第39話決戦の日近くの不動産戦士と保育士の話
「――ひっどい顔」
ドアを開けてくれた三田村を見上げて、私は開口一番にそうつぶやいた。
本当に本当に珍しいことに、三田村からストレートに「会いたい」と言われたのだった。普段は遠回しな誘いしかかけてこないのにもかかわらず……である。
そのメッセージ通知を職場の帰りがけのロッカーで見た私は、何故か嫌な予感がして、手早くスーパーで食材を買い込むと、まっすぐに彼の家に向かった。
笹野原はまだ私の家で
――それにしても、こうしてボロボロになっている三田村の顔を見上げていると、私の嫌な予感は的中してしまったのだと言わざるを得ない。
「ええ、そんなにひどい? そうかな……そうかも」
そんなふうに笑う三田村の声にさえ、どうしようもない疲れが
……それでも端正で洗練された雰囲気が消えていないのは、さすが遊び慣れたイケメンといったところだろうか。
部屋に入ると、中はいつもと違って明らかに仕事で
そこらかしこに書類や脱いだ服が散らかっているし、どことなくよどんだ空気が漂っている。
私は思わずため息をつきながらリビングの入り口にバックパックと上着を置いて、
「……無理して仕事してるんでしょう。私が言えた義理じゃないけど……本当に、休んでちょうだいよ」
と、肩をすくめた。それを三田村は力なく笑い飛ばす。
「はっ、こちとら二ヵ月無休状態だって当たり前の不動産戦士だぞ? 有給をもぎ取るためには、多少無理をしないとどーしよーもないわけ。
……それでも休みを取らないとどうにもならない……あんな危険な
ソファに散らばった書類を忌々(いまいま)しげにかき集めつつ、三田村は言葉をつづける。
「君ら二人がさ、マー×ルラウンジでスイーツビュッフェ食べよーみたいな気楽なノリであっちに行こうとしてるんだから……正直、見てられないんだよ。
あ、そうだ。今度本当に行かない? あそこは男の俺でも感心するくらいおいしいんだよねー」
「……。……やめとく。そのマーブルナントカが何なのかはわからないけれど、どうせまた馬鹿みたいに高いものを
パッと顔を上げた三田村に対して、私は
「友達にそんなことさせられない、って、何度も言っているじゃない。ス▼パラなら行くわよ。あれくらいなら割り勘できるもの」
「友達……。っていうかヤだよ。あんなの子供が行くところじゃんかー」
「……
と、私は苦笑しながらスーパーで買った食材をもって台所に立つ。
三田村は私がいない時には一切自宅の台所を使っていないらしい。部屋の中は散らかっているのに、台所だけは笑ってしまうほど
(……と、思ったら、空のお弁当箱がシンクに
そう思った私は顔を上げて、ソファで書類の処理を始めている三田村に声をかける。
「ゴミ、集めて帰りがけに捨てておくわよ。どうせタワマンなら24時間受け付けてるゴミ収集所みたいなところががあるんでしょ?」
「あー、助かる……えーと、ポリ袋は左端の棚の下にあるよ」
「分かった。あとでお風呂も洗っておくからね。休めないなら、せめて
「……それも、助かる」
と、言う言葉に続けて、小さな声で「……もう彼女じゃん。ていうか彼女すっ飛ばしてオカンじゃん……」と情けない声色でつぶやいている声が聞こえたが、私は何も聞かなかったフリをする。
「――職業柄、弱っている人間を見ると放っておけないのよ。彼氏だろうが友人だろうが関係なしにね。……あとオカン発言は
お風呂を洗い、料理を手早く作り終えて、ドンと三田村の前に出す。三田村はすねたように口を
「やっぱり聞こえてたんじゃん……あ、エリカ飯だ。味付けの薄いエリカ飯だー」
と、嬉しそうな顔で
「その綺麗な顔をぶっ飛ばすわよ? ……保育園のご飯を食べていると、自然と
どうせいつもは馬鹿みたいに濃い味付けの料理を食べてるんでしょう? 家の中でくらい、減塩しなさいよね」
「はーい」
と、三田村は大人しく出されたものを食べ始めた。
高いご飯を食べ慣れているみたいだし、おいしいものに対してかなりこだわりのある男だけれど、彼が好き嫌いをして食べ物を残している姿を、私はまだ一度もみたことがない。
「あ、これおいしい。……いつも思うんだけど、エリカちゃんはロクな道具も使わずに本当に器用に料理を作るよね」
「だって、洗い物を増やしたくないんだもの。油がこびりついた鍋と皿なんて社畜の心をすり減らす大敵よ。……でもアルミホイルもキッチンペーパーもこの家にないのをすっかり忘れていたわ。おかげで準備に手間取っちゃった」
「ごめんねー。自炊を全然しない男なものでねー」
三田村はそういってヘラヘラと笑っていたが、ふいに真面目な顔になって目を伏せた。
「……それにしても、ごめんね、エリカちゃん。急に呼び出したりしちゃって」
「どうしたのよ、急に」
「いや、よく考えたら全然エリカちゃんの都合を考えてなかったなーって思って。なんかすげー疲れちゃってさ、気が付いたら何も考えずにメッセージ打っちゃってたんだよなあ……。エリカちゃんの方は、仕事、大丈夫?」
そう言って、三田村は優しい目を私に向ける。私は少しどぎまぎした気持ちになりながらも目をそらし、
「……大丈夫よ、問題ないわ」
と、なぜか熱くなってしまった頬を両手で抑える。
「そっか、ならよかった」
「ええ。何とか書類仕事の終わりが見えてきてね。今はまあ、余裕はないけど休もうと思えば休むことが出来る……そんな感じよ。異世界転移があったあの時は、本当に死にそうなくらい忙しかったのは事実だけれど」
そう言って、私は不意に、三田村があの異世界に五回も行っていたという事実を思い出した。死にかけた人間だけを呼び集め、脱出や生存をかけた同士討ちを誘うという……
「……あそこに五回も行っちゃうくらい、三田村さんは常に忙しい人なのね」
「うん、そだよー? 滅茶苦茶に忙しくしているからこそ、俺はあの異世界の常連になっちゃったんだと思う」
そう言いながら三田村はコキコキと首を鳴らす。そしてふっと真剣な表情になり、
「……多分だけどあの世界、過労で死にかけた……というより、実際に死ぬ寸前の人間を、ピンポイントで指定して呼び寄せているんだと思う。まあ、異世界に行っちゃうと大体みんな仕事から解放されて寝ちゃうから、結局回復しちゃったりするんだけどね。
ただ……俺、普通に健康で元気な人間を、本当にあっちで見たことがないんだよ。管理者も、俺たち召喚された人間に向かって『どうせ死にゆくお前ら』みたいな言い方をしていたし……なんか、死ぬ運命にある人間を最後の最後まで有効活用して、魔力だか代償だかを搾り取ってやる……って意図を感じたんだよなあ」
「死にゆくお前ら……ねえ。こっちも好きで仕事で死にかけてるわけではないのだけれど」
私は日々の仕事の謀殺ぶりを思い出し、思わず重いため息をついた。
「本当だよな。人の命を使い捨てのバッテリー扱いするなって話だよ。
『核』はそうそう簡単ににみつかりもしないから滅多に召喚もされないが、それ以外の……魔力だか代償だかを吸い出す要員の人間は、割と死にかけた
「なるほど」
「たぶんだよ? 仮説だよ仮説。管理者との会話の断片から俺なりに推測しただけの、ただのてきとーな仮説。
多分本当の事の真相は、これから俺と君と笹野原ちゃんと……それから『アナタ』だっけ? 四人で明らかにすることになるんだろうさー」
そう言いながら三田村は食べ終えた食器を机に置いて、パンと両手を合わせた。ほんのすこしだけれど、元気な顔になっている。やっぱり食事は大切なものだ。
「ごちそーさま、ありがとうね」
「いえいえ」
「仕事終わりなのにこんなことさせちゃってごめんね……ところで、君のポケットからのぞいてる名刺みたいなの、なに?」
三田村はおもむろに私の腰のポケットから出ている紙切れを指さした。
「え? ああー、目ざといわねえ。さっきナンパに
「……見せてみ」
差し出された手になんとなく抗いがたいものを感じたので、私はおずおずと名刺を三田村に渡した。なんとなくその場に座っていられなくなったので、そそくさとお皿を持って台所で洗い始める。
「……飲み物なんて知らないヤツから気軽に受け取っちゃダメだからね。最近は飲み物に変な薬を混ぜて傷つけようとするやつもいるって聞くし」
「あら、詳しいのね? 三田村さんだってあって間もないころに私にほうじ茶を渡そうとしたくせに」
「あの時は何も知らなかったんだって。君がやたら妙な目に遭うから、そういうのも調べ始めたの。
ほーんと、エリカちゃんはほっとくと誰にどうされるか分かんない不安定さがあるからさ。別に君自身のせいじゃないとは思うけれど……ってうわ、コイツ結構いいとこにお勤めじゃん」
「え、そうなの? そんな名前の会社があるなんて、私ぜんぜん知らなかったわよ」
「BtoB企業は優良でも一般認知度が低いよねえー」
「……そういう貴方は何でそんな会社に詳しいのよ」
私はなんとなく馬鹿にされたように感じたので、思わずむっとした声を出す。
しかし三田村は私の様子には構わず、
「だって俺、不動産屋だもん。こういう仕事はお客さんの勤務先を聞いたら大体の年収とかいくらまでローンを組めそうかとか、すぐに予測できなきゃダメでしょ?」
「ああー……そういうこと」
「そういうことです。……ふーん、社用アドレスとGのメアドを
「……何考えてるのよ」
「いや、後輩から聞いた悪事なんだけどさ、このGの方のアドレスにG社の規約違反になるような画像を送りつけると、運が良ければ一発で垢バンまで追い込めるらしくって」
「うん、やめてね?」
「……エリカちゃんに絡んだようなヤツだぞ、それ相応の報復はいるだろ」
「だからといって貴方がこんなところで悪事に手を染めていい道理はないわ」
「ちぇ、わかったよー。……でもこれ、俺が捨てとくからね」
「それくらいなら、別にいいけど」
と、私が言うと、三田村は何故か怒りを押し殺したような顔で名刺をぐしゃっと握りつぶしている。
(……男友達って、こんな距離感で付き合うのが普通なのかしらねえ……)
たぶんだと思うが、普通ではないような気がする。男友達なんてものが今まで一度も出来たことがないからよくわからないけれど、違う気がする。
皿を洗い終えてソファに座りながらそんなことを考えていると、スマホの通知音が鳴った。
「……あ、笹野原だ。今こっちの送ったメッセージに気付いたみたいね。ええと、返事返事……『何か買って帰るけど、なにがいい?』……っと」
「あれ、もう帰っちゃうの?」
「ええ、今日のところは帰らせてもらうわ。家に笹野原が来ているのよ。今のあの子を、放ってはおけないわ」
「ちぇ、分かったよ。寂しいなー」
「……放っておけないのは三田村さんも同じだけどね。本当、初対面ではあんなに恐ろしく見えたのに、こんなに親しくお話しできるようにになるとは思わなかったわ」
そう言って私は立ち上がり、三田村の頭の上にポンと手を置く。
「仕事……は、手伝いようがないけれど、せめてお風呂の間だけは、ゆっくり休んで」
私が笑いながらそう言うと、三田村は初めて褒めてもらった子供のように目を見開いて固まった。
「……どうしたの?」
と、たずねると、三田村は我に返った様子で激しく頭を振り、ついで真剣な目でこちらを見た。
「……あのさ、エリカちゃん! もし今回の騒動に収拾がついたら、俺と……」
「……」
「俺と? なに?」
「おれ、と……」
「……」
「……。……いや、何でもない。今、我ながら滅茶苦茶に不吉なことを言いかけたわ、俺……」
三田村はガクっと肩を落として首を振り、書類の山を手に取った。
「ふーん? よくわからないけど、まあいいわ。また分かったことがあったらチャットアプリで連絡するわね」
「……了解。帰り道、死ぬほど気を付けてね」
「帰りにスタンガンでも買って帰ろうかしらね。……そんな顔しないで、スタンガンなんかなくても大丈夫だから。それじゃ、おやすみなさい」
そう言って私が手を振ると、三田村は書類から目を離さないまま片手で手を振り返す。
廊下を出て、玄関のドアを閉める直前に聞こえた、三田村が電話に出たとおぼしき声が耳に残る。
「もしもし、なんだよ。 ……は?
……それどう考えてもブローカーがパクる気だぞ。
言い訳を聞くな。振り込みにしろ。いいな?
こっちは終わらねえ量のPMレポートで死にそうなんだよ、下らねえ電話寄越すん……だから線ナシってそれ絶対パクる気だから。振り込み死守しろ。揉めるぞ」
……。
…………。
……果たして三田村は目的の日までに仕事にカタをつけることができるのか、そして彼は本当にカタギなのか、かなり心配になってしまった。
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