第25話なりふり構わぬ元・悪質クラッカー

 時刻はまだ深夜の中ほどといったところ。

 空は夜景の光を吸い込んで、深い紫色をしている。

 外からはホストなのかサラリーマンなのか分からない何人かの笑い声が聞こえてきたが、会議室の中の私たちは三者三様に、しばらくの間沈黙していた。


「……俺は何をすればいい?」


 たっぷり三十秒くらいの沈黙の後、蒔田は長い溜息ためいきをつきながらそういった。

 さすがに疲れているようで、会議室の黒い椅子いすにどっかと足を組んで座り込む。


「こんな時間であるにもかかわらず俺を呼んだということは、明日までに何かやってもらいたいことがあるんだろう?」

「そうだね。うーん、なんて言ったらいいのかな……。


 正直言って、ここ最近の俺は『管理者』を追い詰めたはいいものの、ヤツをぶん殴るのはもう無理っぽいなーって諦めていたところだったんだよ。

 ……住所と名前が割れたところで、もう何年も目撃情報がないんだからな。正体を見極めたいとか言って、ドアをこじ開けて、住居侵入罪で捕まるわけにもいかないしな」


 そう言って、三田村もため息をつく。


「……多分だが、『管理者』はもうあの住宅にはいない。ずっと異世界とやらにいる。アンタもそう思うだろ?」

「ああ、いないだろうな。

 食事の買い出しにさえ行ってないんだろ? だとしたらほぼ確実に異世界あちら側に拠点を持っているのだろう」


 蒔田は寝不足をやすように目を閉じてうなずいた。三田村もそれに頷き返してみせながらも、


「となると……何かしたくとも手の出しようがない。どーしたもんかなあって思いながら、俺も最近は仕事ばっかりしてたんだよ。実態もあやうい異世界の話なんか追いかけるより、買い付けの金額を手書きで書いて、社判と実印押してデカい金動かしてる時の方が、気持ちもピリっとして楽しいしさあ。

 ……が、しかしだ。ここ最近エリカちゃんと知り合って、エリカちゃん伝いにアンタの話が耳に入ってきた。……あっちの世界でバグを悪用して、好き放題にやっていたんだって?」


 と、三田村が悪い顔になって笑う。


「やっていたが、別に俺だけじゃないぞ、セラだって……今は異世界にとらわれている女だって、やっていたことだ」

「ははっ、どうだか。主犯はアンタだって聞いてるぞー?

 増殖バグを利用して武器マシンガンを大量生産した……って話までは、普通に凄いなーって思いながら聞いていたよ。

 だけど、それだけじゃない。アンタはバグを利用して、トラックのスケール値? とかいうのを操作して、トラックを巨大化させたっていうじゃないか。それもごくごく短時間に。どう考えても人間業にんげんわざじゃねえだろ、お手軽なチートとはワケが違う。完全に『わかっている奴』の仕事だ」


 蒔田のささやかな抗弁こうべんを、三田村はあっさり鼻で笑った。


「それを聞いて、どうやらかーなーりコンピュータやゲームの仕組みに詳しそうなやつがいると思ってさ。……で、実際会ってみたら蒔田さんが出てきたんだからびっくりしたよ。

 凄腕ハッカーのアンタなら、ちょちょっと凄いハッキングでもして、管理者の家にあるPCからいろんな情報を抜けるかもしれない……そんな期待もあって、こんな時間に呼んじまったってわけだ。で、どう? やれませんかね蒔田さん?」

「それは、難しいだろうな」

「絶対に無理?」

「……少なくとも俺は、『住所だけを知っている人間』のサーバーに、この場所から侵入しんにゅうする方法なんて知らない」


 そう言って、蒔田はばつがわるそうに目を伏せた。


「あと、全身がかゆくなるから凄腕ハッカーって言うのはやめろ。俺はただの元・悪質クラッカーにすぎない」

「へーへー、わかりましたよ。……はーあ、やっぱりアイツをぶん殴ってボコボコに誤らせるって俺の夢は叶わないのか。何とかならないかなって思ってたんだけど……って、ん? 待て、待て待て待て、『この場所から』は無理って今言った?」


 三田村は耳ざとく蒔田の言葉を拾い上げ、ガバリと端正たんせいな顔を上げた。


「つまり、『管理者』の家に接近すればワンチャンあるってことか?」

「可能性はかなり低い。電気が止められている可能性もかなりあることだしな。……だが、絶対にやれないとは言わない。少なくとも、管理者の家まで実際に足を運べば今以上にわかることが色々とあると思う。詳細は『管理者の家』に行ってから詰めることにしよう」


 蒔田はそう言いながら、自分が持ってきた黒のバックパックを開いて必要機材を確認しはじめた。

 三田村はそれを見ながら曖昧あいまいな表情で頷いて、


「そうだねえ、後は管理者の家で……って待て。待て待て待て。まさかとは思うけど、住居侵入をやらかす気か!?」


 と、ぎょっとした顔を見せた。

 対する蒔田の方はと言えば、妙に涼しい顔をしていた。


「そうだな。緊急性を要する事態が発生した場合は、それもやむを得ないと思っている」

「いや、いやいやいや! 無理だよ!? 俺は協力できないよ!? そりゃ、悪いことは嫌いじゃないけど、そういう速攻で足がつくような悪事はちょっと……本当に無理だよ!?」


 三田村はブルブルと左右に首を振る。すると、蒔田はいやにさわやかな笑顔を浮かべて、


「安心しろ、どうやらエリートらしい君の経歴に傷をつけるようなことはしないさ。どんと泥舟に乗った気持ちでいるんだな」

「そんな笑顔でそんな不穏なこと言われても全然安心出来ねーだろーが! やだよ俺、堀の上を歩くか東京湾に浮かぶかなんてことになるのは!」


 三田村は崩れ落ちるように上半身を下げて頭を抱えた。

 こんな男でも振り回されることがあるんだ……ちょっとめずらしい光景だ。


 私がきょとんと三田村を見ていると、三田村は私の視線に気がついて、何故かたじろいだ様子を見せた。かと思うと、ムッとした顔になって机の上から降り、つかつかと歩いてきたかと思うとむにっと私の頬をつねってきた。

 ……痛い。なぜつねられたのかという理由もよくわからない。弱っているところを人に見られたくないタイプなんだろうか、三田村は。


「……どうだろうな。証拠を残さないように気をつけた上で、金銭さえ積めばギリギリ横車よこぐるまを押せそうな話だと思うぞ? 大家は金に困ってるんだろ?」


 そう言いながら、ニヤリと悪い笑顔を見せたのは蒔田だった。


 ……この人もひょっとして、三田村に負けず劣らずの悪いヤツなんじゃないだろうか。

 すくなくとも、過去はそうだったんじゃないだろうか。元不良とか。

 それくらい、妙に悪巧わるだくみに慣れているような雰囲気というか、凄みがあるのだ。


「大家も仲介業者も、強制退去を執行しっこうするつもりで……つまり、自分たちも明日の夕方には裁判所の職員と一緒にアイツの家に突入するつもりなんだろ? その前に、少しだけ入れてもらいたいだけだ。家にあるものを破壊したり盗んだりするつもりはない」

「う……。そ、それは、それは金額次第だよ蒔田さん。ただ家に入れるだけとは言え、向こうにもそれなりにリスクは発生するから、少なくとも一桁万円でうなずいてもらえるような話じゃない」


 無茶を通そうとする蒔田に、それでも三田村は真剣な様子で首を振る。不動産屋という職務柄、無責任な請負うけおいは出来ないのだろう。


「あと、あの家にある資産は全部差し押さえの対象だから、あの家にあるであろうPCはおろか、USBフラッシュメモリ一つだって、持って帰ることは出来ない。ソレもわかってる?」

「当然だ」

「……いくらまで出せる?」

「向こうの言い値で構わない。なんなら適切な相場を三田村さんが先方に提示してくれ。そこを値切るつもりはない」

「……。……金はあるのか。ていうか女一人助けるのに一体 いくら使うつもりだよ……」


 サラリとした様子の蒔田を前にして、三田村は愕然がくぜんとしているようだった。


「そんなに好きなのか? あっちの世界に捕まってるのことが」

「……そうだな。ひょっとしたら、そういう感情もあるのかもしれない。だが、それ以上に……」


 と、言って、蒔田は漆黒しっこくの目を伏せる。


「……あの子は『絶対に生きて帰ろう』と言ってくれた。『なんとかやっていこう』とも。

 絶望的な状況だなんてことはあいつ自身も分かっていただろうに、それでも必死に前を向いて、心が折れかけていた俺を奮い立たせてくれたんだ。必死に元気づけて、支えていてくれた。

 そんな子が……目の前で『突然消えた』んだ。到底受け入れられる話ではないだろう?」


 そう言って、蒔田は三田村を……ついで私をまっすぐとした目線で射抜いた。反論は許さない気迫があった。


「何を犠牲にしても、あいつは必ずこっちの世界に連れ戻す。人として当たり前のことだろう」

「……なるほどねえ。意外と熱いやつなんだな、蒔田さんって」


 言いながら、三田村は納得した様子で何度も頷いた。


「わかったよ。そこまで言われちゃ、け負わないわけにもいかないや。

 後日面倒な仕事をそちらに投げさせてもらうかもしれませんが、まあ、そこはお互い様ってことで」

「分かった」

「……交渉成立ですね」


 そう言って、三田村はくしゃりと笑った。邪気のない笑顔だった。

 その片手は相変わらず私の頬をぐりぐりうにうにとつねったままで……いい加減本気で痛い。


「ちょっと、痛いからやめてってば! ……それじゃあ蒔田さん、今からどうするつもりなの? 深夜だけど、今すぐにでも管理者の家まで行くの?」


 私は三田村の手を引剥しながら蒔田に尋ねる。

 三田村は「ガーン」という効果音が聞こえてきそうな表情で私を見ていたが、私の知ったことではない。ガーンっじゃないわよ。こっちは痛みでビリビリしてんのよ。


「今すぐにでも行きたいが、その前に、一応簡単に情報共有をしておきたい。深夜の住宅地で大声で喋りまくるわけにもいかないからな」


 私達の様子をあきれた様子で見ていた蒔田がそう言って、真剣な表情になった。

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