4-3. 生きろと言う声

『テイラーは死んだし、君が作った網は綺麗にほぐして燃やしたよ。さて、君にとってここと外の違いは何?』

『空と階級がある以外は、大して変わらないわ。それで、わざわざ音楽家様が何の用?』

『平たく言えば、教会は君を正方形の裏側に送らないって決めたよ。ずっと忘れず一人で生きろってさ』

『決めたのは、教会じゃなくてあなたなんじゃないの?』

『さあ、どうだろうね。それより、もうすぐ出て行っちゃう君と、お喋りしにきたんだけれど』

『あたしは特に、話したいことなんてないわ』

『そっか。残念だね。それじゃあ、いつか誰かが君のところにやってきて、テイラーの話を聞きに来たら、何も隠さず全部話してやっておくれよ』

『そんな人いる?』

『きっと、誰かが導くさ。次の司教は、多分わたしだからね。記録本を作る時に、誰か来るんじゃあないかな。君のことを書かない記録本なんて、意味がないだろう?』

『それは、あなたのため? テイラーとあたしのため?』

『クアドラートのためさ』


『あなたが司教様になれば、嫌でも覚えるあなたの歌は、もう聞かなくて済むのね』

『残念ながら、歌は消えないよ。音楽長も続けるだろうしね。あーあ、君がわたしとお喋りしてくれないなら、そろそろ行かなくちゃあいけないね』

『そうね。あなたとあたし、友達になれないと思うし』

『そりゃあ残念だ。……まあ、気が変わったらアイスでも食べに行こうじゃあないか』

『お断りよ。出来ない約束はしたくないから』

『そっか。わたし、君しか知らないテイラーのこと、知りたかったな』

『あなたの答え合わせに付き合わされるのは御免よ。どうせ全部知ってるんでしょ』

『さあ、どうだろうね。じゃあ、そろそろ行こうかな』


『ねえアオイ。あなた、どうしてあの人を止めなかったの』

『……判断が出来なかった。君には出来た?』

『気に食わない女ね』



 最後に聞こえたアヤネの声は、呆れたように笑っていた。多分、今と同じくわずかに口元に笑みを浮かべていたに違いない。


「……もう、あの女にはどうやってもかなわないってわかったの。仕方ないじゃない。司教候補の役割を、あの女に託したのよ? あたしにはなんにも残さないで。どうしようもないじゃない。釈放されてからも、ただ毎日が通り過ぎて、あの女が司教になるのを見たわ。……就任演説は聞いた? あたし程度の怪我でも気を失うほど辛かったのよ? 体を入れ替えて性別まで変わって、どうしてあの女はあんなに平気な顔していられるの? 司教になったことを、福音だなんて言い切れるの? ……ああいう女だから、テイラーが愛したのかもしれないけれど。もう、考えるのも疲れてしまったわ」


 多分、アヤネは気づいているんだろう。

 アオイを愛するテイラーの側にいた時間が、限りなく幸せであったこと。

 それが翻って、アオイによって齎された幸せであること。



 話を聞き終え家を後にする時、玄関口でアヤネは言った。

 車椅子に座ったままだから、表情の細かな様子までは、見られなかったけれど。


「……あの女に会ったら、よろしく言っておいて頂戴」


 アヤネの口元には、紅茶の残り香のような笑みが浮かんでいた。




 教会に帰る頃にはとっぷり日が暮れていて、私とカミーユは急いで食堂に行き、夕食を食べた。

 相手が私なのは申し訳なかったけれど、カミーユが年齢の近い女性と一緒に行動しているのは珍しいことらしい。周りの牧師がカミーユをこそこそ冷やかすせいで、隣のカミーユが顔を真っ赤にしているのがよく見えた。


 アオイも他の牧師たちに並んで、長いテーブルの端でもなければ真ん中でもない、適当な場所で食事をしていた。

 周りの聖職者たちは、牧師ではないようだ。あまり見慣れない顔ぶれに混じるアオイは、彼らの中に紛れてしまう普通の聖職者の顔をしている。


 私の視線に気づいたのは、カミーユだった。


「あちらは、絵描きや整備士のみなさんですよ。エミリアさんには、あまり馴染みがないでしょう。聖職者の立場で他の地区に姿を見せることは、ほとんどありませんから」

「司教様は、牧師以外の聖職者のかたとも仲がいいんですか?」

「そうですね。元々は音楽家でいらっしゃいますから。本当は、牧師よりも気が合うのかもしれませんね」


 カミーユの言葉につられて、私はなんとなく司教の様子を眺めていた。

 言われてみれば確かに、アオイは安心しきっているように見える。表情も違う。


 普段私の前にいる時のアオイは、満面の笑みを浮かべているように見えて、目だけは常にこちらを観察している。決して偽りの笑みではないけれど、わかりやすく上げた口角や下がった目尻の奥に、アオイの鋭さが残っている。

 そんな部分があっさりなくなって、今のアオイはまるで、ただの一人の青年のような顔をして笑っていた。


「あっ」


 それに気が付いた時、アオイと視線が交わった。

 思わず口を両手で押さえてしまったから、アオイも確信を持ったらしい。こちらをからかうように、にいっと笑って席を立った。

 視線を私に向けたまま、いつもの調子でふらりとこちらにやってくる。


「君は本当に、わたしのことを見過ぎだよ」

「し、失礼しました」

「別に構わないよ。そうそう、君、カミーユの部屋に遊びに行ったんだってね? おかげでみんなそわそわしてるよ。ああ、せっかくだし、この後わたしの部屋も見に来たらいいよ。これでも一応司教の部屋だしね。君にとって、真新しいものがあるかもしれない」

「えっ、いいんですか?」

「もちろん。録音機を持ってきてもいいし、持ってこなくてもいい」


 これはまたとない機会だと、私は身を乗り出した。


「ぜひ! こんな貴重な経験、なかなか出来ません!」

「はは。そう言うと思った。カミーユ、君のお友達を少しだけ借りてもいいね?」


 アオイがカミーユに視線を送れば、カミーユも慌ててうなづく。アオイは満足気にうなづいた。


「さて、友達の許可も得たことだし、三十分後に君の部屋に迎えに行くよ。それまでにわたしもご飯を食べ終えて、少しくらいは部屋を片付けておかなくっちゃね」

「そんな、お構いなく!」

「あはは。そうだね。今更片付けたってどうしようもない。それじゃあまた後で」


 アオイはくるりと背中を向けて元の席に戻ると、何事もなかったかのように食事を続けた。

 一方の私はなんだか落ち着かなくて、やけに急いで食べ物を口に放り込む。


 その様子を、カミーユは少しだけ面白がっているようだ。声色が明るい。


「エミリアさん、よかったですね。司教様の部屋にお呼ばれなんて、他の地区のかたにとっては滅多にないことでしょうから」

「はい。ちょっと緊張しますが」

「大丈夫ですよ。緊張なんてばかばかしくなるほど散らかっていますから。そのくせ、ちょっとでもものを動かそうとすると止められるんですよ」


 カミーユは呆れたようにため息交じりに言った。けれど、それでも彼は笑っている。ありふれた会話が、カミーユの中で良い記憶として根付いているようだ。

 それは録音された音源よりもずっと、カミーユの笑顔を明るくする。

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