頼関係で補っていた。石橋を叩いて渡る。それが、徳川家康だった。

 半蔵は、命懸けで自分を助けてくれた、謂わば命の恩人。半蔵の忠誠心は、家康にとって心強かった。そんな半蔵の言葉だからこそ、家康自身も耳に入ってきていたので御座います。少なくても、半蔵は自分の為に動いてくれている。情報網も持っている。信頼できる男であるという気持ちは、日増しに高まっていたのです。


 半蔵の家康への刷り込み報告を受け、忠兵衛も動いた。忠兵衛は、思案していた。光秀の処遇だ。武士でもない、商人でもない、利害関係が生じにくく、また、自活することなく、人目にもつかない場所…。

 それは、灯台もと暗しの場所にあった。先方に話を持ちかけると、これが思いのほか、好感を持って受諾された。

 越後忠兵衛は、光秀が隠れている温泉地の別荘にいた。


 「如何ですかな、隠居生活は」

 「ほんに、そなたの言葉には、剣があるな」

 「あはははは。まぁ、気になさるな」

 「それで、嫁入り先ならぬ、婿入り先でも見つかったか」

 「ほぉー中々、言うようになりましたな」

 「そなたの病に侵されただけだ、気にするな」

 「よい、よい。それでよい」


 忠兵衛は、憑き物が取れたような光秀を感慨深く、見ていた。


 「要件とは、お察しの通り、婿入り場所とはいきませぬが、新たな生き場所が見つかったのですよ」

 「それで、何処へ行けと言うのだ」

 「驚きなさるな、天台宗総本山の比叡山で御座りまするよ」

 「何と、比叡山とな。本能寺の近くではないか」

 「そうなんですよ、いろいろ考えて、木を隠すなら森の中、と申しますからな」

 「出家せよと言うのか」

 「まぁ、そう言うことになりますかな。隠れキリシタンの光秀はんには酷な話しですかな」

 「いや、そのような気遣いは、要らぬは」

 「あらまぁ、キリシタンであることをお認めになりましたね」

 「この場に及んでは、そんなこと、どうでも良いは」

 「僧侶は仮の姿。飽くまでも、家康の懐刀になって頂きます」

 「そんなことが、できるのか」

 「できるか、できないかは、あなたの努力次第。根回しは半蔵はんが、粘り強く仕掛けてくれてますよって」

 「努力とは、別人になりきると言うことか」

 「なりきる?なるんです。まぁ、ええわ。努力とは、密教、神道、道教、陰陽師、風水学などに精通して頂きます。宗教人ではなく、知識人であれ、と言うことです」

 「一応聞いておくが、相手は快く、受け入れてくれるのか」

 「それが、歓迎されましてなぁ。延暦寺を焼いたとされる信長を討った光秀様と聞いて、それはもう」

 「そうか、反感贔屓か。まぁ、よい、歓迎して頂けるなら、有り難いことよ」

 「そこで、いつまでも光秀の名を使うわけには参りません。そこで、お布施をた~んとお支払いして天台宗総本山の住職より有難~いお名前を預かって参りました。その名は、慈眼大師南光坊天海と申します」

 「大層な名だな…、南光坊天海か、うん、気に入った」

 「天海さんのお力を発揮して頂くのは、まだまだ、先の話になりましょう。それまでは、光秀はんの過去を隠蔽し、光秀はんに関するもので利用できるものは、無許可ですべて利用させて貰います」

 「好きにせい。光秀はもうおらん。遠慮はいらぬは。それより、そなた話し方が変わってはおらぬか」

 「おおぉ、気づいてくださいましたか、成長されましたな」

 「ほんに、逆なでするのが身についておるな」

 「有り難き幸せ、では、御座いませんでしたな。ううん、これからは、天下人になられる家康様の参謀としての天海殿にお仕えする気持ちで、私も鍛錬致します。見下すような言葉は、今後、どのような災難を招くかも知れませんから」

 「分かった。そなたが減らず口を叩けぬような人物になってやるわ」

 「ほぉー頼もしい。その言葉、お忘れなきように、天・海・殿」


ここに、後に黒衣の宰相・南光坊天海と呼ばれる謎多き人物が、誕生した。

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