第5話 3/15 雉も鳴かずば撃たれまい

雉も鳴かずば撃たれまい。赤子泣いても蓋取るな。蓼食う虫も好き好き。我慢、我慢で身が、持たず。好き勝手では世が、持たぬ。兎角この世は、世知がない。案外、塩梅、それが難しい。 


 「来る6月1日、本能寺宿泊のおり、そこで茶会を開催致します。その情報は、明智光秀の命を受けて、信長様の側近で黒人の彌助からイエズス会に筒抜けになっております」

       (これは忠兵衛の偽り)


 「何と光秀と彌助が、イエズス会の密偵とでも言いたいのか」

 「それは、どうでしゃろ」

 「何故そのように言える。裏切っておる…だと、問答無用じゃ、はっきり言え」

 「では、不確かですが、それで宜しければ」

 「それでもよい、言うてみぃ」

 「では、お言葉に甘えて。残念なことですが、事実です。私たちの情報網は、密偵を通じて、寝物語、密談というやつを事細かに収集する能力に長けておりましてね、警護が疎かになる本能寺に、何らかの企てが起こるという情報を得ましてな」

 「その情報とは何か」

 「それはですね、信じる信じないは、信長様の勝手で御座いますが、それはそれは恐ろしい企てでして」

 「まどろっこしい、早う、言え」


 忠兵衛は、重い沈黙を演じてみせたのです。


 「信長様暗殺で御座いますよ」

 「誰じゃ、誰がわしを狙っているというのじゃ」

 「光秀様で御座います」

 「光秀じゃとぉ、何故じゃ」

 「そうは言われましても、信長様の重臣、光秀様を裏切り者扱いしている時点で、正直、いつ、信長様の怒りを買って、斬られるか、そう思うと、体の震えが止まらない、というのが本音で御座います」

 「お前が、震えているとな、馬鹿を言うな。自信に満ちた面立ちで、居座っておるではないか」

 「地獄を見過ぎたせいか、気持ちが顔にでません、損なことですわ」

 「忠兵衛の目を見ればどこまで調べ、自信を持っているか分かるわ」

 「流石、信長様で御座います。何もかもお見通しのようで」

 「わしとて、裏切り、裏切られは、嫌と言う程、窘めてきたわ。今更、裏切り者が身近にいようと驚きはせぬわ」


 信長が、光秀を小馬鹿にしている噂がある。それは違う。寧ろ、認めていた。その証が「禿げ」だ。気を許す仲と思うからこそ、そう呼んだ。秀吉への「猿」と同じ。常に秀吉と比較して、光秀の対処への慎重さが信長の苛立ちを誘発しただけ。

 可愛さ余って憎さ百倍とまで行かないまでも、信長の思う光秀像がそこにはなかった苛立ちから光秀への風当たりが強くなっていったに過ぎないので御座います。

 人は、他人を意のままに動かしたい衝動に駆られることは否めない。それが叶わなかった時、その苛立ちは、その者を責め立てることで緩和されるもので御座います。

 信長の苛立ちは、明智一族に及んだのです。朝鮮出兵に明智家の後継者を送り込み一族を絶やす。明智軍が任務を無事処理すればしたで、それは脅威となる。その場合は、現地統治を理由に遠ざけて置けばいい、そう信長は思っていたので御座います。

 光秀にすれば、一族が崩壊させられる危機。光秀の立場になれば至極当然の事。


 「光秀様は、四国征伐を苦慮されて、長宗我部元親殿との仲介に骨を折られておるそうですな」

 「そうだ。元親とは親睦を深め、四国を任しておった。しかし、わしが勢力を強める事により敵も増える。瀬戸内の毛利にいつ攻められるか分からぬ。よって、わしが四国制圧を成し遂げれば、毛利とて手出しはしにくであろう、そう思うてのことだ」

 「そうでしたか、そうなら、そうと、光秀様に何故、おっしゃらないのですか」 

 「そうすれば良かったのか…。疑心暗鬼、下克上など当たり前の世の中にどっぷり浸かっておると信じられるのは、自分だけになってしまうものだ。それが、態度に出る。相手に苛立つと叩き潰したくなる。これは性分だ。こうして、そなたの話を聞いているのは、そなたが武士でなく、ただの商人でもないからだ。元親の件は、表立っては討伐であっても裏では和睦よ。そうすることで毛利が怖気をなし、動きを抑えられる。…そうか、意思の疎通か…最早、わしには手遅れの手立てかも知れぬな」

 「お察し、申し上げます」


 忠兵衛は、信長の四国征伐の言い分を鵜呑みにするはずもなかった。では、なぜ、信長がその場凌ぎの嘘を行ったのか。それは忠兵衛には直ぐに分かった。謀反を仕掛けらている立場を知り、謂れのない仕掛けだと相手に思わせ、自らの落ち度を緩和して話を聞きたいと言う思いからだと。暴君とは言え人の子。逃げ場もなく、自らの命が狙われている現実を突きつけられれば、少なからずも自己弁護をしたくなるのは至極当然の事だと悟っていたのです。


 信長は遠くを眺め、戦に明け暮れる武士の苦悩を憂いていた。

 「信長様、光秀様と元親様に使える斎藤利三様はご存知でしょ。光秀様と利三様も旧知の仲。信長様と利三様の間で光秀様の心労は計り知れないことでしょう。さらに、光秀様は隠れキリシタン寄りのお方」

 「イエズス会か。聖人君子の顔をした狐か狸か…。騙されはせぬわ」

 「そろそろ、確信に入りましょうか。信長様の功績を極力傷つけず、信長様の意向を達する術は、そう、明智光秀による謀反に便乗するのが良い手ではないかと」

 「そなたの筋書きではないと言うのか。光秀の決意だと」

 「左様で御座います。信長様の側近の彌助は、光秀様の密偵であると同時に、私供にとっては、光秀様とイエズス会の動きを知るための密偵でもあるのです。その彌助から光秀様は、イエズス会の信長様暗殺の情報を得たと言うのですよ」

 「わしの暗殺だと…イエズス会がか」

 「そうで御座います。光秀様は、その確信を得ようと尽力を注がれましたが、策士であっても、なにせ、それを手繰り寄せる駒をお持ちでない。時は、確実に迫って来ている。焦られておられた。そんな折、イエズス会の情報を得られた。本能寺近くに砲弾を持ち込んだ、というね。私供も得ております。その砲弾を本龍寺に向け放ち、木っ端微塵に破壊。さらに、証拠隠滅のため、焼き尽くそうとするものです」

 「信長様もご存知でしょう。イエズス会とは名ばかりの会。その実態は、宗教を隠れ蓑にした日本の植民地化。彼らの後ろ盾にはヨーロッパのユダヤ金融資本があり、情報集めを目的とした諜報機関を要していることを」

 「薄々、感じておった。それゆえに入信を頑なに拒んでおる。秀吉も同様にな。しかし、光秀は違ったか。光秀の欠点は、心優しい故、真実を見誤る所かな。そうか、光秀がのう…、信仰とは領分弁えねば恐ろしいものよな」

 「奴らの情報は、わしにとっては、輝かしきもの。利用すべきは、割り切って利用する。上手く付き合えば良いものよ」

 「おっしゃる通り、利用すべきは、利用する。いらなくなれば、捨てればいい。

 これが、出来るか、出来ないかで、頭に立てるか否かが決まり申しますな」

 「光秀にはそれが、出来ぬと言うことか…だから、色々思う所があるのか」

 「身の程知らずを覚悟の上で言わせて頂ければ、そう言うことになりまするな」

 「して、わしの後を誰に任せるのだ、いや、そなたに都合の良い後継者は、誰だと思うのか、遠慮は要らぬ、言うてみい」

 「お恐れながら、羽柴秀吉様と存じます。その後は、徳川家康殿かと」

 「秀吉か、奴ならやり遂げようや」

 「信長様、光秀様謀反のいまひとつの理由が御座います」

 「何だ、まだ、あるのか」

 「信長様による家康暗殺を光秀様に命じられたでしょう」

 「そこまで、知っておったのか…。益々、わしは長らえる事が難しい立場に追いやられていると言うことか…己の蒔いた種か…」

 「元親殿のように、昨日までは親睦、明日は敵では、心の安息が御座りませんぬ。

 光秀様の心が折れたということでしょう。そこへ、イエズス会の避けようのない爆破などという、信長様の功績を打ち砕くような企みが現実味を帯びてきた。光秀様にとっては一族存続の危機でもありますよって。ならば、悪役になろうとも、自らの手で信長様を、と考えられたのも私としては、心中お察し申す、と言う所でしょうか」

 「謀反は、わしを思ってのことでもあると、言うのか」

 「私には、そう思えます。策士の光秀様にしては、信長様を亡き者にした後のことを何ひとつ、決められておりませぬ。それ程、追い込まれ、焦られている。正しく言わして貰うと、思うように援軍が得られないご様子、今はね。私から言わせて貰えれば、根回し、実績、人望が光秀様には足りてません。それでも進は焦っておられるとしか思えません。このままでは、光秀様は、秀吉様、家康様からの追ってを逃れられない。大義名分と言うお侍さんの定めのもとで。それでも暴挙に出るのは、最早、私には正気の沙汰では叶わぬことと存じます」

 「そうか、そんなことが」

 「まだ、ありますよ」

 「まだあるのか」

 「まぁ、これは直接、関係ないでしょうが、ご参考までに」

 「何じゃ、言うてみぃ」

 「正親町天皇絡みで」

 「正親町天皇…毛利家は、皇室の親戚と同じと言いよった奴か。毛利家や本願寺との和議を薦めた張本人だな、支援してやったのに」

 「信長様は天皇になろうとしたお方。正親町天皇を退位させ、若き誠仁親王さねひとしんのうを新天皇とすることにより、朝廷への影響力を高めようと画策しておられた。朝廷からすれば、それは、脅威でしょう」

 「天皇は飾りに過ぎず、わしの傀儡だったとは思いつつ、厄介な存在だ。特にあ奴は、和をもって尊しとなす、など生温いことを言い寄る」

 「その正親町天皇と光秀様は関係が浅くないでしゃろ。おふた方は、信長様の暴走を食い止める策を案じておられた。比叡山延暦寺焼き討ちの際、光秀様経由で正親町天皇からの京都・盧山寺は戒律寺院で関係がないので焼かないようにと手紙を見せられたでしょう」

 「ああ、だから、聞いてやったではないか」

 「そうでしたな。光秀様からすれば、朝廷を朝廷と思わない信長様は、今までの武士が守り続けた気概をぶち壊すお人に見えたでしょうな」

 「それがどうした、そんな気概などわしがぶち壊してやるわ」

 「それがあきまへんがな。話し合いにならないとなれば、手の打ちようがない。そこへですよ、信長様は光秀様を追い込む真似をなされています」

 「何をしたと言うのじゃ」

 「家康様の接待役を中断させて、秀吉様の援軍を命じられた。これで、光秀様は信長様による家康暗殺を確信された。そこへ使者を送らはったでしょ。『丹波と近江の所領は召し上げる。その代り、出雲・石見の二国を与える』と。出雲・石見は毛利氏の所領でしたよね、それを与えるってのは、自分で奪い取れと言うことでしょ。光秀様の落胆の色が思い知らされますわ」

 「それは裏工作ばかりに精を出さず、やれると言うところを見せてみろと言う、謂わば光秀を思っての鞭じゃ」

 「そんな鞭は痛いだけで、有り難く受けられませんよ。光秀様は人の上に立つ者は人の痛みを知る者と。残念ですが、信長様の心情は別として、誰にでも分かる素行を見る限り、光秀様が信長様を見限る引き金になったのではと、私には思えます」

 「人の心など知る術など、わしは興味がない。目に見える物、この手に掴める物のこそ信ずるに値する…」

 

 信長は、暫し沈黙し、感慨深く、自らの人生を、振り返ってるように思えた。命の炎が乱雑に揺れ動くのを感じつつ。


 信長の気持ちを代弁するならば、先の先は希望が持てる。先の先とは、天下統一を成し遂げ、朝廷になり、天皇となること。その反面、自分の思いを周囲に浸透させる難しさ。脅威ではなく温和に。忠兵衛にあれやこれやと言われ、腹が立つものの、結果として、比叡山に巣食う生臭坊主たちの行いと自分を重ね合わせていた。

 奴らも最初は崇高な思いで僧侶になっただろう。権力を得て、周りが卑下ふすと横暴になり、人道極まりなく外道に明け暮れる。自分が天皇になれば、我が儘勝手にこの国を牛耳り、怒りと憎しみを買い、多くの者は不安感を伴い、繁栄とは逆の世を築くのではないか、と。ああ、考えるのも面倒だ。もっと自由に思うがままに生きて直しても面白いのではないか、いや、面白いに違いない、と思うようになっていた。

 

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