第26話 その手も

 通路の行き止まりは、あれ? 周りの壁と違うぞ! 周りの壁は言わずもがな、例の「金色」に輝いている。町の大商人が持つ財産と同じように。だが「その壁」は、それとまったく異なっていた。どちらも「希望」を与える色なのに、そこから抱く印象がまるで違っている。

 パリスタは、その印象にただ「どうして?」と驚いた。

「ここの壁は、朱色なんだ?」

「朱色だけじゃないわ。壁の下部は、ほら。茶色になっているでしょう? 上が朱色で、下が茶色。ちょうど真ん中で区切られている」

 パリスタは、近くのフェミリアに視線を移した。

「コイツが最初の手掛かりなの?」

「ええ、そうよ。物事の始まりを伝える手掛かり。その手掛かりは、あと」

「まさか、『これ以外』にもあるの? 周りの壁とは異なっている。コイツは」

「ええ。だから、次の手掛かりを目指すわ」

 フェミリアは嬉しそうな顔で、壁の前から歩き出した。

 パリスタはその場にしばらく残ったが、フェミリアが「どうしたの?」と振り向くと、真面目な顔で彼女の後を追い掛けた。

 フェミリアは、次の手掛かりに向って歩いた。パリスタも、それに倣う形で歩き続けた。パリスタは、不安に思った。「本当にここから抜けだせるのか?」と。

 彼は暗い気持ちで、次の手掛かりを目指した。次の手掛かりもやはり、通路の行き止まりだった。行き止まりの周りに広がる景色も同じで、彼女の「よく観れば分かる」と言った台詞も同じだったが、パリスタの「なっ、え?」と驚く反応を見ても分かるように、今度の壁は「朱色」から「黄色」にその姿を変えていた。

 パリスタは、壁の前に恐る恐る近付いた。

「ここの壁は、さっきの物と違うのか?」

「うん。でも、『同じ部分』もあるでしょう? 例えば、ほら?」

 フェミリアは、壁の上下を指差した。

「ここも二つに分かれている。上は黄色で、下は茶色で」

「本当だ。ちょうど真ん中で区切られている。コレは、さっきのヤツと同じだね」

「ふふふ、でしょう? その違いは、とても重要だわ」

 フェミリアは「クスッ」と笑うと、その場から静かに歩き出した。

 パリスタは、彼女の後を追い掛けた。

「『その違いはとても重要』、か。うーん、確かにとても重要な気はするけれど」

 それが「どんな風に重要なのか」は分からない。迷宮の脱出法とどう繋がっているのか。それは、いくら考えても分からなかった。彼女が今、何を考えているのかも。

 パリスタは不安げな顔で、隣のフェミリアに目をやった。

「フェミリアさん」

「なに?」

「俺、この迷宮からちゃんと抜け出せるのかな?」

「大丈夫」と、彼女の目が潤んだ。「アナタはちゃんと、その答えに向って歩いているから」

 フェミリアは、自分の正面に向き直った。

「自分の足を信じて」

 パリスタは不安ながらも、その言葉に肯いた。

「分かった、自分の足を信じるよ。君がそう言うんだ。それはきっと、間違いない」

 彼は、天使の言葉に従った。次の手掛かりに辿り着いた時も。次の手掛かりは、先程の場所からかなり離れた所にあった。

 パリスタは真面目な顔で、正面の「壁」に歩み寄った。

「ココも行き止まりだね。周りの様子も、今までの物と同じ」

「でも、『壁の色』が違うでしょう?」

「うん」と、少年の目が鋭くなった。「ぜんぜん違う」

 パリスタは、正面の壁をゆっくりと撫でた。

「ここの壁は、真っ黒だ。今までの物は二つに区切られていたのに、これにはその境界線がない。みんな、闇の向こうに消えている。まるで」

「人の『夢』のよう?」

 パリスタは、その言葉に首を振った。

「人間の夢にはちゃんと、『色』があるから。たとえ、どんなに悲しい夢であっても」

「そうね。私の夢にもちゃんと、色があった」

 フェミリアは、壁の前から歩き出した。

「手掛かりはこれで終わりよ。あとは」

「待って! 何所に行くの?」

「最初の場所に戻るのよ。あそこが世界の中心だから。元の世界へ帰るには、あの場所まで戻らなくちゃいけないの」

 フェミリアは、最初の場所に向って歩き続けた。

 パリスタはその様子をしばらく眺めたが、彼女の「パリスタくん?」を聞くとすぐ、彼女の隣までサッと駆け出した。

 フェミリアは、彼の手を握った。今度は彼の手を待たず、自分からその手をそっと包み込むように。パリスタも無言で、それに応えた。

 二人は、最初の場所まで戻った。最初の場所はもちろん、二人が歩きだした時とまったく変わっていない。厭らしい程にキラキラと輝いているだけだ。

 フェミリアは壁の輝きから視線を逸らすと、哀しげな顔で「クスッ」と微笑んだ。

「それでは、パリスタ君」

 パリスタは、正面の少女にうなずいた。

「うん。この中から抜けだす方法だね?」

「その答えは、今まで観て来た物の中にあります。アナタは、何を観て来ましたか?」

「周りの壁とは、違う色の壁です」

「その壁は、何所にありましたか?」

「通路(みち)の行き止まりです」

「そうですね。では、行き止まりとは何でしょう?」

「俺の歩みを阻む『壁』です。俺が『そうしたい』と思っても、それを必ず」

「しかし、今回の場合は違いましたね?」

「はい、迷宮の出口を示してくれている。俺にはまったく分からないけど」

「大丈夫。アナタならきっと、その答えを見つけられる。だって」

「だって?」

 フェミリアは、その反応に「クスッ」と笑った。

「さあ、もう一度聞きます。アナタは今まで、『何』を観て来ましたか?」

「俺は……」

 パリスタは、自分の記憶を振り返った。

「色々な壁を観て来ました。一つ一つに個性があって。最初の壁は『朱色と茶色』、次の壁は『黄色と茶色』で、最後の壁は『真っ黒』だった。上と下の境目が無く、それらは」

 彼の中で「ある答え」が閃いた。

「そうか! 脱出の答えは、『太陽』だね? 太陽は東の空から昇ると、ほら? 空の色が朱色になるじゃない? それがだんだんと薄まって、昼にはちょっと黄色っぽくなる。それから夜になると、うん! 夜の世界は真っ暗だからさ。地上と空の境界線が分からなくなるよね? だから、三つ目の壁には『境界線』が無かったんだよ」

 パリスタは、フェミリアの目を見つめた。

「俺の答えは間違っている?」

 フェミリアは、彼の質問に「いいえ」と答えた。「それで正解よ。脱出の答えは、太陽。アナタの好きな、ステンドグラスを光らせるモノだわ」

 パリスタは彼女の「ステンドグラス」に驚いたが、その意味を聞こうとはしなかった。

「これで出られるんだね? この迷宮から」

「うん。でも、出られるのは『アナタ一人』だけ」

「え? それって」

 パリスタは、その理由を聞こうとした。だがその瞬間、「なっ!」

 あの感覚がまた、彼に襲いかかった。心の奥を震わせるような感覚が。今度の感覚は、最初の時よりもずっと苦しかった。

 パリスタは、そこから何とか抜け出そうとした。

「くっ! なんで、また? 俺は」

「抗っちゃダメ。その感覚は、外の世界に繋がっているから。変に抵抗すると」

 パリスタは、彼女の言葉を聞かなかった。

「それでも良い! 俺はずっと、君の傍に居たいんだ! こんな所で別れるなんて」

「別れないわ。私はずっと、アナタの傍に居る。アナタがどんなに淋しい時でも。私は、アナタの『心』だから。アナタが迷宮の中に挑み続ける限り、また」

 パリスタは、彼女の右手に手を伸ばした。「今度こそは絶対、その手を掴んでみせる!」と思って。だが……。


 その手も結局、掴めなかった。それから彼女の声を聞く事も、そして、その姿を見る事も。すべては、迷宮の奥に閉じ込められてしまった。自分の方は今、迷宮の外に弾き出されているのに……その実感すら味わう事もできない。ただ、空っぽの心を感じ続けるだけだ。近くの依頼者から「大丈夫ですか?」と心配されるほどに。

 依頼者の司祭は不安げな顔で、パリスタの顔をそっと覗き込んだ。

「顔色が悪いです。迷宮の中で『何か』あったのですか?」

 パリスタは、司祭の「迷宮」に反応した。

「迷宮、天使……」

 彼は教会の棺桶に駆け寄って、その蓋を勢いよく開けた。

「フェミリアさん! フェミリアさん、フェミリアさん、フェミリアさん!」

 司祭は、彼の隣に駆け寄った。棺桶の中に叫び続ける彼を見て、「コレは尋常ではない」と思ったからだ。司祭は彼の両肩を掴むと、真剣な顔で自分の方に彼を向けさせた。

「どうしたんです! しっかりして下さい。迷宮の中で何かあったのですか?」

「フェミリアさんです!」

「え?」

「迷宮の天使、彼女を早く助けないと! 彼女は」

「待って下さい! 迷宮の中に迷い人が居たんですか?」

「違います!」と、少年の目が震えた。「彼女は、俺の恩人だ!」

 司祭は、パリスタの身体を放した。

「君の恩人? 迷宮の中から出て来たのは、君一人しかいないよ?」

 パリスタの動きが止まった。彼はその場にしばらく立ちつくして、それから「うわっ」と泣き崩れた。「ウワァアアアア!」

 司祭はまた、彼の両肩を掴んだ。

「しっかりして下さい! 貴方の恩人がどうしたのです? しっかりして!」

 パリスタは彼の言葉も聞かず、ただ「彼女の名前」を叫び続けた。

 そこから先の事は、あまり覚えていない。自分がどうやって、教会の中から出ていたのかも。気づいたら時には、部屋のベッドで目を覚ましていた。ベッドの近くには両親が立っていて……たぶん、自分の事を心配していたのだろう。オヌスも家に来ていた。

 彼は近くの椅子に腰かけると、負担の無い範囲で少年から色々な話を聞いた。彼が迷宮の中で「彼女」と再会した事はもちろん、その彼女とまた「別れてしまった」事まで。

 それらの話は、オヌスを大いに驚かせた。今まで「幻だ」と思っていた少女が、迷宮の中でちゃんと存在していた事に。

 オヌスはその事実に「うーん」と唸ると、穏やかな表情で少年の顔を見下ろした。

「専門家にとって最も恐ろしいのは、自分が『その道を究めた』と信じて疑わない事だ。それは、迷宮士もまた然り。今回は、君にそれを教えてもらったよ」

「オヌスさん、俺」

「ゆっくり休みなさい。今の君には、休息が必要だ。身体の調子を整えないと、会えるモノもあえなくなってしまう。それに」

「それに?」

「私としても、色々と考えたい事があるからな。君と出会った少女、『フェミリア』と言う名前だっけ? 彼女は一体、何者なのか」

「彼女は、俺の『心』です」

「そうだな。しかし、それだけは分からない。『魂』や『記憶』と言った手掛かりはあっても、具体的な情報が無ければ」

「はい、それは分かります。だから」

「さっきも言っただろう? 今の君には、『休息』が必要だ。そんな状態で頑張っても、迷宮のモンスターに殺されるだけだぞ?」

「そうよ」と、彼の母もうなずいた。「オヌスさんも言う通りだわ。今は、静かに休みなさい」

 パリスタは、母の言葉にうなずいた。

「分かったよ、今は休みます。でも」

「ああ、いつでも復活したまえ。私は、君の話を楽しみにしている。君が見た物、聞いた物を。私も歳だ。老いぼれの身で出来る事は少ない。ましてや、迷宮の怪物と戦うなどと」

「オヌスさん」

 オヌスは少年に微笑んで、部屋の中から出て行った。

 両親は、家の玄関まで彼を見送った。

「オヌスさん、今日はどうも有り難うございます。大切な御時間を使わせてしまって」

 オヌスは、パリスタの母に微笑んだ。

「いえいえ、私が勝手に来ただけですから。お気になさらないで下さい。彼にはいつも、助けられていますから。これは、『当然の事』と言うモノです。では」

 彼は玄関の扉を開けたが、何かを思い出したかのようにサッと振り返った。

「そうそう、言い忘れていました。彼の体調が良くなってからで構いません。彼にコイツを伝えておいて下さい。『いつでも遊びに来て良いぞ』と」

 パリスタの父は、その言葉に頭を下げた。

「ありがとうございます。確かにそうお伝えしておきます」

 オヌスは二人に微笑んで、玄関の中から出て行った。

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