12 私の被災体験②3月12日

 

 相変わらず寒かったものの晴れていたと記憶しています。地震は続いていますが、むしろ揺れているのが普通ではないかと錯覚するほどです。いちいちどれがどういう揺れか把握しきれませんし、長野県や静岡県でも大きな揺れが起きたことまで当時は知りませんでした。とりあえず1日だけで元の家に帰る人たちを羨ましく思ったこと、公衆電話(携帯禁止のため、中学時代連絡はこれで取るしかなかった)にやたら人が並んでいたことは覚えています。

「なんで私がこんな目に」くらいは思ったでしょう。いくら嫌いな地元だとはいえ地震で壊滅しろと願った覚えはありませんし、仮に願ったとして、嫌な人ではなく自分やお世話になった人々、要するにまともな人が巻き込まれては意味がありません。


 原発の情報が来たので窓を閉めるようになりました。とはいえこの町に対しては何もなく、自主避難要請が出されたのは次の日のことです。原発に関しては久之浜町(大久町)と広野町は他より一日遅れた避難となってしまいました。この原発対策ゼロ感は8年経った今もそうで、ヨウ素の配布も記憶にないし、放射能に関する教育もやった覚えがありません(おそらく行っているとしても小中学校だけ)。今も継続して行われる甲状腺検査も日時指定のため、県外に出てしまった人にはかなりハードルが高いです。


 ちなみに、第一原発が収束したところで安心はできません。茨城県はあの東海村JCO臨界事故に関連する、原子力産業で有名な東海村があり、ここで同じようなこと起きた場合おそらく交通が麻痺するからです(東京と繋がる常磐線は東海村も通る)。福島市や郡山市に新幹線が通るものの、中通り・浜通り間のアクセスはバス頼り、電車は各駅停車のみで不便なのです。

 原発を停止・廃炉にしたからといって核関連施設そのものがなくなるわけではないので、100%安心できません。一気に廃炉にしたらそれはそれで処理問題で混乱すると思うのですが、個人的には「原発を停止・廃炉にしたその先」まで考えている方はあまり見かけません。

 震災から8年目、さすがに「もう3.11の話はいいよ」となっても仕方ないのかもしれませんが、3.11の課題はまだ多く残されていることだけは頭の片隅に入れていただきたいと思っています。



【3月12日 時系列】

0:13 茨城県沖M6.7 最大震度4

3:59 長野県・新潟県県境付近M6.7 最大震度6強

4:31 長野県・新潟県県境付近M5.9 最大震度6弱

5:42 長野県・新潟県県境付近M5.3 最大震度6弱

10:00ごろ アリカ(チリ)で高さ245cm の津波観測

10:47 福島県沖M6.8 最大震度4

11:10 第1回政府現地対策本部会議開催(国)

13:50 太平洋沿岸部の津波警報(大津波)のうち、東北地方太平洋沿岸部を除く

 地域について津波警報(津波)に切替え(気象庁)

15:36 福島第一原発1号機原子炉建屋で水素爆発

20:20 東北地方太平洋沿岸部に発表していた津波警報(大津波)を津波警報(津波)に

 切替え(気象庁)

22:15 福島県沖M6.2 最大震度5弱

23:34 長野県・新潟県県境付近M3.7 最大震度5弱


時刻不明(12日中)

 くしの歯作戦開始(国)

 平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震等による災害を激甚法に基づく激甚災

 害に指定することを閣議決定(国)

 緊急輸送道路として東北自動車道及び国道4号の機能確保(国)


「くしの歯作戦」とは、内陸部を南北に貫く東北自動車道と国道4号から、「くしの歯」のように沿岸部に伸びる何本もの国道を、救命・救援ルート確保に向けて切り開く作戦のこと。(国土交通省東北地方整備局『震災伝承館』)

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どうも、3.11被災者です。~8年目の震災体験記in福島~ sakurako. @s0305

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