第59話足踏み、苛立ち、予定外

「──おい!

 クソッ、まてまてまて! お前、それはまだ触るなって言ったろ!!」

『何の話だ?』

「こ、こちらの事情だ。いったん魔術通信を切る!」



☆☆☆



「……うまくいかないんです」


 と、笹野原はアイスを飲み込んでため息をついた。


「頑張って蒔田さんとあの手この手で仲良くなろうとしているのに、本当もう、全然だめで」

「あの手この手?

 今の話、人の家でひたすらゾンビを殺してる異常な酔っぱらい以外出てこなかったんだけど?」


 笹野原の相談に乗っていた朝倉エリカは、そう言って苦笑した。

 平日の、時刻は昼食時を少し過ぎた頃合い。

 場所はデパートの中にある小ぎれいな和風の内装の喫茶店で、

 笹野原と蒔田が妙な夜を過ごして明かしてから、さらに数日が経過している。


「……泊まっても何も起きないっていうのは本当に凄いと思うけどね。

 はじめて蒔田さんと会った時、生真面目で実直そうな人って思ったのは間違っていなかったんだわ」

「生真面目で実直……? そんな印象だったんですか?」


 笹野原が首をかしげると、朝倉がふうとため息をつく。


「ごめん、言い方が回りくど過ぎたわ。

 要するに、プライドが高くて四角四面で融通が利かないタイプのオタクだなあ、って思っていたのよ。

 ああいう人って考えを切り替えるのが下手だから、一度知人モードで関係が固定しちゃうと中々恋愛モードにならないわよ。ゾンビゲーをやりに行くとか本当にただの時間の無駄」

「そんな~~~~」


 笹野原はガックリと肩を落とした。

 そんな彼女を前にして、朝倉はふっと年長者らしい笑みを見せつつ、


「……超堅物の変人相手に『こっちから何となく距離を詰めて察してもらう』なんてことするなってことよ。

 そんなことしなくても『好きです』って言えばいいじゃない。多分それで全部解決するわよ?」


 と、首をかしげる。


「ええっ!? 告白なんてとてもとても! 私にそんな資格ないですし!」

「ハア?」

「う。まあ、その話はおいといて……とにかく不安なんですよ。

 私だってどうしたらいいか分からないけど、とにかく何か一緒にやってないと、蒔田さんとの関係がいつの間にかリセットされていそうで怖くて。

 ゲーム開発者と看護師なんて、本来は全く接点のないアレですし……」


 笹野原はすねたように目を伏せて、ぷうと頬を膨らませる。

 朝倉はためいきまじりに首を振った。


「……アンタはとにかく焦りすぎね。

 だってまだ異世界転移騒動から帰ってきて一か月とか、それくらいでしょ?

 のんびり構えていればいいと思うわ」


 朝倉はそう言って華奢な指で和三盆アイスの入ったすりガラス製の器をなぞる。


「……私ね、友達や先輩後輩の恋バナを聞くのが好きだから、自分の経験はさておいて、色んな人の話を聞いているの。

 パパ活だの不倫だの、最初から本命扱いされてないのに他の人が好きになれなくて離れられない話だの……心がささくれるような話だってよく聞くわ。

 それを踏まえて考えるとね、あなたと蒔田さんの関係はいい意味で本当に普通。

 向こうだって明らかに好いてくれているわけだし、焦ることもないと思うわ」


 そう言って、朝倉は微笑する。


「あなたが不安になることだって、全然おかしな事じゃないわ。

 どんなことだってはじめは何でもペースがつかめなくて困惑したり、イライラするものよ。違う?」

「それは、そうなんですけど」


 笹野原はうつむき、朝倉は苦笑交じりにかたをすくめ、ごく自然に話題を変えた。


「……そういえばパーティ? って、もうすぐだっけ。蒔田さんが誘われたとかいうやつ」


 今日の笹野原は彼女と休日を事前に合わせて、新宿のショッピングセンターで買い物を終えた後なのだった。

 机の上には、店を出る時に忘れないよう衣料店のショッパーが置かれている。


「ええ、その通りです。

 蒔田さんとのこと、焦りすぎだとは分かっているんですけど……でも、二週間後には例のパーティーがあるでしょう? せめて腕くらいは恥ずかしがらずに組めたほうがきっといいよなーって」

「三田村さんが引っ張ってきたって言うあの謎の話ねえ」


 そう言いながら、朝倉は机の上のショッパーに目を移す。


「……私、パーティーってファッション雑誌のドレス特集のページにしか登場しない架空かくう会合かいごうだと思っていたわ」

「結婚式があるじゃないですか」

「それよそれ!

 逆に言えば結婚式と学校卒業した時の謝恩会くらいしかドレスを着ていく場面なんてなくない? 

 でもやるところではやるのねえ。なんの集まりなのかしら」

「調べ中です。私は何度か行ったことありますよパーティー」

「実在するの!?」

「え、まあ……。学生時代に何度か友達に誘われて行ったことはあるんですけど、本当にやるところではやりますよ。景気のいい話ですよね」

「アンタ私より物識りじゃないのよっ! ねえ、レディコミに出てくるようなタワマンパーティーって本当にあるの? ていうかなんでパーティーで彼氏作らないの!?」

「付き合いで行きましたけど、殺意が湧くような人しかいなかったので」

「殺意……そういえばアンタはすぐに死ぬNPCに大富豪の名前をつけまくるくらい恵まれた人間が大嫌いだったわね……」


 朝倉は苦笑交じりにアイスを食べ終え、伝票を取って席を立った。



「──まあいいや。今日はこれで解散でしょ?」

「ですね。今日はこの後ちょっと委員会関係の調べ物があるので、早めに失礼します」


 今日は本当に助かりました。相談まで乗ってもらっちゃって、と言いながら、笹野原はショッパーを片手に立ち上がる。

 朝倉は笑って首を振った。


「気にしないで、私だって買い物に付き合って貰ったんだから。

 それにしても休日に委員会の準備か……看護師って本当に忙しいのね」

「職業柄仕方ないですね。時間外の書類作り、本当に多くてイヤになりますよ」

「酷いわよねえ」

「でも朝倉さんだってそういうの多いでしょう?」

「まあね。私も家に帰ったらお遊戯の衣装づくりよ。無料でね」

「ほらやっぱり! 大変なのはお互い様ですよ。それじゃあ、また」


 と、笹野原は店を出ながら元気よくそう言って、朝倉を振り返ろうとした。

 ……が、そのつぎの瞬間に、彼女の意識はブツっと妙にリアルな音を立てて暗転してしまう。


(──えっ!?)


 一体何が起こったのか、笹野原本人には分からなかった。当事者というものは往々にしてそんなものだ。

 物事は大体上手くいかないし、想定通りには進まない。現実と物語は別物だ。


 ──延長時間オーバータイムはまだ続いている。

 当事者たちのささいな悩みやこまごました日常など、構いもせずに。



 ☆☆☆



「早まった真似を……どうして俺の指示を無視した! 今そちらにいけば助からないと言っただろう! 馬鹿なことをしやがって!」

『人間なんか一人残らず馬鹿だって言ったの、アンタじゃん』

「それは……」

『私だって馬鹿だってことだよ。

 馬鹿だし、根性もないし……こんな人生、もうどうにもならないしどうだっていい。

 アンタは故郷に帰ることができる。私は弟の復讐を果たして、異世界ここではないどこかで死ぬことができる。それでいいじゃん。

 ……通信、切るよ』



 ☆☆☆



 一度は命を投げ出してしまった。

 笹野原はずっと、そのことに対する罪悪感を持って生きている。

 自分を投げ出してしまった。裏切ってしまった。

 だから、『資格はない』と思っていた。

 自分には逃げ癖がついている。もしまた何かとてもつらいことが起きた時に、自分はまた全部投げ出してしまうかもしれないではないか……と。

 そう思うととても怖くて、好きな人相手であっても相手に対する責任だって負う勇気がなかった。「好きだ」と全身で表現しても、自分の意思でそこから先に進む勇気はない。だから、ただそばにいたがるだけ。


(我ながら勝手だよなあ……。……って、あれ。私、何でこんなこと考えてるんだろ。)


 笹野原は手術室の無影灯を見上げながら、ふっとわれにかえった。


(……手術室?)


 頭上に浮かぶ明かりを見て、彼女はぼんやりしたまま眉をひそめた。


(……ここ、どこかな……)


 笹野原はぱちりと目を瞬いた。

 これは、夢や幻なんかじゃない。『現実に今起きていること』だ。


(なんなの、これ……え、手術中?)


 笹野原は目を何度か瞬きつつ必死になって状況の把握はあくつとめる。

 どうやら自分はどこかにあおむけに寝かされている……ようではあるが、眼球がマトモに機能していないせいで、それ以上のことが分からない。


(ただごとじゃない)


 彼女は自分の体を確認しようとする……が、出来ない。

 必死に頭を働かせようとするが、ぼんやりしていてどうでもいいことばかり考えてしまう。

 それどころか、体までうまく動かせない状態だった。


(麻酔? 毒……? ……わかんな、い、けど、頭が痛い……)


 ぼんやりと明かりを見上げているうちに、周囲がにわかに騒がしくなる。

 笹野原がぼうぜんと横になっているうちに、彼女の体は力強い腕に抱き起こされた。


(蒔田さん……?)

 

 相手が蒔田だと分かったのは、声に覚えがあるからだった。

 彼女が困惑しながら口をぱくぱくさせていると、蒔田が息をのむ気配がする。

 彼が次に発した声は、はっきりと聞こえた。


「こんな目に遭わされたのか……何も言わなくていいから、今から口の中に入ってきたものを飲み込むんだぞ、いいな?」


 蒔田がそう言うなり、笹野原の口に何かが押し付けられた。


(……なんだろう、これ……)



 ……などと考えているうちに、ようやく視力が戻ってきて、頭の状態もはっきりしてきた。見慣れた顔が目の前にある。彼女を抱き上げていたのはやはり蒔田だった。


「……これ、現実ですか?」


 ぼやぼやした気分のまま、笹野原はとりあえず自分を抱き起している蒔田に尋ねた。


「ああ、多分な。多分現実だと思う」

「本当に……? 死後に見る夢とかじゃないですか?

 今飲まされたのって薬? ですか? にしては効いたスピードだっておかしかったし、夢の中だとしか思えませんが」

「それを俺に聞いてどうする。証明する手立てがないだろう」


 蒔田がそう言って苦笑する。小難しい言い回しでさえあまりに彼らしくて今の笹野原には心地よい。

 それにしても、自分の目の前にいるのは確かにバールを持った蒔田だが、なぜ彼はバールを持って、この手術室めいた謎空間にいるのだろう。悪魔の世界といわれた方が納得できる。


(私たち、一体どうしてこんなところに??)


「……夕。かなり目線があやしいな。大丈夫か?

  体も動かない感じか?」

「……ええと、ぼんやりはしているんですけど……さっきまでよりはマシな感じ、です……」


 笹野原がそう言うと、今度は蒔田がほっとした様子で笑い、彼女をいたわるように背中を撫でた。


「……怖かったな。というか、君はまず服を着た方がいいな」


 そう言いながら、蒔田は自分が羽織っていたジャケットを笹野原にかぶせる。

 どうもかなり露出度の高い検査着姿になっていたらしい。


「……私のこんな姿を見ても、蒔田さんは冷静なんですねえ」

「短い付き合いだが、何度も酔って服を脱ぎそうになる君を止めてきたからな。慣れざるを得ん」

「え。私そんなことしてたんですか!?

 覚えてないです。お酒の力って凄いですね」

「何を酒のせいにしているんだ。

 あそこまで酒癖が悪くて君はよく今まで無事に生きてこれたな……」

「仲のいい女友達としか飲まないんだから危ないことなんか起きませんよ。

 最近はもっぱら家飲み派ですし」


 と、笹野原がジャケットのボタンをのろのろと留めはじめたのを確認すると、蒔田は笹野原から離れ、部屋の中をガサゴソと探し始めた。

 探しながらも蒔田は、何やら延々と独り言をつぶやいている。

 いや、明確に誰かに話しかけているようだが、その相手が見当たらない。


(ん? それともやっぱり独り言なのかな。蒔田さん、こんなに独り言が多かったっけ……?)


 ジャケットのボタンをゆっくりと留めつつ、笹野原は首をかしげた。


「あの、蒔田さん……この状況、は、一体」

「説明したいのは山々だが、俺にも何が起きているのか、状況をほとんどつかめていない。

 ただ、君を狙った異世界転移が起きたことだけは確実に分かっている」

「……またですか? やだーもー」

「……君の目線と意識はまだ怪しそうだな。一気に体内の魔力を抜かれた副作用らしいが……さっきコレをのんだから、間もなくよくなるだろう」


 蒔田はそう言って、ぼんやりと座り込んでいる笹野原に、ボトル入りの青く淡く光る液体を差し出した。


(発光してる液体なんてはじめてみた……これ人間が飲んじゃいけない化学薬品じゃないのかな……)


 現実世界では間違いなく飲んではいけない部類の光を放っているが、大丈夫なのだろうか。

 きっと大丈夫なのだろう、と、笹野原は思った。

 彼女が一番信頼している蒔田のいうことなのだから。

 笹野原は蒔田の作業を手伝おうと立ち上がりかけたが、「座っていろ」と蒔田に言われ、おとなしくその場に座りなおした。


「……さて、もう大丈夫そうだな」


 笹野原が落ち着いたことを確認して、蒔田は説明の姿勢に入った。


「今君に飲ませたのは、人体から抽出ちゅうしゅつされて、工業燃料用に結晶化される前の『代償』らしい」

「工業燃料……飲んで大丈夫なんですか」

「分からん。大丈夫だと聞いたから飲ませるしかなかったが」

「なるほど。代償ってこんな青光りする物体を指す固有名詞だったんですね」

「それも分からん。俺にも全くピンときていない概念だからな。

 さっきの液体は、その子の助言がなければ飲ませようとも思わなかったシロモノだ。礼ならその子に言うんだな」


 と言って、蒔田はぷいと笹野原から目をそらしてしまう。


「え? その子……?」


 笹野原はきょとんとした顔で周囲をキョロキョロと見回した。この場所には、倒れている人間たちを除けば自分たちしかいないと思っていたからだ。

 彼女が首を巡らすと、思っていたよりも近い場所に『彼女』はいた。

 笹野原は思わず悲鳴をあげた。

 金色の瞳に白く長い髪という……明らかに普通ではない姿なのに、驚くほど存在感の薄い少女が、そこで微笑んで立っていることに気がついたからだ。


 

【後書き】

本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介


■ 喫茶店

 駅からアクセスのいい喫茶店は大体滅茶苦茶に混んでいるうえに、両隣で治安の悪い話をしている率が異様に高い。ので、落ち着いた話をしたいときはデパートの中に入っている喫茶店を狙ってもいいかもしれない……そう考えてデパートの屋上の喫茶店に入ってみても、黒光りツーブロック大学生が物慣れない女の子の腰を抱きながら「ここゆっくり過ごせて穴場なんだよ~」などと言いながら入ってきて治安の悪い話を始めたりするので、どのみち都市部の喫茶店は治安が悪い。



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