最終話 行って来ます

 玄関の外に出たのは、あれから何日ぶりの事だろう。最初の一日は、とにかく憂鬱だった。身体の体力はすっかり治っているのに、気持ちの方には何故か力が入らない。部屋の窓から見える景色も、何処か物悲しく見えた。

 パリスタは、ベッドの上で寝返った。「これが早く治らないかな?」と。この痛みが無くなればまた、自分は彼女の所へ会いに行ける。今度は、二人分の食料を持って。彼女はきっと、喜ぶだろう。迷宮の中に持って行く食料は、自分の舌が認めた一級品ばかりなのだから。「不味い」なんて言葉は出る筈が無い、絶対に。それは、自身を持って言える。

 彼は彼女の笑顔を思い浮かべながら、自分の体調が良くなるのを待った。彼の体調は、一週間ほどで良くなった。テーブルの椅子に座る動きが爽快ならば、その朝食を食べ終えるのもまた爽快。玄関の扉を開ける動きなんて、彼の母が「オヌスさんにちゃんと御報告するのよ!」と言い終えるよりも速かった。彼の母は、玄関の息子を見送った。

 パリスタは、オヌスの家に向って走った。家の玄関では、その召使いに「おお! これは、おれは、お久しぶりですね」と挨拶された。召使いはパリスタの用件を聞くと、オヌスの書斎まで彼を案内した。

 オヌスは、パリスタの様子に喜んだ。

「ふむ、すっかり元気になったようだね。顔色が良い」

「え、あ、いや。元気と言うより、『空元気』と言った方が正しいかもしれませんけど」

「ふん、それだって元気が無いよりはマシさ」

 オヌスは、部屋の椅子に目をやった。「そこに座りなさい」と言う合図だ。

 パリスタはその合図に従うと、真面目な顔でオヌスの目を見つめた。

「ご心配をお掛けしました。オヌスさんには」

「気にする事はない。それは、若者の特権だ。『無茶』と分かっているモノにあえて挑んで行く。それが無くなったら、世の中は終わりだよ」

 パリスタは、彼の言葉に頭を下げた。

「ありがとうございます、オヌスさん」

 オヌスは、椅子の背凭れに寄り掛かった。

「『彼女の話』をしても良いかな?」

 パリスタの顔が一瞬、強張った。「はい、お願いします」

 オヌスは、部屋の天井を仰いだ。

「前にも話したが、彼女の事はほとんど分かっていない。一応、『魂』や『記憶』と言った手掛かりはあるが。それもやはり、具体性に欠ける。だから、何処まで行っても」

「憶測の域を出ない、と?」

「そうだ。でも、私としては『これが一番近い』と思っている。私が今まで溜め込んできた知識と、そして、君の体験した記憶とを合せて。彼女は言わば……そう、『奇跡』だ」

「奇跡? 彼女が、ですか?」

「ああ、我々の良く知る奇跡。彼女は、その一つなんだよ。世界中にある、それが良きにしろ、悪きにしろ。彼女には、それを叶える力があるんだ。迷宮の力を使ってね。それの源は、人の心だ。人の心が、迷宮の壁を作り出す。自分の中にある課題が。あるいは、他者に対する偏見が。その中には、君の心も含まれている」

「俺の心も、ですか?」

「ああ。そして、その『記憶』や『魂』もな。彼女自身には、実体が無い。もっと言えば『女の子』ですら無いのだろうが、君と関わる上で、実体と言うのはどうしても必要だった」

「なぜ?」

「君は実体だろう? だからこうして、私とも話ができる。私の話にうなずく事も。だが、彼女にはそれが出来ない。ふわふわと、空気のように浮かんでいるだけだ。君の声に応えるどころか、その身体に触れる事すらもできない。文字通りの孤独だよ。それも、天涯孤独だ。彼女には当然、親は居ない。親戚や兄妹も。下手をすると」

「彼女は、俺の恩人です。絶対に一人なんかじゃありません」

「そうだな。だが、それだって怪しい。さっきも言っただろう? 彼女には、『実体が無い』と。それはつまり、『常識の迷宮』に捕らわれているのと同義なんだ。人の五感で感じ得ない物は、存在しない。いや、『存在しない』と思われてしまう。彼女の姿は、『視えない』のだから」

「そう思われても仕方ない、と?」

「ああ。彼女は、確かに存在する。でも同時に、存在していない。我々の知る『幽霊』とは違って、その存在自体が曖昧なんだ。彼女は」

「そうだとしたって、くっ、やっぱり、彼女は『彼女』です。それ以外の何者でもない。たとえ、『視えない迷宮』に捕らわれているのだとしても。彼女は」

 オヌスは、パリスタの拳を見た。

「初恋の相手は特別か?」

「はい」

「その子がたとえ、人間でなくても?」

「はい」

「ふっ、熱いな。彼女はきっと、そう言う所が好きだったんだろう。君の方は、一目惚れだったのかも知れないがね。彼女の方はずっと、君の事を見ていたんだから。君がどう言う人間かは、君以上に分かっている。惚れた相手に対する態度も。だから、失いたくなかったんだ。君は絶対、『自分の事を大事にする』と知っていたから。どんな事をしても助けたかったんだよ。七年前の事件はもちろん、そして、今回の事も。彼女が今まで君の前に現われなかったのは」

「なぜです?」

「彼女は、『奇跡』だからさ。奇跡は、僅かにしか起こらないだろう? だから、君の危機にしか現れない。君が本気で困った時にだけ。彼女は」

 オヌスは、パリスタの目を見つめた。

「それでも、君は彼女に会いたいかね?」

 パリスタは、彼の質問に「はい」とうなずいた。

「もちろんです! そんな事は関係ありません。自分の命がどんなに危なくなっても……俺はただ、彼女と会えるだけでいいんです。また、迷宮の中で」



 僕は、本の頁を閉じた。物語の余韻を楽しむように。僕は(初めて読んだ話だったけど)何処が自分と重なる、主人公の生き方に深く感動した。「迷宮士のパリスタは、今も初恋の女性(ひと)を想い続けている」と。あらゆる困難を越えて、自分の心と真っ直ぐに向き合っているのだ。男の僕ですら感嘆するほどに。彼は……。

 

 僕は穏やかな顔で、自分の正面に向き直った。その足音が聞こえて来たのは、それからすぐの事だった。コンクリートの地面を歩くような、「カッカッ」と言う足音。足音は地面の上を歩いて、(恐らくは)僕の後ろで止まった。

 

 僕は、自分の後ろを振り返った。視線の先には……誰だろう? 七十くらいのお爺さんが一人、僕を見ながら立っていた。その右手に杖のような物を持って。僕は彼の登場に怯えながらも、真剣な顔でその姿を見つめ続けた。

 

 老人は、僕の前に歩み寄った。


「『海の中が騒がしい』と思ったら」


 彼は、僕の姿をまじまじと眺めた。


「少年」


「は、はい?」


「悪魔には、襲われなかったかね?」


 僕は彼の質問に驚いたが、すぐに「あの事か!」と理解した。


「海の中にいた、女の子。あの子は」


「ああ、君達の言う『悪魔』だ。人の不幸を嘲笑う、神域の化け物。奴らは人の善意を利して、その心をズタズタに引き裂くのだ。相手が『それ』に苦しむように」

 

 僕は、彼女の正体にブルッとした。

 

 老人は、僕の目を見つめた。


「何処か痛い所は、あるかね?」


「いいえ」が、僕の答えだった。「何処も痛くありません。特に怪我もしていないし」


「そうか。なら、良い」


 僕は、老人の目を見つめた。


「あ、あの?」


「うん?」


「貴方は一体、誰ですか?」


 老人は、僕に微笑んだ。


「神だよ、君達が想像するね。ここは、『心』と『体』が離れてしまった者が流れる、精神トアンの神域だ」

 

 僕は、彼の言葉に混乱した。


精神トアンの、神域?」


「ああ、私が守護する。君は……なるほど。己の心を犠牲にしたのか。最愛の人を守るために」

 

 僕は彼の言葉に驚いたが(神様は、何でもお見通しのようだ)、やがて「はい」とうなずいた。


「犠牲になったわけじゃないですけど」


 老人……いや、神様は、僕の肩に手を乗せた。


「辛かったな」


「……いえ」

 

 僕は、両目の涙を拭った。


「三人を助けるためなら。僕は、どんな困難でも乗り越えられます」


 老人は、僕の言葉に何度かうなずいた。


「そうか」


「はい」


 神様は、僕の目から視線を逸らした。


「片瀬進」


「はい?」


「君には、三つのの選択肢がある」


 神様は、僕の周りを歩き出した。


「一つ目は、現実の世界に転生する事。今の自分を捨てて、新しい自分に生まれ変わるのだ。二つ目は、この神域に残る事。あらゆる過去と未来を捨てて。神域ここは、人の心が混じり合った世界だ。一人一人の心が、一つの容器に注がれるように。君も……」

 

僕は、「君も」の続きを遮った。


「三つ目は?」


「三つ目は……危険は伴うが、余所の世界に行く事だ。己の精神こころを救うために。私の力では……申し訳ないが、君を元の世界に戻す事はできない。余所の世界に君の心を送る事は出来ても。余所の世界には」

 

 僕はまた、彼の言葉を遮った。


「何があるんですか?」


 神様は、その質問にうなずいた。


「余所の世界……つまり異世界とは、人の心が作り出す理想郷。さらに言えば、彼らが作った創作物だ」

 

 彼は、僕の持つ本を指差した。


「君の『それ』も。作者は……私が以前に出会った人だが、彼が作った創作物に他ならない。たとえ、私が教えた異世界の一つを忠実に書いた物だとしても。そこには、文字通りの世界が広がっている。世界に広がる草原から、その周りにある山々まで。世界の中には、人間の願いを叶える神も存在する」

 

 僕は、その話に打ち震えた。

 

 神様は、僕の目を睨んだ。


「片瀬進」


「は、はい?」


「君は、どれをを選ぶのだ?」

 

 僕は、その質問に即答した。


「それはもちろん、三つ目です! 帰れる可能性があるんなら」

 

 神様は、僕の答えに微笑んだ。


「そうか。ならば」


「はい?」


「今すぐに準備しよう」


 神様は、僕の額に人差し指を当てた。


「世界の調和を考えて。『最強』とはまでは行かないが、君が生き抜けるだけの力は与えてやろう」


 額の奥が熱くなった。


 神様は、僕に剣(西洋のロングソードっぽい)と盾(左手に固定するタイプ)、加えて革製の鎧(上半身だけ)と必要な戦闘力、その他諸々の道具を与えた。


 僕は、神様の厚意に頭を下げた。


「有り難うございます」


 神様は、僕の言葉に首を振った。


「君だけが特別ではない」


 彼はまた、僕の額に人差し指を当てた。


「それでは、進」


「はい」


 僕は、神様に微笑んだ。


「行って来ます」


 神様も、僕に微笑んだ。


「ああ。存分に生きて、己の誓いを果たせ」


 神様は「ニコッ」と笑って、僕の精神からだを異世界に転移させた。

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