第60話人中はやめろ


 人間というよりも、人間に似せようと作られた人間風ロボットのことを思い出してしまう……そんな雰囲気のある少女だった。

 彼女の白い髪は背骨の付け根ほどまでらされており、髪の色に負けないくらい肌の色も白い。

 金色の瞳は、なんとなく今はもうこの世にいない青年、レギスを連想する。

 そんな目立つ見た目をしているくせに、驚くほど存在感がない。

 そのへんはインパクトのある人間風ロボットとは違う。

 人間? 人間じゃない? どっち??

 笹野原は戸惑いがちに頭を下げた。


「その、はじめまして。

 私の命の恩人……なんですよね? ありがとうございます。

 それで、ええと、どちら様なんでしょうか?」


 という笹野原の言葉をどう受け取ったのか、少女はますます微笑を深くして、笹野原の頬に触れる。

 笹野原は戸惑いつつも微笑み返すしかなかった。

 蒔田にこの不思議な少女と状況について聞こうとするも、蒔田はバールを工具として使い倒して部屋の探索たんさく作業に戻ってしまっている。

 一体何を探しているのやら……今の笹野原には何も分からない。


(あとでいろいろ聞いてみよう)


 そう思った笹野原は、おとなしく今の自分にもできることを……周囲の様子の観察を開始した。


(変な場所)


 目の前の少女も変ならば、この場所も変な場所だというしかない。

 壁面は金属の板ばりになっているが、半球状で材質不明の青い天井一面には、金の塗料とりょうで星座のような図が描かれている。


(星座? いや、星座じゃないかも……人間っぽい記号が線でつながれてるし……)


 そんなことを考えながら周囲を見ていると、足元のゴミ箱らしき場所に自分の衣服が捨てられているのを発見する。

 ……青色の液体でぐちゃぐちゃになっており、もう二度と着られるような状態ではなかった。


(……蒔田さんが見かねてジャケットを貸してくれたわけだよ)


 部屋の至る所には、床に転がって虫の息になっている人間たちがいた。

 先ほど蒔田がバールで殴って昏倒させた人々だ。人種はアジア人というよりは白人に近く、レギスのような外見の者はいない。

 彼らの服装は妙な統一感があってとりあえず全員服が白っぽかった。


(ダサすぎる。ここはアパレル業界が滅亡した世界なのかしら……)


 笹野原は現実味のない気持ちのまま顔をしかめた。

 うんざりした気持ちになりながら、自分が寝かされていた金属製の台の上に座り直す。

 すると、金属製の安っぽい台の隣には、銀色に鈍く光る鑷子(せっし:ピンセットのこと)やメス、ペアン、モスキートなどといった、手術室の常連めいた医療器具が真っ白な布の上に置かれていることに気が付いた。


(……え、私、体を切り刻まれそうになっていた!?)


 笹野原は思わず自分の体を確認する。

 体が切り開かれたような痕跡こんせきはない。

 ……だが、体の至る部分に黒いインクで目印らしきものが付けられていた。


(げえっ! これ手術前のマーキングと同じようなアレでは!?

 てことは、私、本当に体を切り刻まれそうになっていたの!?

 ホラゲーじゃあるまいし、一体なんのために……)


 笹野原が呆然としながら自分の体を見ていると、蒔田が彼女の隣に座った。

 いつもの彼らしくなくかなり距離が近い。何でだろうと笹野原が思う前に、彼女の手に彼の手が重ねられた。


(……蒔田さんの手、震えてる……?)


 そのことに気が付いた時、笹野原は蒔田も決していつも通りの状態ではないのだと気が付いた。



「──……君の体も落ち着いてきたようだな。

 それじゃあ、分かっている限りの状況を説明しよう」


 蒔田はすぐに笹野原から手を離し、何でもない風の顔をして説明を始めた。


「まず、君はデパートの上の方の喫茶店の前で、急に姿を消して、何らかの方法でこちらの世界に転移してしまったらしい。……そこは覚えているか?」

「いいえ、転移のことはなんにも」

「無理もないか。今まで失神していたみたいだしな。

 とにかく君は、今日の午後十四時半ごろにいきなり姿を消した。

 そういう連絡が朝倉から来たんだ。

 ……俺もすぐにそのデパートに向かったんだが、手掛てがかりは何も残っていなかった」

「すぐにって……蒔田さん、つかぬことをお聞きしますが、会社は?」

「緊急事態だぞ?

 今は繁忙期はんぼうきでもないから、急用だと言い張って、午後休をもぎ取ってきた」

「……言い張れるものなんですか?」


 という笹野原の問いに、「まあな」と肩をすくめる蒔田。


「デパートには何も手掛かりがなかったので、俺はダメ元で手持ちのリュックからPCを出して、君らが言うところの無題のアプリを起動した」

「あのめっちゃ重いリュック! 蒔田さんいっつもあれに『全て』を入れてますよね! ……で、無題のアプリも、まだ残していたんですか……」

「ああ。俺はもしものときに備えて全部持っておきたい人間だからな。

 話を戻すと、アプリには君の実名が入っていた。

 滞在先はゲームの名前ではなく『???????』と表示されていた」

「ハテナがいっぱい、ですか……。

 バケモノ化した熊野寺が、デドコン3の世界を壊していた時にそんなことになっていましたね」

「そうだな。前はアプリの起動自体できなくなっていたはずなんだが、動くようになってしまっていた。『???????』なんて選んだこともないものを選ぶのは少し怖かったが、君の命がかかっている可能性がある以上、選ぶしかなかったな。

 ……君のその姿を見るに、俺が急いだことは大正解だったんじゃないか」


 蒔田は笹野原のラインまみれの顔に目を向けて、苦い笑みを浮かべる。

 笹野原はバツが悪そうな顔をして下を向いた。


「……また助けてくれてありがとうございます。それで、その、数時間前にいきなり異世界転移をした蒔田さんは、どうやって私を見つけたんでしょうか。

 何の手掛かりもないオープンワールドにいきなり放り出されたようなものじゃないですか?」

「ああ。絶望的な状況だった……で、そんな中で出会ったのがそこの女の子だ」


 蒔田の言葉を受けて、笹野原はさきほどの少女の方を見る。人間かどうか判断に迷う少女。


「俺のパソコンからレギスの力を感じるとか言っていたし、目の色も似ているし、関係者なのかもしれない。

 その子ははっきり『探し物ですね。ご案内します』と日本語で言って、俺をここまで案内してくれたんだ」

「そんな言葉遣いだったんですか?」


 笹野原は思わず眉間にしわを寄せる。


「……あなたは、だれ?」


 笹野原がそう質問をしても、少女は微笑んで首をかしげるばかりだった。


「……レギス君よりは私といた頃のNPCナースに近い感じがする人ですけど、蒔田さんはこの子と会話が出来たんです?」

「ああ。うまく受け答えできる時と全然会話にならない時で落差があるな。

 でもまあ、日本語が通じただけでもありがたかった。

 ここは明らかに異世界だが、レギスといいその子といい、違う言語圏の人間と会話ができる技術がこの世界にはあるようだ」


 そう言って蒔田が「とりあえず」と話を区切って立ち上がる。


「──とりあえず、君を見つけ出して確保するという目標は達成できた。問題はこれからだな。どうやって元の世界に帰るべきか」

「蒔田さんのPCがあれば帰れそうですけど……現実世界に置いてかれちゃったんですか?」

「いや、こちらの世界に持ち込むことはできたんだ。

 ……だが、ここに来るまでに過酷な戦闘があって、何者かに奪われてしまった」

「何者かに奪われたって、そんな映画みたいなことに……」

「仕方ないだろう。

 ……PCの入ったバックパックを追いかけていたら、間に合わない状態だったんだ。実際荷物を諦めて急いだお陰で君を助けられたのだから悔いはない。いざとなったらここに定住する覚悟だって俺にはある」

「蒔田さんのその思い切りの良さは一体どこから来るんですか……」


 と、笹野原はため息をつくが蒔田は悪びれる様子もない。


「とりあえず、PCのありかを見つけなければな。

 ひょっとしたら此処ここにあるのではないかと期待して漁ってみたんだが……他の場所を探すしかないみたいだ。

 この女の子にも聞いてみたんだが、さっきからSI〇Iとかコ〇タナみたいな答えしか返さなくなってしまったし、今は調子が悪いみたいだ」

「は?」

「……見ていれば分かる。

 なあ君、俺のPCがある場所を知らないか?」


 と、蒔田が少女に話しかけると、少女は何度かまばたいた後ふっと笑い、はっきりとした日本語でこう言った。


「二件の検索結果があります。もう一方の目的地へのご案内を開始しますか?」

「……SI█Iですね」

「SIR█だろ?」


 蒔田はため息をついた。


「最初から『二件』って言ってるんだが、これは一体どういうことなんだろうな。

 なんにせよ、しばらくはこの子頼みで探索作業を進めるしかない。

 どういう理屈だか知らないが、その子にはPCのある大まかな場所や方向は分かるようだから、ゾンビをかき分けて目的地に」

「ちょ、ちょっと待ってください! ゾンビ、いるんですか!?」

「そうだ。ここでは君の大好きなゾンビがオープンワールドを元気いっぱいに這いまわっているぞ。

 俺が最初に転移した先もなんかのゾンビゲーの中っぽかったでこのバールを拾うことが出来たんだ。やっぱりバールは良いな。終わりかけた世界をさまよう時にはなくてはならないアイテムだ」

「終わりかけ……外、そんなにひどいんですか」

「酷い」


 蒔田は断言する。

 笹野原は思わずひきつった笑顔を浮かべ、自分の体を見下ろした。

 ジャケット一枚しか羽織はおっておらず、ロクな武器も持っていない。

 社畜なのでこんな異世界旅行(?)よりも明日の始業のことが気になるが、一刻も早く帰るためにもこの格好は何とかしなければならないだろう。


 準備が必要だった。





 ☆☆☆





 一方こちらは、現実世界の西武新宿線沿線某所。

 自宅のワンルームマンションで、朝倉は難しい顔をしてコタツ机の上のノートPCと向かい合っている。

 ……とその時ふいに、鍵を回す音のあとに玄関の戸が開く音がしたので、朝倉は「ひえっ!?」と悲鳴を上げつつ、最近買った護身用ハンマーを手に取った。

 が、玄関口に立っている人物が見慣れたものだったので、ホッと息をつきながらハンマーから手を放す。


「三田村さんじゃない。珍しいわね、連絡もなしに来るなんて」


 朝倉がそう言いながら立ち上がったのと、三田村が玄関口に立ったまま呆れ顔で肩をすくめたのはほぼ同時のことだった。

 その手には朝倉の家の合鍵あいかぎをヒラヒラさせている。

 

「連絡なら何度もしたよー。エリカちゃん、ラ×ンみてなかったでしょ?」

「え? あ。あー……気づいてなかったわ。連絡くれていたのね、ごめんなさい」


 朝倉はスマホを確認しながらも、靴を脱ぎ上着を脱いでいる三田村にハンガーを差し出した。

 それを受け取りながら三田村は苦笑する。


「ごめんなさいついでにさ、そろそろその『三田村さん』って堅苦しい呼び方やめてほしいなあ」

「だってどう呼んだらいいのか分からないのだもの。もう少し時間をちょうだい」


 と、真っ赤になった顔を両手で隠してしまった朝倉を見て、三田村が愉快そうに笑った。


「なにいってんの今更。

 もっと恥ずかしいことだってしてるのに、名前くらいで……って痛い痛い! 人中じんちゅう掌底しょうていで突くのはやめてってば!」


 三田村が鼻の下を押さえてガードの態勢を取り、朝倉はプンプン怒りながらコタツ机の前に戻って座り込む。目尻や頬どころか耳まで真っ赤だ。


「は・ず・か・し・い・の! いいからもうだまって! 次に変なこと言ったら、夢小説直伝のえっぐい護身術をお見舞いするからね!」

「は? 夢小説ってな……って二度もさせるか! 人中は駄目だって!」


 きたえようがない場所だから痛いんだぞ! と言いながら三田村は朝倉の腕をつかんで攻撃を防ぐ。

 三田村はあっさり彼女を無力化しつつも、華奢な体を腕の中に抱き留めた。

 そのまま口をふさいだら、いつものように恥じらいつつも遊んでくれるだろうかと思ったのだが、尚もプンプン怒っている彼女はいつもと違って全く乗ってくれなかった。


「今それどころじゃないのよ! っていうか、そもそも一体何しに来たのよあなた」

「ちょっと顔見に来るくらいいいだろ?

 エリカちゃん、ちょっと目を離してると変な奴に家に侵入しんにゅうされそうになっていたりしてるから怖いんだって。

 ……晩御飯まだかと思って買ってきたけど、いる?」


 そう言ってデパートの紙袋を彼女の目の前にぶら下げると、朝倉はきょとんと目を瞬いた。


「いただくわ。ありがとう……の前に、手だけは洗ってきて頂戴ちょうだい

「はいはい」


 三田村は(猫みたいで可愛いなあ)とのんきなことを考えつつも、苦笑交じりに洗面所へと消えて行く。

 ──保育士という職業上、朝倉は家に帰ってきてから手を洗わない人間を絶対に許さない。

 二人してコタツ机に座って、電子レンジで軽く温めた弁当をつつく。


「あ、これ、おいしい」

「そいつはよかった。……それでさエリカちゃん、よかったらこの後二人で──」


 と、そこまで言いかけて、三田村は心配そうな目線を朝倉に向けた。


「……いや、やめとこ。今日のエリカちゃん、ちょっと顔色が悪いね。今日は確か休みだったはずだけど……あんまり休めなかった?」

「いや、それが……」

「なにか心配事とか?」

「ええと……」


 朝倉は思わず言葉を詰まらせる。

 ──今日起きた異世界転移騒動(再)についてどう説明したものか、一瞬言葉の選択に迷ったのだ。

 だが、こんなにも珍妙な事態をうまく説明できる言葉なんてあるわけがない。

 観念した朝倉は、昼間に起こったことをありのまま三田村に伝えることにした。



「……マジかよ……」


 一連の説明を聞いた三田村は机の上に突っ伏した。

 その背中からは何とも言えない脱力感がにじみ出ている。立ち上がった朝倉が台所に行くついでに彼の背中をポンと叩くと、あーともうーともつかない声を彼は出した。


「熊野寺をぶっ潰したからもう話は終わったって思ってたよ……うそでしょまだ続くのあの話」

「そうなのよ、まだ続くのよあの話……」


 と、朝倉はため息交じりに言いながら、台所から湯気を立てたマグカップを二つ持ってくる。

 それを「ありがと」と軽く受け取りながらも、三田村は何とも言えない表情を浮かべてこう言った。


「大丈夫かなぁ、あの二人……今度こそ死ぬんじゃないの?」

「やめてよ縁起でもないっ!

 ……助かるわよ。前も助かったんだもの、今回だって」

「『一度は数のうちに入らない』って言葉が、ドイツの格言にもあってね」


 朝倉の言葉を遮って、三田村が言う。


「……一回だけ奇跡的に出来たことが、二度三度と出来るとは限らない。むしろそうならないことの方が多い。

 とはいえ……うーん、どうしたものかな」

「分からないでしょう? それで、私もどうしたものかなと思って、さっきからダメ元でネットで色々調べていたのよ」

「 ネット?」

「……仕方ないでしょ。ほかに出来ることがなかったんだもの……」


 と、朝倉はむっとしたような顔で抗弁しつつ、ふいに、その表情をバツが悪そうなものにあらためる。


「……でね、そしたら、変なページを見つけちゃって」

「変なページ?」


 三田村はあからさまにあやしがっている感情を隠そうともせず、朝倉が先ほどまで見ていたノートPCの画面に顔を向けた。

 ──だが、そのページの正体に気付いた途端、すうっとその表情を真剣なものに改める。


「……某次裏のアンチスレだね。

 異世界ユーテューヴァー、つまり今は亡き熊野寺君を嫌っている人間の集まりだ。

 ……なんでこんなのにたどり着いちゃったんだよ」

「まあ、ネットの掲示板なんてロクな情報はないって分かってたんだけど……なんだかそこの人たち、様子が変なのよ」


 急に真剣みを帯びた三田村の様子に驚きつつ、朝倉は話を続ける。


「そこへの書き込みがね、最初は熊野寺への誹謗中傷ばかりだったんだけど、ここ最近の書き込み記録を見ると、段々と熊野寺の言っていた『魔法』を肯定する書き込みばかりになっていて……」


 と、朝倉は言いづらそうに言葉を続ける。


「──異世界なんかあるわけないって言っていたハズの人たちが、今は魔法だとか異世界だとかの話ばかりばかりしているの。

 ……明らかにネット以外の場所でつながりあって、何かやっている雰囲気なのよ。

 ねえ。これって何か、笹野原たちが消えたことと関係はないかしら。これをとっかかりに、あの子たちを助けることができるかもしれないって、思わない?」

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