桃次郎

木船田ヒロマル

それから一週間が過ぎました。

「婆さん! 桃次郎! やったぞ! 桃太郎の奴がやりおった!」


 お爺さんは興奮した様子で家に帰るなりそう言いました。


「まあまあ、お爺さん。桃太郎が何をやったのです? 桃太郎は無事なんですか?」


「無事だとも! 道行きで集った仲間と共に鬼ヶ島に乗り込んで、鬼どもを懲らしめ、都の人たちから奪われた宝を取り返して、今はそれを都の人々に返して回っているそうじゃ」

「それは確かなんですかお爺さん!」

「確かだとも。さっき畑に帝の御遣いが来てな、感謝の印だと言ってわしたちにも褒美を下さった。ほら」

 

 家の前には錦に彩られた牛車が止まっていて、その荷車は金銀財宝や米俵が溢れんばかりに積まれていました。


「これでもう暮らすには困らん。都は今、桃太郎の話題で持ちきりだそうだ」


 お婆さんは涙を流して喜びました。


「ええ、ええ、あの子ならやると思っていました。とにかく私は、私はあの子が無事に帰ってくることが嬉しいですよお爺さん」


「やったんだね。兄さん」


 桃次郎も眼鏡を外し、喜びの涙を抜います。


「あの子はいつ帰ってくるんです? お爺さん」

「さあ……何せ鬼から取り返した宝は山のような量らしくてな。時は掛かるかも知れん。いずれ便りでもあるだろう。帰ってきたら、盛大に出迎えてやらなにゃ。な、婆さん。桃次郎」

「ええ、ええ。本当に」

「立派な兄さんを持って、僕は誇らしいよ」


***


 その夜。桃次郎は眠れませんでした。


(兄さんが懲らしめたという、鬼はどうなったのだろう。全て死んだのだろうか。だとしたら、鬼ヶ島は今……)


***


「お爺さん、お婆さん。僕も鬼ヶ島に行ってこようと思います」

「どうしてじゃ、桃次郎。鬼たちはもう……」

「ええ。その鬼たちの様子が気になって……もし戦いの後のそのままに、野にむくろを晒しているようなら、幾ら非道な鬼とは言え不憫に思います。せめて細やかでも墓標なりこしらえて、弔ってやろうかと」

「ふむう……」


 少し考えた後、お爺さんは言いました。


「そうさな、わしたちは桃太郎の手柄に少し浮かれ過ぎていたかも知れん。旅支度を手伝おう。幸い路銀には事欠かん。大事を取って、多目に持って行くがいい」


 お婆さんは心配そうに言いました。


「鬼たちがいないとは言え、最近では人心も荒み、ひとり旅は危険もあります。気をつけて行くんですよ」

「はい、お婆さん」

「そして、必ず帰って来なさい。これは約束です」

「もちろん。約束します。僕の家はここです。僕は必ずここに帰って来ます」


 ***


「お爺、お婆さん、では行って参ります」


 旅立ちの朝が来ました。


「ああ、桃次郎。もし、桃太郎に会うことがあったら、待っているから早く帰っておいでと伝えておくれ。それからこれを」


 お爺さんは一振りのナタを差し出しました。


「刀は桃太郎にやってしまった。なんの備えもないのは不用心だからな、持っておゆき」

「ありがとうございます。僕は戦いに行くのではないですから、これで充分です」

「なけなしのキビ粉は桃太郎の団子に使ってしまってねえ……でも、帝からの施しに上等のお米があったから、握り飯を作っておいたよ」

「ありがとうございます。むしろお団子より腹の足しになって助かります」


 そうして二人に見送られ、桃次郎は旅立ちました。


 ***


 峠に差し掛かった頃、桃次郎は小さな呻き声を耳にしました。


 茂みを探すと、怪我をした黒猫が動けなくなっていました。


 可愛そうに思った桃次郎が手当てをしてやろうと黒猫を抱き上げると


「痛いっ」


 なんと猫が人間の言葉を話したのです。桃次郎は驚きましたが、手拭いを割いて包帯にし、傷を塞いで折れた足に添え木をしてやりました。


「怖がらないのかい? 猫が喋ってるっていうのにさ」

 はすっぱな娘のような言葉遣いで猫は言いました。

「驚きはしたよ。けど鬼が出るような世だ。喋る猫くらい居てもおかしくない」

「そりゃ道理だけどね」

「僕は桃次郎。君の名前は?」

「ムツユビ。驚いたね。猫に名を訊く人間がいるとは」

「お互い様だ。僕も喋る猫がいるとは知らなかった」

「旅の途中かい?」

「鬼ヶ島へね」

「そりゃまた……何をしに。地に伏した鬼に小便でも掛けに行くのかい?」

「逆だよ。鬼たちを、弔いに」

「…………」


 黒猫は言いました。


「肩に乗っけとくれ。あたしも行くよ。恩返しに穴掘りくらいなら手伝える。なぁに、着く頃にゃ怪我も治っているさ」


***


 桃次郎たちが峠を越えて谷に差し掛かったころ、沢山の子供たちが一人の老人を囲んで罵っていました。

 桃次郎は老人を助け、悪童たちを追い払いました。


「大丈夫ですか。ご老人。何故、罵られていたんです?」

「助けて下さってありがとうございやす旅の人。あっしは墓掘りでして。そのなりわいの故に、悪ガキどもにからかわれていたんでさ」

「墓掘り……」

「もう行きなせえ。鬼がいなくなり、死人も出なくなった。仕事のねえあっしはおまんまの食い上げでね。もうこのまま野垂れ死のうかと思ってた所でさ」

「ご老人。僕があなたを雇います。給金も払おう。僕の旅に、旅の供に。一緒に来て下さい」

「旅? いってえどちらに?」

「鬼ヶ島に。鬼たちを弔う為に」


 老人は驚いた顔をした後、吹き出すように笑いました。


「何とも酔狂な旦那だ。どうせ死んだ身。鬼ヶ島だろうが三途の川だろうが、給金が貰えるならどこにだって墓掘りに行きますぜ」

「僕は桃次郎。あなたは?」

「あっしはモグラ。墓掘りのモグラって呼ばれてまさあ」


 ***


 都に着き、桃次郎たちは鬼ヶ島に渡る船を探しましたが、どんなに金を積まれても鬼ヶ島なんかに行くのは御免だと断られるばかりでした。


 途方に暮れて歩いていると、道端で木で作られた日用品を売っている子供に出会いました。


「見事な出来栄えだ。だが少し高いぞ」

「あったりめえよ。これはオイラが作ったんだ。いい仕事ってなあ値がはるのさ」

「君が?」

「おうよ。オイラはキツツキ。大工の子だがバカ親父が石頭でよ。オイラの技を認めねえから三下り半叩きつけて家からおん出てやったんだ」

「船は作れるか?」

「船?」

「もちろん僕たちも手伝う。鬼ヶ島に行くんだ」

「鬼の墓を掘りにな」

 モグラがそう言い添えました。


 キツツキは少し考えて言いました。

「百両だね」

「百っ⁉︎ そいつは法外だよ!」


 ムツユビが思わずそう言いました。


「へえ! 喋る猫たあ珍しいね。兄さん、きっとその猫は高く売れるぜ。その猫が売れたら、また来なよ」

「二百出そう」


 桃次郎の言葉に、今度はキツツキが驚きました。


「だから、一緒に来て棺桶と墓標を作るのを手伝ってくれ」

「商談成立だ」


 キツツキは桃次郎と握手しました。


「僕は桃次郎。こっちはモグラで彼女はムツユビ。なりは猫だが立場はお姫様でね。ずっと僕が背負って旅してるんだ。彼女は、売り物じゃない」

「憶えとくよ、桃次郎」


 キツツキは笑って片目をつぶりました。


 ***


 三人と一匹はキツツキの作った船で鬼ヶ島に渡りました。


 島は酷い有り様でした。

 激しい戦いの後があちこちにあり、人も鬼も沢山のむくろが野ざらしになっていました。


「ひでえ……地獄じゃねえか」

 キツツキが青ざめた顔で言いました。

「ああ、思ってた以上だ。旦那。こりゃ大仕事ですぜ」

 モグラも手拭いで鼻と口を押さえながら言いました。

「……桃次郎、こっち!」

 ムツユビが呼ぶ方に行って見ると、傷付いてはいるものの、まだ生きている鬼がいました。

「どうするんだい? ……殺すのかい?」

「ったりめえだよ、なあ桃次郎。ナタを貸してくれりゃオイラがあの世に送ってやるよ」


「いや」

 息巻くキツツキに桃次郎は言いました。

「助けよう」


 ***


 モグラが地慣らししてキツツキが小屋を建て、桃次郎たちはそこを療養所として、まだ息のある鬼を集めました。

 怪我の治ったムツユビは食べ物や水を運んで、傷付いた鬼の世話をしました。

 生き残った鬼たちの治療をしながら、桃次郎たちは人間も、鬼も、死んだ者は区別なく同じように墓を作って一人一人弔ってゆきました。


 寝る間も惜しんで働く内に、あっという間にひと月が経っていました。


 死者は弔い、何人かの鬼が動けるようになり、他の鬼たちの世話を始めた頃、自分の小屋で短い眠りを取ろうとする桃次郎に扉の向こうから声を掛ける者がありました。


「桃次郎、起きてるかい?」

「ああ、ムツユビ。どうした? 今から寝る所だ」

「……どうするつもりだい? 鬼たちが、元気になったら」

「……」

「また、退治するのかい?」

「漁を教えようと思う」

「漁?」

「調べたが、この島の周りは良い漁場だ。キツツキと船を作って網を買ってくれば、漁で暮らしは成り立つだろう。それと蜜柑畑。平地は少ないが、山肌をモグラと地慣らしして段々に畑を耕せば、商売になるくらいの作柄は見込めそうだ。鬼たちが乱暴を働いたのは、暮らしの手はずのないがゆえだと思うんだ」

「そんなに上手く行くかね。あんたをカタキの身内と恨んで、命を狙うような者も出るかも知れないよ」

「そうなったらその時考えるさ。僕の身内が彼らの仲間のカタキなのは本当のことだしな」

「鬼ヶ島で採れたもんが売れるかね」

「兄の名を借りよう。島の名前を桃ヶ島に変えて桃太郎印の魚や蜜柑として売るんだ。鬼たちも桃太郎の一族になった、と噂を流す」

「根も葉もない噂は、すぐに立ち消えるよ」

 

 扉が開き、ムツユビが入ってきました。

 しかしその姿は猫ではありませんでした。


 月明かりに照らされた彼女は、黒い肌の、美しい鬼の娘だったのです。


「もっとも……桃太郎の弟と鬼族の姫が夫婦めおとになったってなら、話は別だろうけどね」


 鬼の姫はそう言って、照れたように笑いました。





*** おしまい ***

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桃次郎 木船田ヒロマル @hiromaru712

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