第9話 夢と夢
深紅の巨体がこちらを向いた。
風向きが変わったのが分かった。自分では分からないほどの微細な臭いか、制御できなかった息づかいのどちらかが届いたのだろう。目が合うのが分かった。呼吸も鼓動も止まったのではないか。
その近くには蒼い巨体が伏しており、深紅の巨体はそれを食らっていた。傍に倒れている覇追い屋の仲間には見向きもせずに。
「サイト!」
ゼクスが叫んだ。それまではサイトの事をボウズとしか呼ばなかったのにだ。そこで違和感に気づく。
呼ばれたあの時はクリムゾンの顔にゼクスの放った矢が刺さっていたはずだ。
サイトが初めて作り上げた抜覇毛弓、それも親方の手により弦が張られたために常人では引く事すらできないほどの強度を誇る逸品だからこその威力で放たれた矢だ。ゼクスの妙技と合わさって、突進中の覇獣の顔面の外皮に突き刺さったそれは注意を逸らせるには十分なものだった。
その時ゼクスが着ていたのはプレブの素材を用いて作られた覇獣の革鎧。
覇獣の尾は、昼寝が大好きだったシエスタという若い覇追い屋をなでただけで切り裂いた。ゼクスがそれを受けても生きていられたのはこの革鎧のおかげだろう。
全てが偶然の上に成り立っていた。何かが一つでも足りなければあの状況は成り立たなかった。
指はバリスタの引き金にかかっていたはずだった。アーチャーが狙いをつけて、急所に突き刺さるはずの矢が装填されている。
すぐに矢が飛んできてクリムゾンの顔が左を向くはずだった。アーチャーが撃てと叫ぶはずだ。
「あれ?」
だが、矢は飛んでこなかった。代わりにクリムゾンはこちらへ突進してくる。その顔がはっきりと見えた。
弱点である首はまったく見えない。あの首に矢を撃ちこめば、クリムゾンは倒れるはずだった。
「うあぁぁぁぁああああ!!」
夢の中で叫んだ。引き金を引くべきか、それとも最後の最期までアーチャーを信じて合図を待つべきか。
いつも、この夢はここで終わる。
***
「
あまり眠れなかったゼクスが朝食時に言った。かまどで焼かれたパンと昨日の残りの鳥肉、それにマルスが採取してきた野草のサラダというのが朝食のメニューだった。開拓村で育てている茶を乾燥させたものを取り出して、沸かしたお湯を注いでいく。これほどに食が充実しているのもゼクスが拘ったからだった。しかし当の本人は食欲がないようである。
「寝ずに考えてたんですか?」
「言うな、アーチャー」
ニヤニヤと言ったアーチャーに対して苦虫を噛み潰したかのような顔でゼクスは答えた。常日頃から食事と睡眠の重要性を力説しているはずのゼクスが、新人の手本となるべき人物がそんな事をしているからだ。本人もそれを自覚しているのかジロリとアーチャーを睨み返した。
「今日は俺もその一角尾獣ってやつを見に行くよ。もしかしたら毛皮でなにか作れるかもしれない」
気候は悪くない。防寒の毛皮というのもそこまで分厚いものが必要なわけではなかったが、家の中の何かに使うことはできるだろうとサイトは思っていた。一角尾獣の数が多ければもっと他のものを作ることができるかもしれない。
「おっ、食料にするんですね?」
「食べるかどうかを決めるのは犬を連れてきてからだ。肉に毒があったらどうするんだ」
マルスの言葉をアーチャーが遮った。サイトはその前に狩れるかどうかの判断をしなくちゃならないと思っている。もし、脅威となるようだったらクロスボウだけではなくてバリスタを使うことも考えなければならない。ベースキャンプに設置されたバリスタは移動にはかなりの労力を要する。それにいざという時に逃げ込む先の洞窟を護るために使う予定なのだ。
「皮は分厚そうだった。覇獣とどっちがと言われてもな」
「大きさは覇獣より少し小さいくらいだけどな」
あの覇獣よりも硬い皮なんて想像ができない。だが、ここはフロンティアであり未知の領域なのだ。
地図の他にそういった初めて見る動植物を記録する道具も必要だなとゼクスは言った。
クロスボウを担いだゼクスはそれでも歩きが遅くなることはなかった。ゼクスが持つべき荷物はサイトが持っている。マルスよりも歩みの遅いサイトに歩調を合わせて、昼過ぎに森を抜けた。
「帰る頃には日が暮れちまうぞ」
「お前らと一緒にするなよ」
肩で息をするサイトにそんな事を言うのは巨大なクロスボウを担いでいるゼクスだけだった。それでなくとも訓練されていないサイトがここまでついてきているという事の方が褒められるべきであって、覇追い屋という職業の過酷さを物語っている。
「ようやく森を出たか」
「何か狩ってくることとしよう。サイトはここで休んでいろ」
ゼクスはアーチャーにサイトのお守りを頼むと、弓を担いで湿地帯へと出ていった。マルスもライも弓を持っている。
湖が見える。それもサイトが想像していたのよりも随分と大きかった。おそらく、あの湖で漁業ができるのならば村を養っていくのは十分だろう。だが、フロンティアの湖に何が住んでいるかは分からない。他にも農業をしなければ穀物が手に入らないために候補地をいくつか挙げる必要があるだろう。
それに、もっと遠くでなければならなかった。それはゼクスにすら言っていないサイトの考えからである。
「アーチャー、ここなら住めると思うか?」
「いや、ちょっと不安だな。覇獣にすぐ見つかってしまう」
やはりそれか、とサイトは思う。もし、湖の上で覇獣に襲われたら死ぬしかない。だからと言って森の中では十分な人数を養うことができるとは思えなかった。
「草原が一番いいんだけどなあ」
「そこに、城壁でも作るのか?」
「ああ、城壁以外に覇獣を止めることができる物はないだろう」
自然の要塞のような山の奥地では、逆に覇獣の運動能力に勝てる要素がないだろう。だだっ広い平地で、自分たちの防衛のしやすいような城壁を作り、その上にバリスタを配置する。サイトの考えたのはこれだった。
「飛んでいるなら覇獣も撃ち落とせると思う。むしろ地面に足をつけているあいつらは仕留めにくいんじゃないか」
「……また、なんてことを考えるんだ」
アーチャーはサイトの考えていることの先を読めなかった。だが、サイトは明確にその先を考えている。その考えの中では覇獣ですら利用される側であった。
「それを現実にするには……」
途方もない未来が見えたような気がして、サイトは身震いした。
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