第8話 4/15 憶測、約束、拘束、その果ては…

 真実を生かすも殺すも、その後次第で御座います。真実はひとつ。そりゃー理想論でしょ。暴かず、知らせず、見せつけず。誤ちを正すだけでは息苦しい。息ができなきゃ生きられない。真実とは生きるための戒めで御座います。


 天正10年6月2日、本能寺の変のクライマックスで御座います。

 信長は正座し、明智軍を見据えていた。恨むでもなく、蔑むでもなく。

 光秀が号令を掛けようと息を飲んだ時、烈火が明智軍を襲った。

 紅蓮の炎は、幾つかの火の玉と化し荒れ狂い明智軍の進路を拒んだ。

 ただ火を放ったとは思えない燃え上がりに明智軍は、意表を突かれた。

 成す術のない明智軍は、光秀の決断に溜飲を下げる。


 「この炎の中では、信長は助かるまい。信長の亡骸を確認するため十人程を残し、二条陣屋に向かい、信長の嫡男忠長を討ち申す」

 

 光秀は呆気なく忠長を討ち、洛中の残敵掃討を終えると、信長の本拠地である安土城に向かった。途中、勢多せた城主の山岡景隆・景佐兄弟に味方に付くように要請するが、これを拒まれた。味方にならぬは敵と同じ。少し頭を冷やすが良い、と言わんばかりに山岡兄弟を孤立化させるため、瀬田の橋を焼き落としたのです。

 この時、安土城留守居役であった山崎片家・近江山本山城主阿閉貞征あつじさだゆき父子・近江の国衆・若狭の国衆は、光秀に従い、近江を平定する。


 美濃では、安藤守就父子が光秀側に就くが、北方を領する稲葉一鉄の反撃に討ち死に。美濃野口城主西尾光教には、加担を拒否され、美濃では勢力を伸ばせなかった。


 6月7日、朝廷は、光秀に使者を送り、緞子の反物など渡すが、朝廷としては形勢を見ながら、一応光秀にも媚を売っておこうと言う程度の儀礼的なものだった。


 6月9日、光秀は、安土城から上洛、都に入った。

 秀吉が西国から取って返すとの噂を聞き、光秀は、その前に朝廷を味方に付け、既成事実を作ろうと動いたのです。その裏では、自分が旗揚げすれば、当然駆けつけて来ると思っていた武将たちの反応の鈍さがあったのです。

 天皇と親王に銀子五百枚、京都五山の寺院と大徳寺には百枚ずつ、朝廷との仲を取り持ってくれた吉田神社の宮司、吉田兼見には五十枚を進上。寺院に対しては信長の供養料の名目で金数を渡し、体制づくりに勤しんだ。

 姻戚関係にある細川藤孝・忠興父子に、但馬・若狭二ヶ国を与えるから加担するよう求め自筆書状を送るも、返ってた報せは、父子が信長の死を悼んで髪を切った、とやんわりと拒否され、当てにしていた筒井順慶も、自分の居城に籠城される始末。

 茨木城主中川清秀・高槻城主高山重友に対する工作にも失敗。


 加勢の見込みが先細りする中、光秀のもとに山陽道を引き返して来た秀吉は、姫路を発して、摂津尼崎に迫っているとの知らせが入った。


 羽柴秀吉は、思案していた。如何に早く、引き返すかを。

 秀吉のとった独創的な発想は、用意周到な越後忠兵衛の度肝を抜いた。

 徒立ちの者に鎧や武器をその場に捨てさせ身軽にし、駆け抜ける事にのみに集中させた。先行隊を幾多の拠点毎に先回りさせ、新しい足半、握り飯、水を用意させた。

京の山崎には、堺泉州の商人、天王寺屋宗及たちも加勢し、武器、装備を新たに買い揃え準備を整えるのにてんやわんやで御座いました。

 天王寺屋宗及たちは、武術より算術に重きを置く秀吉を引き立て、自分たちの利益を守ろうと動いていた。

 閻魔会の忠兵衛たちも表では、天王寺屋宗及たちと行動を共にしていた。しかし、飽く迄も駒の一つとして動く程度で積極的ではなかった。忠兵衛たちにとっては、秀吉の天下になった暁でも、商売に支障をきたさないための行動だったのです。


 二万の大軍を率いる戦上手の秀吉に出てこられては…光秀の焦りは高ぶっていた。


 6月11日、光秀は慌てて下鳥羽に出陣し、秀吉軍を迎え討つため、淀城の修築を始めたが、時既に遅し、は否めなかった。確かなものも脅す策もなく、他人の思いを憶測で動いた光秀は、後手後手に周り、上手の手から水が漏れる状態だったのです。


 6月12日、秀吉軍は摂津富田に着陣、池田恒興・中川清秀・高山重友ら摂津衆の武将、堺泉州の天王寺屋宗及ら商人たちも続々と駆け付けていた。

 光秀にはもう打つ手がなかった。残すは信長に京を追われた先の将軍足利義昭を担ぎ出すしかなかったのです。しかし、こともあろうか義昭が身を寄せる毛利氏は、今まさに秀吉と和睦が成立したばかり。一縷の望みも泡と消え去るので御座います。


 運気は一度、坂を転げ落ち始めると歯止めが効かない、それが世の常。やる事なす事、裏目裏目の儚さに、光秀は落胆の色を隠せないでいたので御座います。


 6月13日、光秀にとって厳しさを予感させる激しい雨の中での京都・山崎の戦い。

 巳の刻(午前十時頃)信孝と合流した秀吉は山崎に布陣。

 光秀は、御坊塚に本陣を置き、斎藤利三・柴田勝定らを先手とするが、明智軍勢1万6千に対して秀吉軍は、4万に膨らみ、多勢に無勢の戦となるのです。

 況してや秀吉軍には、謀反によって殺された主君の遺児・信孝を押し立て、恩顧の家臣が弔い合戦を挑む、と言う心奮い立たせる大義名分がある。これでは、戦うまでもなく勝敗は、明らかな状況で御座いました。


 「隊に疲れが見え始めておる」

 「何をおっしゃる我等、光秀公の為ならば死ねまするぞ」


 斎藤利三らを筆頭に強い結束で、一進一退の攻防戦を展開していた。しかし、劣勢な状況からは抜け出せないと考えた光秀は、決断を下す。


 「撤退じゃ、撤退。隊を立て直そうぞ」


 その思いとは裏腹に光秀は、窮地に追い込まれる。明智軍は総崩れとなり、光秀は近くの勝竜寺城に逃げ込むのです。しかし、羽柴勢の追っ手は確実に光秀の首へと近づいていたのです。緊迫するこの状況を最も冷静に捉えていたのは、斎藤利三だった。何とかしなければ殿の命運は尽きる、その思いが利三を支配していた。もう、そこには再起と言う夢物語はなかったので御座います。


 これ以上の深入りは、見す見す敗戦を余儀なくすると考えた斎藤利三は、明智光秀と溝尾茂朝、木崎新右衛門に密談を持ちかけた。


 光秀は、坂本城から安土城へへ向かおうと考えていた。篭城戦に持ち込み、長期戦になれば、叩き上げの羽柴秀吉と家柄のよい柴田勝家の犬猿関係が勃発し、秀吉は自滅するはず。その時に、上杉家や毛利方の援軍が得られれば、勝機があると考え、再起を願っていた。その反面、天下制定の暁には、天下人の座を譲ってもいい、そこに光秀の本音も感じ取っていた。その瞬間、利三の心の中で光秀は、砂上の楼閣の主となった、と感じていた。それは、大きな落胆と豹変したので御座います。


 その時、数人の黒装束の男たちに囲まれた。光秀と利三は、電光石火で部屋から連れ出された。光秀は、一人の男に背後を取られ猿轡さるぐつわをされ、二人の男が、兜、鎧などを剥ぎ取るのと同時に、光秀に似せた男に装着。その手際の良さは、まさに職人芸そのものだった。

 利三と身包みを剥がされた光秀は、頭陀袋に押し込まれ、馬の背に乗せられ、闇が迫る豪雨の中に消え去った。


 茂朝と新右衛門は、二人の男に抑えられ、座らされていた。その視線の前に如何にも落ち着き払った侍が現れた。


 「手を離して上げなさい。溝尾茂朝殿、木崎新右衛門殿、急ぎの頼み聞き入れて頂きます。手荒な真似はお許しくだされ。騒ぎ立てれば光秀様のお命、保証は出来ません。羽柴勢はここを包囲し、遅かれ早かれ、光秀様はお命の終焉を余儀なくされまする。しかし、私の話をお聞き入れくだされば、我らが光秀様をお守り致します。この状況で我らを信じてくだされと言うのは、無体なことは承知。それを押して申し上げております」

 「そなたら何者?」

 「それは後ほど。今は光秀様が大事。我らにお任せ頂ければ、必ずや光秀様を安全な場所までお届け致します。秀吉の追っ手は手強いですぞ。細川家は勿論、上杉家や毛利方の援軍も得られません。言わずとも、光秀様には最悪な状況です。お聞き入れくだされ、我らの願いを」

 「援軍が得られない、そんな馬鹿な」

 「上杉家や毛利方も織田家に逆らうことを良しとなされぬと確認しております。このままでは光秀様のお命が…」


 交渉担当の侍は、お命が…と言う事で、茂朝、新右衛門殿の問題ではなく自分たちの問題だと摺り替えて見せた。


 「さぁ、刻限は御座いません、ご決断を、ご決断を」


 援軍は来ないのか…。それでは籠城したとしても…。秀吉は援軍を得る。勝ち目はない。茂朝、新右衛門は現状を見て、前途を悲観した。


 対面する落ち着き払った侍はどこかの名のある武将の家臣か、光秀の首を取れる機会を手放している以上、今は敵ではない、力を貸せと願うてることは…。藁をもすがる気持ちと、渡りに船の思いが交差して、茂朝は逡巡しゅんじゅんの思いで決意した。それは、新右衛門にも以心伝心で思いは通じ合っていた。


 「分かった。それで如何致せと言うのだ」

 「光秀様の影武者を仕立てます。茂朝殿には木崎新右衛門殿と共にその影武者を本当の光秀様と思い、最後まで守って頂きたい。万が一、影武者が命を落とした場合、身元が分からぬように首を撥ね、顔の皮を剥いで頂きたい。本当の光秀様に手が及ばないように」

 「承知…した」

 「あとはこの場から無事に離れることにご尽力くだされ」

 「分かった」


 羽柴勢の包囲網が迫り来る中、僅かな隙を強行突破し、溝尾茂朝と木崎新右衛門は、影武者の光秀と共に坂本城へと向かった。茂朝と新右衛門は、敗色濃厚のジレンマとは別の重荷を背負っていた。道すがら、不思議なことに羽柴勢の追っ手が全く来ないことを茂朝と新右衛門は、不思議に思ってた。


 それは、半蔵率いる七人衆の策略によるものだった。

 羽柴軍が、明智軍がいる勝竜寺城を重包囲し始めた頃、徒兵の叫び声が響いた。

 「明智軍、西門に集結、鉄砲隊を…」


 叫びが終わらぬ間に、パンパンパンと乾いた音が数発、響いた。


 「西門だぁ、西門に急げ」

 羽柴軍が、西門に怒涛のごとく移動すると

 「明智軍、西門にあらず、東門に移動した、東門だぁ」

 羽柴軍は、闇と豪雨のなか文字通り右往左往する羽目に。


 羽柴軍が慌ただしく移動したため、西門から先に脱出した騎馬隊や徒兵の足跡は踏み消され、追跡が困難な状態になったのです。

 勝竜寺城に残っていたのは、残党の兵のみで、重臣や光秀の姿はなかった。


 秀吉は、光秀が坂本城か安土城に向かい、籠城すると考えていた。


 「袋の鼠よ、捨て置け。光秀の首は我が手にあるも同然」


 戦上手の秀吉は、深追いするより、兵の疲労を取ることを優先させた。兵糧攻めでも一気に攻め込むも、手立ては幾手もあり、慌てる必要がなかったので御座います。


 その頃、斎藤利三は、黒装束の長と膝を突き合わせていた。


 「手荒な真似を致しましたこと、お許しくだされ。私は、服部半蔵と申す。利三殿が最もこの状況を理解されていると察し、お話申す。秀吉の包囲網はすぐそこまで迫っております、時は御座いませぬ、我らに光秀様をお預けくだされ、必ずや、いや、できる限りの手立てをお約束致します。このままでは、間違いなく道は閉ざされますぞ。利三殿、この通り、ご理解くだされ」


 半蔵は、片膝を付き、頭を垂れてみせた。


 「何故、半蔵殿はこのような…」

 「主君への思い、主は違えどお分かり申す、とでもして於いてくだされ」

 「…承知致しました。ここまでされるのは、覚悟を持ってのこと。影武者まで用意されての行いに光秀様の無事を願う気持ちに偽りはないと、信じて候」

 「有り難い。それでは利三殿には、お頼みしたいことが御座います。ここは危険です。場所を変えてお話致します。その前に、影武者の隊を坂本城に向け、出立させてくだされ」

 「承知した」


 利三は、隊の体制を速やかに整え、勝竜寺城を後にさせた。

 その後、場所を移し、利三は、光秀拉致の理由を聞いた。と言っても詳細は聞かされなかった。ただ、光秀を守る、その意志の高さは理解出来た。いや、正しく言えば半蔵と言う男を信じてみよう。闇に指す一縷の望みに掛けて見たくなったのです。


 明智軍が京都・小栗栖を進む頃、閻魔会は、任務遂行に向け、活発に動いていた。

 閻魔会の蔵之介は、探偵から光秀拉致の報告を受け、直ぐに、小栗栖近くの落ち武者狩りたちのいる村に繋ぎを取らせ、情報を流したのです。


 その村の落ち武者狩りの長は、中村長兵衛だった。


 「長兵衛はん、知ったはりますか」

 「何をだ」

 「大層な鎧を着けた侍が、小栗栖を通ることを」

 「何者だ、そいつは」

 「それは知りませんが、さっき来た私の連れが見たらしいですよ」

 「本当か」

 「ええ、しっかり見たと。それもすぐ近くまで来てると」


 長兵衛は、直様、仲間を集め、身支度を済ませ、手馴れた様子で奇襲先を定め、その場へと目指した。


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