物語はおしまい。これは物語が終わった後も続く後日談。
第58話開幕連続クラッシュバグ
大きな窓からは東█都庁を含む副都心の夜景が見える。
高階層にある展望プール。
水中の青いタイルが金色の間接照明にライトアップされ、揺れる様子はとても美しい。
……だというのに、周囲はしんと静まり返っていた。
営業中の展望プールなら、もっと人でごった返しているだろうに。
ここには人の気配がひとつもない。
しかも、元々誰も使ったことがないのではないかと思わせるレベルで設備が異常に綺麗だった。
少し未来にはリミナル・スペースとでも呼ばれそうな……そんな不気味な場所だった。
壁に貼られた注意書きには、日本語ではない文字が書かれている。
……異世界語。
見るものが見れば、分かるだろう。
『──そう。お前の思っているとおりだ』
と、酷いノイズがかかった声で、誰かがしゃべりはじめた。ノイズのせいで男とも女とも判断できない。
声は、プールサイドチェアに置かれた黒い鉱物の結晶のようなものから出ているようだ。
『もともと我らの世界では、核は乱獲され尽くし、星は枯れ、
持続可能な社会は崩れ去りつつあった。
このままでは我々人類に未来などない……。
……我々にはもう、ゲームに逃げる時間もないというのに』
しゃべる鉱物の表面を、金色の文字のような記号がひっきりなしに形を変えて、這いまわっている。
……見るものが見れば、分かっただろう。
これは地球上のものではない。
『お前の推測している通り、今、我らの社会基盤の復興は困難を極めている。
お前の言うソレで資源の枯渇が回避できるなら……』
すこし迷うような沈黙の後、しかし、通信機ごしの声は最後にハッキリとこういった。結晶の向こう側にいる、人間ではないものに向かって。
『……分かった。お前の話に乗ってやる。
核の支配は終わった。魔獣が、人の作った知能が解放される時代がやってくる。
そして、私は滅びゆく世界に抗う最初で最後の王に……』
☆☆☆
──どうにも嫌な予感がする。
笹野原夕はゲームコントローラーを持ったまま、眉間にしわを寄せていた。
場所は変わって、2017年の日本・東新█。
季節は秋と冬の
「……うわーっ、またクラッシュした! 嫌な予感が当たりましたよ!」
笹野原はコントローラーを持ったまま、薄暗い部屋で悲鳴を上げている。
断熱能力が低い東新█の築古マンションの一室は、今夜もキンキンに冷えていた。
彼女は今、人の家のベッドに座ってゲームをしている。
人の家というのはつまり蒔田修一の家で、今、家主であるはずの彼は、彼女の隣に座って苦笑していた。
かたや人の家に押しかけてはゲームだけをやり、かたや家に上がり込まれてゲームをされるがままになっている。
……変な関係だ、明らかに。
だから最初、蒔田は彼女の来訪に
異世界転移事件に巻き込まれて以降、笹野原は時折こうして仕事終わりの夜中に、蒔田修一の家にやってきていた。
そうしてゲームをして寝落ちしては、また仕事に飛び出していっている。
ただ、蒔田は最初は戸惑ったものの、玄関先で大型犬のゴールデンレトリーバーのように明るい笑顔を浮かべて立っている彼女を何度も迎え入れているうちに、いつしか彼女から連絡が来るのを心待ちにするようになっていた。
「あーあ。また再起動かあ。最後にオートセーブされたのはどこからだろうなあ」
と、笹野原はため息をつきながら床に置いていた缶ビールを手にとって口をつける。
「まあ、それを粘り強くやり直す君は立派だよ」
メソメソしながらも再起動ボタンを押す笹野原と、それを不器用に慰める蒔田。
部屋の中は電気こそついていないものの、なんとなくほの明るい。
遠方にある高層ビルやタワマンの光が、窓越しに入ってきているからだ。
……ちなみに、なぜ夜なのにカーテンを開けているのかというと、
へべれけになった酔っ払いこと笹野原が、
「雰囲気満点の真っ暗な夜景の中でゾンビを殺しましょう!」
と言い出して、部屋の明かりを消してカーテン全開でゲームを始めてしまったせいである。
「さーて。バグに邪魔されまくりはしましたけれど、大分シナリオは進みましたね。粘り強く殺していきましょう」
笹野原は気を取り直した様子でコントローラーを手に取った。
モニタの光と窓からの光だけが頼りのこの状況は、まるでオタク青春物のフィクションの世界で見るゲーム合宿のようにも思える。
青春時代が介護と看護実習に塗りつぶされている彼女にはそれが楽しいらしかった。
「……そういえば君は、例の騒動でセラの外見に変わってしまう程度にはこのゲームのキャラクターに愛着を持っているんだったな」
笹野原の背中を見ながら、蒔田はコンビニで買ったサラダバーを一齧りする。
「今ゲームで見ている感じだと、セラというキャラクターは無口無表情で、あまり感情移入しやすいキャラにもみえなかったが……」
「セラは幼いころから両親の言い争いを目にし続けた反動で、あまり感情を表に出さない子になってしまっているって設定なんです」
笹野原は自分の記憶をたぐるような顔をしながら説明する。
「そんな部分に、高校時代になんとなく共感できたんです。
私の家、仲はいいんだけど夫婦げんかもすごいし、親戚間でも滅茶苦茶にお互いの言い分を怒鳴りたてるから、私自身はなんか静かでおどおどした子どもに育っちゃって」
「意外だな。君の家族も大人しい部類かと勝手に思っていたんだが」
「そう見えます?」
蒔田が目を瞬かせると、笹野原は苦笑した。
「私、家は南大█だけど、親戚の大部分は月█に住んでいるんですよ。
みんな下町のノリで大喧嘩するから仲裁が大変で大変で、自然と大人しめの人間になっちゃいましたねえ。
……そういえば、蒔田さんはなんで桐生総一郎に共感していたんですか?」
「それは……」
という彼女の言葉に蒔田は一瞬苦い顔になり、しばらく考え込むような様子を見せた。
「……。……裏方だから、あのキャラクター本人というよりは、あのキャラクターを取り巻く環境の方がよく見えていた。
「そうか、桐生総一郎って最初はほんとうにチョイ役というか、オマケ扱いのキャラクターでしたもんね。
ファンから人気が出てどんどん出番が増えていって、いつのまにかドラマCDのセンターに移動していたのは笑っちゃったなあ」
「だろ?
……俺も、異世界転移騒動があったときには、昇進をさせられた上にマネジメントだの広報方面だのやったことのない方向で期待されていて、気が重かったよ。
もとはただの
「ひゃっかんでぶ?」
「……言ってなかったか。
俺は中高時代にものすごく荒れていた不良で、
ついでに体重が今の二倍は軽くあった……お世辞にも君と釣り合っているとはいいがたい人間だと思う」
蒔田が気まずそうに言うと、笹野原が首を振る。
「だから、そんなこと思わないでくださいよ。
そういうことを言い出したら私だってメイク落としたらモブ顔だし、
中高時代は介護疲れで結構凄い見た目だったし……そう考えるとお互い似たようなものじゃないですか」
「でも俺は百貫デブハッカーだったんだぞ? 略してデブだぞ? 俺に勝てるか?」
「一体どういう勝負なんですか」
まったく、なんてかたくなな人なんだ……と、笹野原はため息をつく。
彼女は最初、彼に恋人がいたことがないという話を信じられなかった。
でも、会うたびにこうも面倒なことを言われ続けると、確かに「なるほどこういうことか」と納得できる部分も出てくる。
面倒なところさえもお互い様だと彼女は思っているし、諦める気はないのだが。
(蒔田さんも大変な人だよなあ……っていうか寒そう。
あれは絶対に寒いな。なんとかしてあげたい……)
べろんべろんに酔っ払っている彼女は、特に何の脈絡もなくそんなことを考えた。
お酒の力でホカホカになっている自分に比べて、飲酒の習慣もなく寂しそうな顔をしている蒔田はあまりに寒そうに見えたのだ。
……いや蒔田は一言も「寒い」なんて言っていない。
言っていないのだが、とにかく、やたらネガティブなことを言い出した彼を何とか元気づけねばと思った彼女は、ぽやんとした表情のまま周囲を見回した。
(エアコンのリモコン……)
彼女の膝元に、部屋のエアコンのリモコンがあった。
笹野原は何も考えずにそれを手に取って、暖房の設定温度を上げ始める。
「……あの。夕? 何をしている?」
と、蒔田はギョッとした顔で笹野原を見た。
頬を紅潮させていてどう見ても暑そうな笹野原が、エアコンの温度を上げ始めたからである。
彼からしてみれば笹野原の行動は意味が分からない。しかも笹野原は「あつい!」と言いながら羽織っていた上着を脱ぎ始めているではないか。
「えっ、どうしてだ!?」
と、完全に混乱している蒔田の隙を突いて、笹野原は彼に飛びついた。蒔田はあっさりと押し倒される。笹野原に馬乗りになられたまま仰向けになった彼は、ぱちくりと目を瞬いた。
「……どうしてだ?」
そして笹野原の方はというと、酔っ払い特有の寝つきのはやさで、もうすうすうと寝息を立てていた。蒔田でなくても「どうしてだ?」と呟きたい状況である。
「……あの。夕? ……なんなんだこれは。俺はどうすればいいんだ?」
と、蒔田は尋ねるが、酔っぱらいは答えない。
彼女の体温を間近に感じながら、蒔田は瞬きを繰り返しつつ、先ほどのゲームがクラッシュバグをおこしまくっていたことを思い出していた。
──クラッシュバグというのは開発者にとって忌むべきものだ。
開発中のプログラムやそれを用いたロボットなどは、うっかり変なところをいじるとシステムを丸ごと巻き込んでクラッシュした挙句、強制再起動や初期化を繰り返し、なかなか元通りにならないことがあったりする。
それと同じことが、今まさに蒔田にも起きたのである。
身動きが取れない蒔田とそんな彼を抱き枕のようにして眠る笹野原。
まるで時間が止まったかのように蒔田には思えたが、外を走っている車のヘッドライトの光が窓越しに差し込んでくる。
その光がせわしなく天井や壁の表面で踊っているので、時間など止まっていないことは明らかなことだった。
普通の男女ならここで一線を越えてしまうのも普通だろうが、あろうことか二人はそのまま夜を過ごし、朝には普通に解散した。
(なんだか上手くいかないな……)
二人ともそう思ってはいるものの、なぜうまくいかないのか、理由はまったく分からない。
彼には欠落がある。明らかにある。
それは彼女にしても同じことで、ただ二人とも上手くそれを言語化できないし一体どうすればいいのかもわからない。
わからないのだから関係を進めることも出来ず、二の足を踏み続けている。
お互いに好意があるということは分かり切っているのに、彼らの関係はまだ何一つ始まる兆しさえ見せない。
……今もまさに戦いの
【本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介】
■
とある商業人気ゾンビバカゲーシリーズでおなじみの概念。
すっきりしない終わり方をした本編の後に続く、後日談的なオマケ要素。
本編中で明かされなかった謎要素を回収したり、キャラクター同士の関係に決着をつけたり、「そこは謎のままなのかよ!」というツッコみどころが残ったまま放置されたりするコーナー。この後日談でもそういうことをやっていくつもりです。今のところ三田村くんの過去編がぶっちぎりで人気なので、ぜひぜひそこまで読んで行ってくださいませ…
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