第41話烙印(らくいん)
人気の絶えた
「――あれっ、笹野原じゃん! アンタ倒れたって聞いたけど大丈夫なの?」
西口地下のロータリーエリアで、私より二歳年上の先輩が笑いながら近づいてくる。この時間帯にぐちゃぐちゃの髪で歩いているということは、夜勤が早めに終わったのだろう。
私の隣にいた少年が、身をこわばらせて私の服の袖をつかむ。
「あ、須磨岬さんお疲れ様ですー。へへー、ブラック労働で倒れちゃいましたよ」
「心配してたんだよー。アンタんとこの病棟、今年に入ってから本当にヤバいからね。こっちも何度ヘルプで人を取られたことか」
「その節は本当にお世話になりました。
実はもう全然元気なんですけど、結構長い間倒れちゃっていたので、念のためお休みをいただいてますー」
「へーえ、そっか。まあ元気そうでよかったよ。……その子は?」
と、先輩は少し不審そうな目で私の隣の少年を見る。
「あ、この子ですか? 親戚の男の子なんですー」
私はそう言って笑いながら、少年をそれとなく背後に隠す。どうやら少年の姿は人にも見えているようだ。何か適当な言い訳でごまかさなくては。
「この子はですね、見ての通り外国にルーツがある子なので、日本語をしゃべるのを怖がっちゃってるんですよ。街を歩くのもこんなふうに怖がっちゃうくらいで。
親御さんは忙しいから、私がこれからボランティアの日本語教室に案内するところなんですー」
「あー、そっか。よくわかんないけど新宿に施設があるんだっけ? 貴女もお休みなのに大変ねエ」
「ただの付き添いですから。
着いたら寝てるだけですよ多分。あ、そうだ、来月の勉強会もよろしくお願いしますー」
「あーあれね。こんな状態だし、あんな勉強会なくてもいいと思うんだけどねえ。給料は出ないけど仕事だから仕方ない……ていうか、引き留めて悪かったね。またね笹野原ー」
私を引き留めた先輩は、現れた時と同じくらい唐突かつあっさりと去っていった。
「……アンタ、よくもまあ口から出まかせがポンポン出てきたなな……」
と、呆れた顔をしながらも、私から離れる様子のない少年。
「患者さんを守るためには、とっさの機転も必要ですから」
そう言って私は笑い、地下街を通って西武新宿線への道を急ぐ。
午前中に新宿とは逆方向に向かうためか、車内は一両当たり一人二人しかいないレベルで空いていた。
***
人気のない車内の橙色の座席に、二人して並んで座る。少年はじっと外を見ていた。
電車移動中に、私はなんとなくスマホを開いて、蒔田さんの名前を検索する。検索するのははじめてのことだ。
蒔田さんのプライベートに土足で入り込む行動であるような気がして、今まで怖くて検索することが出来なかったのだ。
……だけど、蒔田さんを探しに行くなら、彼に会うつもりなら、やっぱり知っておくべきことかもしれないと思ったのだ。
(ま、き、た、しゅ、う、い、ち……うわ、古いページが結構出てくるな)
私は思わず目を瞬く。
あの異世界で蒔田さんが言っていたことの意味が分かった。
蒔田さんは、過去に炎上したことのある人だったらしい。
技術的な話は私にはよくわからなかったけれど、中学時代にやってはいけないことに手を染めてしまったそうで。
完全に違法とは言い切れないけれど、技術者の多くに非難されるようなことを、彼はしてしまったようである。
その非難は、蒔田さんがクラッキングから足を洗って、全く別のことを始めた後にも続いていた。
いわゆる『粘着』『アンチ』という奴だろう。蒔田さんが何をやったとしても彼らはついてくる。二度と立ち上がれないように、何もできないように。
……噂には聞いていたけれど、こういう世界はみたことがなかったので、衝撃だった。
(ここまでの悪意に
自分の自由なインターネット使用ぶりを思い出し、私は思わず青くなる。
今だったら、蒔田さんが自分の将来を見限った気持ちがわかる。何度も口を酸っぱくして「慎重に動け」と言っていた理由も。
(……確かにつらかっただろうとは思う。こんなふうに炎上したら、私だってもうだめだって思っちゃうよ……)
――惰性で生きているようなものだ、と、彼は以前に言っていた。
自分は二度と、表舞台には出られない。
反省しようが、心を入れ替えようが、ネットで押された『罪人』という烙印は消えない。
……そんなふうに彼が思ってしまったとしても仕方ないだろう。それくらいに
揺れる電車の中でスマホの電源を落としながら、ふいに、学校の授業でデジタルタトゥーという言葉が取り上げられていたことを思い出した。
ネット上でひとたび罪人と決められてしまえば、それは一生消えない入れ墨になる。
こんな時代だからこそ、軽率にネットで動いてはならない……そんなことを、授業で習った。
(だけど、消えない烙印が出来てしまったからって、人生自体を諦めちゃうなんて……やっぱり辛すぎるよ……)
自分で自分の命を投げ出しかけた自分に言えるようなことではない、とも思う。
だけどこんなこと、あっていいのだろうか?
蒔田さんの命と私の命、どちらのほうが軽くて重いなどということがありえるだろうか?
蒔田さんの過去に何があったのかは、技術周りに
だけど、あんなにすごい人だったのに、あんなにやさしい人だったのに……。
(蒔田さんはきっと、私のことを未来に希望を持った看護師だとでも思っていてくれたのかもしれない)
膝に乗せたバッグを抱きしめながら、私はそんなふうに思う。
(だけど、違うよ。私だってそんな、命を懸けて助けてもらえるような人間じゃない……)
惰性で生きている、と彼は言った。
それなら私だって似たようなものだ。たまたま助かってしまって、惰性で生きているといわれてしまえばそれまでだ。
同じなのだ、同じなのに……。
(一緒に生きて帰るって、言ったじゃん。……全部一人で、背負い込まないでよ……)
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