第81話異界への道はもう広がってしまっている

 さて、三田村を女子更衣室に置きざりにしたままの朝倉は、三田村から奪った腕時計を見ながらため息をついていた。


「……推理ばかりしているヒマはないわね。

 クガルとかいう変なおっさんが出張っている、

 過去に消費されて消えたはずの存在が魔法の基本的な法則を無視してよみがえっているうえに、その『よみがえりかた』に前とは違う不規則な変化がある……ってあたりは、なんだか不気味で嫌な感じがするけれど、それもおっさんがレギスの作ったものを扱いきれていないからだった……ってことでひとまずは納得しておくとしましょうか」


 日付はとうに変わっている。このままぼんやりと過ごしていたらあっという間に朝が来てしまうことは明らかだった。


(時間がないわ)


 そう判断した朝倉は、誰もが近づくだけで開けようとしなかった血まみれのドアに近づき、あっさりとあけた。様子を見ていた神父がギョッとした声を上げる。


「普通いきなり開けるか!? お前も豪胆なヤツだなあ」

「豪胆じゃないわ。普段は怖がりな部類だもの」


 ドアの奥を覗き込んだ朝倉が、覗き込んだ格好のまま肩をすくめる。それを見た神父はあきれた様子で肩をすくめた。


「怖がりな人間は、何が起きるか分からないドアをいきなり開けたりしないと思うが……変なところで思い切りがいいやつだなあ」

「だって緊急事態なんだもの……それにしても、暗いわね。前の異世界転移騒動のときに、異世界創造魔法で出来た世界が割れちゃって、空の向こうに黒いものが見えたけど、これはあの時に見えたアレに近いような……」


 そこまで言った彼女は、ふと黙り込んだ後にまたつぶやいた。


「……そうだわ、ラストイビルデーモン……」

「うん?」

「私、分かっちゃったかも。クガルのやろうとしていることが」

「ラストイビル……どういうことだ?」


 神父は困惑気味に何度も首をかしげている。

 そんな彼を見上げて朝倉が何か説明しようとしたとき、彼女の背後からにゅっと筋肉質な腕が出てきて彼女の体を引き留めた。


「ちょっとまってまって、まって。

 ……エリカちゃん。頼むから俺抜きで危ないことしないでって言ったろ?」

「あら三田村さん。もう起きちゃったのね。

 私たちが戻ってくるまで寝ていてくれてよかったのに」

「その自信はいったいどこから湧いてくるわけ?」


 と、腕の持ち主こと三田村はため息をつきながら、自分よりはるかに小柄な朝倉とその隣にいた神父を押しのけて、ドアの奥に目をこらす。

 そして(まあ分かっていたけど)と言いたげな様子でため息をついた。


「はーっ。また『これ』か……」

「知ってるの三田村さん?」

「うん、熊野寺の家の天袋の中にも『これ』が広がっていたからね。

 もっと言うと俺と君が最初に出会った時、空が割れた向こうにあったのも多分『これ』だなあ」

「私とあなたが最初にあった時の……やっぱり。

 三田村さんもそう思うのね……」


 朝倉はそう言いながらドアの向こうを見つめる。


「ここに際限なく広がっている暗闇が、クガル? レギス? の、牢獄そのものってことでいいのかしら」

「そうだと思うけど、違うかも。推測の裏付けになる情報も手掛かりもなーんもない状態だから、俺達に判断できることじゃないね」

「確かに」

「だろ? ……懐かしいなあこの感じ。

 異世界転移なんて意味が分からなかったから、最初は全部さぐりさぐりでやっていたんだよねえ」


 と、三田村は苦笑する。彼は「ちょっと待ってて」と言い置いて、管理人室から持ち出した道具箱を持ってくる。中から新品のPP紐を取り出して、ぺりぺりとビニール製の外装を破りながら、


「──で、さっきまでのエリカちゃんたちは一体何の話をしていたの? ラストイビルデーモンが何だって?」


 と、首をかしげる。朝倉はそんな彼を見上げ、


「私ね、クガルの目的が、ラストイビルデーモンもとい化け物になっていた管理者の死体の蘇生にあるんじゃないかって思っているのよ」

「えええーっ!?」


 三田村は困惑顔だ。

 うさんくさげな顔をしながら、ドアの向こうの闇を見やる。

 朝倉はそんな彼を見上げ、人差し指を立てて説明を続けた。


「……熊野寺の死体、今は一体どこにあると思う?」

「え? えーっと……俺たちが最後に見た熊野寺って、確か蒔田さんの体を乗っ取っていた状態だったような」

「そう。つまり『あの時にはもう死体はなかった』。

 だから、その前よ。彼が死んだのは蒔田さんの体を乗っ取った時よりも前。


 ……そうか。三田村さんは見てないから知らないのね」


 朝倉は得心が行った風にうなずく。


「私と笹野原と蒔田さんは、デッドマンズコンフリクト3の世界で、一度化け物状態にに変化してしまった熊野寺に遭遇しているの。

 大きさは、バグらせて巨大化させたトラックでやっと轢けるか轢けないかって感じで、体中が顔だらけになった凄まじい状態だったわね。化け物にありがちな長細い手足が体についていたわ。


 ……あの時は確か、熊野寺自身が代償切れを起こしていて、そんな追い詰められた状態になりながらもデッドマンズコンフリクト3の世界を別の世界に作り変えようとしていたらしくて、ガリガリ床を掘っていたのだったわ。

 アイツが何をしていたのか、いまだによくわからないのだけれど」

「へええー……そんな地獄絵図があったんだあ……」


 三田村は引き気味に呟いた。んなグロいモンに遭遇せずに済んでよかったと思っているのだろう。朝倉はそんな彼を見て苦笑しながら、


「その化け物は、最終的に蒔田さんが笹野原を取り返そうとして大久保の廃屋に乗り込んだ時にとどめを刺して殺した……って私は聞いているわ。

 で、アイツの死体、今どこにあると思う?」

「……そのタイミングで殺されたってことは、レギスの牢獄?」

「うん。だと思う」


 朝倉は頷いた。そしてふっと目元を緩める。


「……懐かしいわ。笹野原がね、アイツにラストイビルデーモンなんて変な名前を付けていたのよ。ネーミングセンスが皆無なのね。

 で、ヤツの死体って、今どんな状態にあると思う?」


 と、首をかしげる。三田村は顎をかきながら目を伏せた。


「そうだなー……フツーに考えればくさって土にかえってるんじゃねぇかなって思うけど」

「ゾンビやモンスターや地獄の軍勢たちが今こうして復活しているっていうのに、熊野寺だけが復活不能な状態にあるとは逆に考えにくいわ。

 蒔田さんがトドメを刺したっていうあの巨大なバケモノの死体を蘇生させる力を集めるために、クガルはこの辺をウロウロしていた……ってことは考えられない?」

「ううーん? でもなあ。モンスターたちと熊野寺の間には一つ致命的な違いがあるぞ?

 モンスターたちは確かにテレビゲームのキャラクターみたいに蘇生可能な存在なのかもしれない。だが、熊野寺は元人間だ。人間の蘇生なんて出来るのか? それに第一……」


 と、三田村は苦い顔をする。そして噛んで吐き出すような口調で、


「──あんなモン、生きかえらせて一体どうするってんだよ」

「それは分からない。

 だけど、熊野寺って死んだあとに蒔田さんの体を乗っ取ったりしているでしょう? あんな人間離れしたことが出来ている時点で、こちらの常識にあてはめてものを考えてはいけない……っていう気がするのよ。

 もしかしたら、魔法で死んだ人間の蘇生だって出来るのかもしれない。

 それに、クガルという男が用意周到に私達を呼び寄せた心当たりと言えば、もうアレしかないと思わない?」

「それはそうだけど……ううーーーーん……。用意周到ねえ……」


 三田村は鼻でため息をついて、頭をかく。


「……確かに事前工作はミョーに細かくて『ハメられた』って感じがしたのは確かだよ。玖珂だって俺たちのことを『罠にはめてやった』みたいなことを言っていた。

 だけど、俺たちがこのタワマンにきてからはなんか色々と『雑』な感じがするんだよ。俺の不動産屋としての勘で、あんまりうまく説明できないんだけど」

「雑?」

「なんか行動が行き当たりばったりって言うか……まるで仕事に計画外の穴が開いて、その処理に奔走ほんそうしつつも何とかして最初の目的を果たそうとしているような、そんな感じの雰囲気があったよ」

「ええー? そんなのしたの?」

「俺はした。今までに修羅場をくぐりまくってきた不動産屋としての俺の勘が『この話は裏でモメにモメていて何がどう転ぶか分からないから逃げたほうがいいぞ』って告げているね」


 深追いしてもいいこと何もないかもよ、だからもう帰らない? と、三田村は朝倉を見ておどけた風に笑う。彼女はそんな彼をフッと苦笑交じりに見やりつつ、キッと表情をあらためて、


「──逃げるワケがないでしょう。とにかく、この先に行ってみるしかないわね」

「ええーっ。真っ暗だよ?

 このむこうに蒔田さんと夕ちゃんがいる保証なんかないんだよ? そして何よりこの俺の勘が『危ないからもう帰ろう』って告げてるんだよ!?」

「嫌ならついてこなくていいわ。もう出口は開いているんでしょ? 危険だし、三田村さんはそこから帰って貰って構わないわ。

 笹野原にせよ、蒔田さんにせよ……半分死にかけているであろうあの人たちを、こちらの世界に取り戻したい……という希望は、あくまで私のわがままにすぎないもの」

「……エリカちゃんってほーんとつくづく、一度仲良くなった子を切り捨てられないタイプだよなあ……ひょっとしなくても、今回のこれに限らずいつもそんな感じだよね?」

「まあね」

「……これからは俺も一緒に苦労する予感しかしねーや。

 ま、俺も俺で君に苦労かけてるんだし、今更気にしても仕方ねえ話だなー」

「まだ付き合ってくれるの……?」

「何びっくりした顔してんの。ここまで来たら一蓮托生いちれんたくしょうだろー? 時間もねーし、行くならさっさと行ってしまおう」


 そう言って、彼らは進みだした。

 三田村はスマホの懐中電灯機能を惜しげもなく使って血痕けっこんを追っている。


「はーあー……始業まであと何時間よ。

 今度こそ本当に死出しでの旅になるんじゃねえの? 知らねーぞーもー」

「あら。それも、不動産屋としての勘?」

「ンなにしょっちゅう死にかける仕事じゃねえよ不動産屋は……疲れちゃって俺もう頭がうごかねーんだっつのー。もーやだーいえにかえりてー」


 三田村は雑な返事をしながらやけくそぎみに笑う。

 十中八九、疲れ切っているのに解決の見込みもない探索活動の延長戦が始まったせいだろう。そしておそらくは、朝倉の無事が確認できてホッとしているという要因も大きい。


「……三田村さんって、たまに小学生の男の子みたいなダラけかたをするわよね」


 三田村のだらけっぷりを見て、朝倉は過去の教え子たちのことを思い出しながら苦笑した。


「どーせ俺は図体だけデカくなった子どもだよ。

 それにどんなにそれっぽく言いつくろったって、俺どうせ殺人鬼だし?

 君がずっと怖がってるロクでもねえ不動産屋なんて仕事をしてる人間だし??

 根っこの部分じゃエリカちゃんに近づくヤベー連中とそんなに変わんねーかもよー」

「なにを捨て鉢になっているのよ。

 駄目さ加減で言ったら人類みんな似たり寄ったりだけど、そこでいじけてたら仕方ない……って言ったのは三田村さんの方でしょう?」

「え。……さっき俺がした話をそこまで単純化するう!?」

「だって、そういう話だったじゃない。

 うーん、でも、そうね。……なにか三田村さんと他の人達で『違う』って言えることがあるとするなら……」


 と、朝倉は歩きながらも目を伏せて考え込む。


「……三田村さんは、『自分はお前に許されて当然の人間で、そうしないお前は加害者だ』みたいな迫り方はしなかったのよね。交際を断られたらそれはそれで仕方ないけど、断られないためにベストは尽くす、みたいな感じだった気がするわ」

「そうかあ? 断られることなんか考えたくもなかったから、かなり強引に押したと思うけどなあ……」

「でも、仮に私がかなり強硬にあなたの申し出を断ったとしても、あなたは私を殺したり、脅したり殴ったり暴言を吐いたりなんてしなかったと思うのよ。

 だって、あなたは普段の言動からして『そう』なんだもの。

 三田村さんってあなた自身の言う通り、ある程度の段階まではかなり積極的だし強引なんだけど、でも、私が無理とか用事があるって言ったらあっさり引くじゃない?」

「いやそれはまあ……本当に嫌がってるのにゴリ押ししたら後々揉めてお縄についちゃう業界の人間だし……」

「でしょ? 私が本当に嫌だって言ってるのにあなたから何かを無理強いされた記憶って、最初に殺されそうになった時以外はないわ」

「……まあ、確かに、最初の殺人未遂以外ではエリカちゃんに強引に何かしでかしたことはないかもね。

 ていうか、他のヤツらはそんなに何らかの何かを無理強いすんの?」

「許しの強要をする人って意外といるわよ。恋愛でも、友情でもね。

 男女問わず、何かを断っただけで自分の存在を丸ごと拒絶されたと思って相手を悪人扱いする人って沢山いるもの」


 朝倉はため息をつきながらそう言った。


「……私はね、洞とかいう特殊体質のせいなのか何なのか分からないけど、路上とかネットとか電車の中なんかで、いきなり私のことを運命の人か神様みたいに扱って、少しでも私が嫌がるそぶりを見せたら凄く攻撃的になるようなキテレツな人にしょっちゅう遭遇するの。私はそういう人をとても恐ろしく感じるし、いくら相手からチヤホヤしてもらったって決して好きになることは出来ないわ。


 恋愛に限らず人間関係って、好かれようとする努力をすることは絶対に大事だけど、でもそれだけじゃ決まらない運次第って部分があるでしょう?

 他人が関わることで自分の思い通りにならないことは、精いっぱい努力しても駄目だったらいっそ思い切ってあきらめて別の楽しいことにでも目を向けるしかないのに、そうは思えず『自分が頑張れば必ず何とかなる』『自分がこんなに一生懸命なのに分かろうとしない相手のほうが加害者なんだ』『だからそんな馬鹿な相手を傷つけることになっても、自分は不当に傷つけられたんだから絶対に悪くないんだ』……って考えに行ってしまう人たちが私はとても恐ろしい。


 ああいう人は、表面上はいくら自分は馬鹿だ非モテだオタクだ底辺だって自虐していても、本当は自分のことがとても大好きで、そして大好きな自分を傷つける周りのことが心底許せないのでしょうね。会ったこともない二次創作家に一方的な毒マロ送り付けるようなオタク女にしてもそうだけれどさ」

「毒マロ……?」

「……話がずれた。

 とにかく。自分が他人と変わらないあくどい人間なんじゃないかーだなんて、考えるだけ無駄よ無駄よ。少なくとも私はあなたのことそんな風に思ってない。

 三田村さんは確かに私を殺そうとしたし、異世界で大勢人を殺した悪人かもしれないけれど、でも、それでも今の私はあなたのことが好きになってしまったのだし、あなたも私が好きなんだから相思相愛で万々歳。以上。おしまい」

「まあ、そりゃそうなんだけどさあ……」

「そんなことよりも、今は無事に生きて帰ることのほうが大切だわ。

 ここまで勢いで来ちゃったはいいけれど、なんだかいよいよ本当に死にそうな感じになってきてない? コレ」

「不吉なこと言うなよ」

「でも、だって、これってなんだか本当に生きて帰れない雰囲気がするじゃない」


 朝倉は足を止めて、周囲の暗闇を見回した。まるで深海の、上も下も分からない海中洞窟の中にいるような底知れない雰囲気がある。


「……何馬鹿なこと言ってんだ。生きて帰るんだよ」


 と、三田村は乱暴に朝倉の手をつかんで歩き始めた。


「生真面目で怖がりな割に変なところで思い切りがいいエリカちゃんがすぐに動き出してしまうことを見込んで、さっき新品のPP紐を更衣室のドアノブに縛り付けて持ってきておいているよ。

 だから、元の場所に戻れないってことはないと思う」

「そうだったの? ありがとう……あんなに『もう帰ろう』って言ってたのに、いつの間に……」

「ダメ元で言いはしたけれど、他人を切り捨てられない君がこのタイミングで引き下がるワケがないって分かってたもんよ。

 400メートル以上進むとなると、管理人室から別の紐を持ち出さないといけなくなりそうだけど……そうなったらそうなったで地獄の軍勢に追加分を頼むしかないな。おーい、誰かー、長いヒモかなにか、持ってるー?」


 と三田村が不動産屋で笑いながら後方に目をやると、ずっとついてきていた地獄の軍勢たちが、口笛を吹いたり笑ったりしながらおのおののかついでいる物資袋を掲げて彼に応じてみせた。神父が笑いながら、


「そんなものは無いそうだぞ」


 と首を振って肩をすくめる。三田村は笑ってそれに頷いた。


「んじゃあ、この紐を全部使いきったら一旦取りに戻るしかないな。

 それが嫌なら、地獄の軍勢たちの服をつないで無理やり長い紐にしていくとか、回復アイテムのジュースや菓子なんかでヘンゼルとグレーテルみたいに道しるべを作って行くしかないわけだ。


 ……まあ、やるって決めたなら腹くくってやるしかないし、なんとかなるっしょ」


 と、三田村は彼らを見ながら笑う。

 地獄の軍勢達はあるものは豪胆に笑い、不安げに周囲を見回し、自分の服にかかっているオレンジジュース(※回復アイテムです)をいつまでも嫌そうな顔で気にしているヤツもいた。


 いい大人がたくさんの物資を抱えてぞろぞろ連れ立って歩く様子は、一見大人の遠足か観光にも見える。

 しかし、彼らが血痕を追う先には公園も緑深い山の姿もなく、ただ一面の暗がりだけが広がっているのであった。

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