雨の日のピアノ曲

續木悠都

雨の日のピアノ曲

 雨の日ほど憂鬱なものはなく、あったとしても天気に左右されやすいこの身体からすればその憂鬱は大したことがない。そんな風に思いながらオーディオから流れるエリック・サティのピアノ曲に耳を傾けつつ、私はベッドの中で小さく呼吸をする。

 このピアノ曲は三曲で構成されていて一番はゆっくりと苦しみをもって、二番はゆっくりと悲しさをこめて、三番がゆっくりと厳粛にとなっている。だからか一番は神経に障るような曲調なのだろう。

 それを憂鬱に感じる天気の日に聴くのは頭痛が酷いと好きな音楽(ロックとか)を聴く気になれなくて、それでも気分を上げたくて音楽が聴きたいから聴くのだ。

 それを知った元彼氏達は「わざわざ気落ちするような事をするなんて馬鹿だなぁ」なんて言って笑っていた。その言葉は軽口の様なものだったのかもしれないし、呆れていたのかもしれない。けれども私からすればそれは私なりの頭痛からの身の守り方なのだ。

 なので彼等にそう言われる覚えはないけれど、所詮は別の生き物だしまあいいやとなる。そのまあいいやが何度か積み重なる内に彼等は元になっていった。言葉選びが美しくないし、都合のいい私しか必要としないような輩ばかりだったからだ。

 そんな私を知人(私を友人だと一方的に思っている人)はコミュニケーション不足だとかもう少し相手に対して作る事を覚えた方がいいと口々に言うし、逆に友人はそんなところがキミの魅力だとか言っている。魅力、その言葉は少しくすぐったくもあるが友人にそう言われるのは誇らしい。

 逆に知人でしかない人の余計なお節介とも言えるお説教は私自身をたいして知りもしないから言えるのだろうし、自分を偽ってまで相手によく思われたい人なんだろうなと考える。

 自分を偽ってまで良く思われたいだなんて馬鹿馬鹿しいと感じるようになったのはいつからだろう。そりゃあ良く思われたくはあるけれど、その良くっていうのが「ただの都合の良い人」というのはふざけているなぁと思うのだ。

 時折誰かの都合で生きている事もあるけれど、それでも基本的に私は私の都合で生きている。それらを無視してまで求められる都合のいい私なんて、そこには本来の私なんて全く存在しないのだ。

「それでもまあ、お互いに都合よくやれる相手もいる訳なんだけどなぁ……」

 小さく呼吸をし私は薬がもたらす眠気に身を委ねる。神経に障るようなこの曲で不可解な夢を見るか、それとも夢も見ないほど深く眠れるのか、そう考えながら少しだけ新しくできた恋人の事を考えるのだった。

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