11 私の被災体験①本震

【震災前】

 ネットなどでは「実はあの時、やたら海が輝いていた」といった前兆現象と思われるものがありますが、当時は前兆なんて無く突然の出来事だと感じていました。もちろん、今では9日、10日の地震が前兆と呼べるだろうと考えていますし、気象庁も9日の地震が前震の可能性が高いと指摘しましたが、津波注意報があっても感じた地震は福島県で震度3か2程度で、津波が到達したとしても地元で観測するのはいつもと同じ50センチ以下。岩手や宮城のみならず福島にまで被害が及ぶ地震が来るとは到底思いつかないものですし、当時の私にはこれを前兆とするのは難しかったでしょう。


 ネットもなかったので、当時三陸沖での地震が頻発していたことを知ったのは3.11から数年後のことです。通っていた塾の先生が「もし今地震が起きたら原発危ないかも」と言っていたことから原発に関する情報は気にしていましたが――もし前兆と思ったとして、2日前、前日では行動を起こすのは難しいのではないでしょうか。「もし原発が爆発したら」なんて防災情報は、少なくともいわき市にはありませんでした。


 もし今後3.11のような巨大地震があるとしたら、前兆と呼べる地震が起きてもおかしくありません。というわけで、教訓として9日、10日の地震情報をみてみましょう。


2011年3月9日 11時45分

震源:三陸沖 北緯38度19.7分 東経143度16.7分 深さ8km

マグニチュード:7.3

最大震度:5弱(宮城県栗原市金成、登米市米山町、登米市迫町、宮城美里町木間塚)

岩手県で55cmの津波を観測(観測した中で最大)。


2011年3月10日 6時22分

震源:三陸沖 北緯38度7.9分 東経143度13.1分 深さ18km

マグニチュード:6.3


2011年3月10日 6時23分

震源:三陸沖 北緯38度10.3分 東経143度2.6分 深さ9km

マグニチュード:6.8

最大震度:4(宮城県栗原市金成、 丸森町鳥屋、石巻市桃生町)

福島県に津波注意報が発令されたものの、津波は観測されず。


 9日の地震後、11日本震まで三陸沖での地震は41回(10日の地震は除く)。本震前最後の地震は11日朝7時44分、マグニチュードは4.8で、最大震度が宮城県栗原市金成で震度1。

 もしこの地震の多さに気付いたとして……宮城県ならともかく他県、岩手・福島・茨城・千葉などはまさか自分たちまで巻き込まれる地震が来るとは思わなかったんじゃないでしょうか。それに、この地震を9日、10日の地震による余震だと思っていた人の方が大半だったと思います。当時はガラケーが強い最後の時期、SNSも今ほど普及していませんでしたから、誰かが「変だな」と思ってネットに情報を投下したとしても広まりません。



【2011年3月11日(金)】

 この日は、中学校卒業式でもありました。前述の通り私は地元が嫌いですので、今日さえ終われば地元とは――少なくとも嫌いな人たちとは――おさらばできるはずでした。8日、9日には高校入試がありましたが、地元からかなり離れた場所を選んだため、同級生はほとんどいません。

 風は強く寒いものの、晴れていて、なんてことのない日のはずでした。海のすぐそばにある飲食店(ここは美味しかったのですが、残念ながら今はありません)でお昼を済ませた後、家に戻ってリラックスしていました。既に買ってもらってはいたが、基本的に高校生になるまで禁止されていた携帯(ガラケー)がありましたが、母のいない間は普通に使っていました。この日も携帯を弄りつつ、父と一緒に2階でテレビを見ていました。祖父母は1階におり、母は買い物に出かけていました。地震が起こったのはこの時です。

 

 なお、緊急地震速報はこの地震では間に合わなかったと記憶していますが、気象庁のデータを見ても速報を出せたのは地震波検知から8.6秒後、私たちからすれば揺れた後に来たことになります。これは現在の技術では仕方ないことで、震源地に近ければ近いほど間に合わないのが普通でしょう。咄嗟にテーブルの下に隠れましたが、これ以外出来ることはありません。気象庁ホームページにある震度6弱の説明に「立っていることが困難」とありますが、これは事実と言っていいと思います。

 ちなみに6弱(もしくは5強)というのはいわき市の震度として出されていたものでしたが、いわき市も広いのでもしかしたら本当は富岡町や楢葉町、また茨城県高萩市と同じ6強だった可能性もあるかもしれません。

 

 とはいえ、3.11では「地震だけならそこまで被害は無かったかもしれない」と思ってしまうことがあります。問題はその後の津波です。津波警報・注意報を伴う地震は続いていますので、結局津波が何回来たのかはわかりません。

 当時住んでいた家は国道6号線の内側、海まで1分で行けるくらいの近さで、ベランダからはいつも海が見えていました。堤防なんていうものも無く――あったとしてもせいぜい3メートルあるか無いかくらい――隣の四ツ倉町 (ここも甚大な被害を受けた) と真逆で砂浜が消えかけていたようなところです。

 父は「これはすぐに避難しないとダメだ」と言い、買い物から帰って来た母と合流して避難することになりました(これは津波警報関係ない判断でした。地震発生時のテレビの情報は残念ながら全く記憶にないのです)。二台車があったので、母と私が先に避難をし、父が祖父母を連れて避難することになりました。私が持ち出せたのは持っていた携帯だけ。せめて充電器も一緒に持って行けば良かったと後で後悔することになります。


 さて、着の身着のままで避難した私ですが、他に方法は無かったと思います。車での避難は今ではバッシングを受けることがありますが、ここは田舎。お年寄りも多い中徒歩での避難は難しいのです。津波の第一波到達時刻は不明とされているようですが、宮城県気仙沼市にて地震発生から8分後に来たという詳細不明の情報もあります。わずか8分で、お年寄りや体の不自由な方が徒歩で高台まで行けるでしょうか? 8分だと着の身着のまま出て車を使ったとしても厳しいかもしれません。また、高台までなんとか行けたとして、この町で避難所とされたのは山の上にある――しかも、急な坂道を登った先にある中学校、つまり午前中卒業した中学校です。当時の私の家からは30~40分以上かかりますし、ここまでお年寄り・体の不自由な方が徒歩で行くのは不可能です(だから、高台のお寺も避難所として一時的に開放されたのでしょう)。

 さらに重要なのは、本震だけでなく余震があり、揺れている状態がずっと続いているということです。この揺れは夜になっても一日経っても終わりません。


 最初に小学校に到着しましたが、そこで「避難所となったのは中学校である」ということを知り、中学校に行くことになります。午前中の卒業式は何だったのでしょうか。まるで茶番じゃないか、合唱コンクールの歌まで歌って(成人式に映像を流すと言ったのに流さなかった合唱コンクールの)――とはさすがに口に出せませんが。

 集まった人たちは皆グラウンドに車を止め、海の様子を見ていましたが、正直私はよくわかりませんでした。この時点ではまだ「大変なことになったのかも」という感じです。夜になり、午前中とは打って変わって天候も悪化して寒くなったため、さすがに車中泊ではなく校舎に入ることにしました。父と祖母と合流は出来ましたが、酒飲みで破天荒だった祖父はなぜか高台のお寺へ。中身の無い金庫を探しに出るなどしており大変だったようです。


 教室に入って、やっとテレビを見ることが出来ましたが、画面が小さいので多分NHKで、なんか津波の映像が流れているぞということしかわかりません。おそらくこのような報道は、特に地震発生時、発生後だと被災者は目にすることが出来ないのではないかと思います。津波の映像だから嫌だということもあるでしょうが、ゆっくりテレビを見られるということ自体が不可能な上、当時の宮城県のように停電が起きる場合もありますから。

 なおこの日か次の日か曖昧ですが、テレビが珍しく地元を映しました。これは全国ニュースでは最初で最後と言っても過言ではないかもしれません――映っていたのは私の母校でもある幼稚園。この幼稚園は道路を挟んでより海側にあるため、私の家より海に近い場所です。すぐ隣が海という場所ですが、奇跡的に全員無事であったことが後に判明します。ただしこの時にはわかりません。

 きっとここで「ああ家も無理かも」と思ったのでしょう、この時から二度と元の家には帰れなくなりました。火災の情報と泣き叫ぶ人を見かけるようになってから、実感が出てきたように思います。

 

 最初から食べ物には困らず、おにぎりやら乾パンがあったのは幸いでした。非常食の質が上がったのはおそらく3.11後のためこの時は美味しい非常食に出会えませんでしたが、乾パンは普通に美味しかったです。何も余計なものがない基本的な乾パンが一番マシだったと記録しておきます。ただこの経験のせいか、熊本地震で食べ物が足りないという話を聞いた時は「なんでそんなことに? 3.11より悪化しているじゃないか」と思ってしまいました。


 なお、この日はまだ原発の情報は入っていません。母の友人は「原発で久之浜が危ない」という情報を得て母に電話しようと試みたようですが、地震直後からしばらく携帯での通話はもちろんネットも速度がかなり遅くなったため不可能でした。この「震災時にネットも使いにくくなる」というのはなぜかあまり知られていませんが、ガラケーからスマホに進化した今も変わらない問題だと思うのでぜひ覚えてほしい問題です。1曲のダウンロードに3日以上かかった記憶がありますし、少なくともWi-Fiが無いと無理でしょうね。

 この経験があるため、個人的にはキャッシュレス化には大々的に賛成できないのです。「完全キャッシュレスだが、非常時のために現金でも対応できる」ならば可能でしょうが、キャッシュレス先進国のスウェーデンなどの北欧は、地震などの災害がほとんど無いから現金が無くても成り立つのだということを頭に入れてほしいのです。『平成30年北海道胆振東部地震』でも停電でレジが使えなくなった店舗が登場していました。少なくとも地震が多い国に住む以上は、現金至上主義になってしまっても仕方ないのではないかと思います。



【3月11日 時系列】

14:46 本震発生、地上波テレビにて地震や津波などの報道開始

14:49 津波警報(大津波)発表(気象庁)

14:50 官邸対策室設置/防衛省災害対策本部設置(国)、外国報道機関において地震

 の第一報が報じられる

14:51 福島県沖M6.8 最大震度5弱

14:54 福島県沖M6.1 最大震度5弱

14:58 福島県沖M6.6 最大震度5弱

15:06 岩手県沖M6.5 最大震度5弱

15:07 茨城県沖M6.5 最大震度4

15:08 静岡県伊豆地方M4.6 最大震度5弱

15:08 岩手県沖M7.4 最大震度5弱

15:12 福島県沖M6.7 最大震度5弱

15:14 緊急災害対策本部発足(国)

15:15 茨城県沖M7.6 最大震度6強

15:18 茨城県沖M4.7 最大震度5弱

15:21 全国のDMAT 隊員5,500 人に待機要請(国)

15:25 三陸沖M7.5 最大震度4

15:29 三陸沖M6.9 最大震度3

15:30 東京電力管内1都8県で405万戸停電

15:40 消防庁長官による緊急消防援助隊の出動指示(国)

15:42 東京電力が福島第一原発の全交流電源喪失を国に伝達

15:57 政府調査団派遣決定(国)

15:59 福島県沖M6.8 最大震度3

16:14 茨城県沖M6.8 最大震度4

16:17 福島県沖M6.5 最大震度4

16:20 地震名称を「平成23 年(2011年)東北地方太平洋沖地震」とすることを発  表(気象庁)

16:28 岩手県沖M6.6 最大震度5強

16:30 福島県沖M5.9 最大震度5弱

16:31 アメリカの太平洋津波警報センター(ハワイ州)が津波警報を発令

16:47 NHK 総合テレビが福島第一原発の電源喪失を報道

17:12 茨城県沖M6.6 最大震度4

17:15 福島県沖M6.5 最大震度3

17:19 茨城県沖M6.8 最大震度4

17:40 福島県沖M6.0 最大震度5強

18:30 防衛大臣が自衛隊に大規模災害派遣を命令(国)

19:00ごろ フィリピン沿岸で高さ40cm から60cm の津波観測

19:03 原子力緊急事態宣言(国)

19:30 防衛大臣が自衛隊に原子力災害派遣を命令(国)

20:30ごろ インドネシアで高さ1.5m を超える津波観測

20:36 岩手県沖M6.7 最大震度5弱

21:23 福島原発半径3km 以内の避難指示(国)

22:00ごろ アメリカのハワイ州で高さ1.3m の津波観測


時刻不明(11日中)

 3月9日11:45 に発生したM7.3 の地震が前震である可能性が高いと指摘(気象庁)



 時系列に関しては宮城県庁危機対策課「資料1 東日本大震災における国、県、市町村の対応(時系列表)」『東日本大震災-宮城県の発災後1年間の災害対応の記録とその検証-』(2015)、地震に関しては気象庁「余震活動の領域内で発生したM6.5以上もしくは震度5弱以上を観測した地震」『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 』に基づいて作成しています。

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