3-7. 夜の書庫

 半ば手帳を放り投げるような勢いで、私は書庫に向かった。

 夜の教会はじっと押し黙っている。塵の落ちる音さえしなかった。


 アオイが一人の少女で、ジョスリンが一人の青年だとしたら。

 二人の間に交わった情のせいで、ジョスリンの魂は抜け落ちてしまったんだろうか。

 神様がそんなことをするはずがない。それが正しい事ならば、きっと祝福してくれたに違いない。


 でも、正しいって一体、誰が決めるんだろう。



 黒と白の大理石が、格子状に走る廊下。その真ん中で立ち止まる。私は一人ぼっちだった。

 沈黙に急かされて、慌てて駆け出す。廊下に終わりがあればいいと願いながら、階段まで走った。


 地下に伸びる階段を抜けると、私は飛び込むように書庫のドアを開いた。気が急いて頭が痛い。頭蓋骨を内側から叩かれるような痛みと一緒に、心臓の音が鳴っていた。

 出生名簿の棚に転がるように向かうと、目当ての本が光るように見えた。812年の出生名簿だ。


 アオイはちゃんとそこにいた。記録されていた。ただ私が、思い込んでいただけだ。


『アオイ/鐘/女性(産んだ誰か/骸骨)』


 私がアオイを男性だと信じ込んでいたせいで、『女性』のページを見逃していただけのことだ。アオイの記録は残っていた。

 私は自分の力でアオイのすべてに辿り着くわけではない。でも、誰かに導かれるために走り出すことなら出来る。私はそう思う。


「テイラー牧師だけ……いない」


 出生名簿を眺め、私はしばらく途方に暮れた。今まで出会った全員が、同じ幻を見ているのではないかとまで疑って、やめた。


 テイラーは確かに存在する。ただ、記録にないだけだ。

 私は、名簿の中に答えを求めた。人が何かを隠す時、隠したいものだけを消し去って満足することが多い。

 しかしそれでは不自然だ。

 だが、その不自然さに気づくのは、大体の場合赤の他人、第三者。私。


 テイラーは3月生まれだ。だからそこに何かが隠れているに違いない。名前を消した残り、何らかの記述。それを追い求めて、私は自分の瞳の紋が消えそうになるほど出生名簿を眺めた。

 そのおかげで、私は一人の赤ん坊に出会った。


『アヤネ/石/女性(産んだ誰か/窓) ※未熟児、集中治療を実施。同一人物から複数名生まれたためか』


 次に私は、その近辺で窓の住民から生まれた子どもがいたかを探した。探した子どもは見当たらない。

 念のため、死亡記録にも目を通す。新生児が亡くなった記録はない。

 もしかしたら、アヤネがテイラーと同じ時に生まれた子どもなのかもしれない。この発見に、私の胸は躍った。

 彼女に会いたい。会って話がしたい。そう思った。


 声がしたのは、その時だった。


「どなたかいらっしゃいますか?」


 ドアの方から聞こえた声に顔を出せば、そこにはカミーユが立っている。手持ちのランプを手にしているから、見回りか何かなのだろう。私の姿を認めると、カミーユは目を丸くした。


「また、あなたでしたか」

「すみません。ちょっと調べものを……」

「構いませんが、こんな遅い時間にどうしたのですか?」

「ええと……」


 ジョスリンの日記を読んだこと、アオイの本当の性別を知ったこと。二人の間に通っていた情を知ったこと。

 どれもカミーユに言える気がしなくて、私は慌てて出生名簿を指さした。


「これ! この、あの! ……アヤネさんに、お会いしたくて! 教会からのお願いでと言えば、大丈夫かなと思って、カミーユさんに相談しようとしていたところでした!」


 すると、眼鏡の向こうに見える優しげな瞳がわずかに沈んだ。まるで、カミーユの悲しい心に触れるみたいに。

 そうしてカミーユは、ひどく申し訳なさそうな声色で答えた。


「そのかたはもう、お亡くなりですよ」

「え?」


 アヤネが死んでいることも、カミーユが彼女を知っていることも、どちらも同じくらい衝撃だった。

 しかし、その理由は一つに重なるらしい。


「彼女は、『本物の歌の暴走』で亡くなりました。僕が見つけたのでよく覚えています。……とてもよく似ていたのです。テイラーさんと」


 同じ誰かから生まれた子ども同士は似ているらしい。話には聞いたことがある。

 それでも、浮かび上がる紋は違う。

 テイラーには紋がなかった。アヤネには、肆地区に該当する紋が浮かんだ。


「カミーユさんは、肆地区で『本物の歌の暴走』にあったんですか?」

「いいえ、僕がいたのは弐地区です。コンピューター会社が何社かある辺りを、バイクで飛んでいました。アオイさんがスピーカーの様子が変だったと言っていたそうで、テイラーさんに確認するよう頼まれたものですから。でも、決して地上に下りずバイクに居ろと言われました。

 讃美歌が流れて、その後立て続けに騒がしい破裂音がして、弐地区は大混乱を極めました。コンピューター会社の建物が倒壊したと聞いたので、現場に向かって瓦礫の下にいる人たちを救助していたところ、彼女を見つけました。今となっては、服装がどう見ても女性だったんですが、あの時の僕にはそんなことわからなくて。

 僕は、テイラーさんが亡くなったのかと思って、急いで教会に向かったんです。でも、テイラーさんは生きていました。その代わり、テイラーさんが生きていることに僕が驚いたのを見て気が動転したのか、テイラーさんはパルヴィーン司教を撃とうとしたんです。それを止めたのが、アオイさんです」


「……カミーユさんは、どうしてテイラー牧師が動揺したと思いますか?」

「わかりません……。ただ、あの時僕がそんな反応をしなければ、テイラーさんはあんなことをしなかったかもしれないと思うと、心が痛みます」

「そんなこと思わないでください! 多分、カミーユさんがテイラー牧師に気づかせたことで、守れた命がたくさんあります」


 私の言葉に、カミーユはわずかに微笑んだ。

 どうやら彼は、事件の真相を知らないまま、罪の気持ちを抱えているらしい。本当のことを知らないまま、ずっと生きてきたのだろう。そんなの、辛いだけだ。


 出来ることなら、私が知っていること、これから知ることのすべてが、彼に伝わればいいのにと願った。司教記録本の本質は、そこにある。


 それならば、私の仕事でカミーユを救おう。

 そう決心してから、私は目の前の彼に視線を送った。相変わらず清潔感のある雰囲気だが、先程の話題で意気消沈してしまったようだ。


 書庫に沈黙が降りてきて、私まで黙り込んだ。


『けれど、沈黙は私たちの間から立ち退くどころか居座るばかりです』

『私たちの心は、あの時確かに重なったのです』


 ジョスリンの日記の一節が、鮮明に私の頭の中で響き渡った。

 部屋で二人きりになったアオイとジョスリン。それは確か、こんな夜更けだった。

 なぜか私は口走った。


「部屋っ……」

「部屋?」


 それは当然隣のカミーユにも聞こえたらしく、不思議そうな顔でこちらを見てくる。

 どうしたらいいものかと思いながらも、私は心のどこかで、カミーユに笑ってほしいと願っていた。


「あーっ、あの! カミーユさん。私、これからの人生で教会の色んな所に行けることもないと思いますし、そうだなあ……。あ! 牧師さんのお部屋とか、見てみたいんです」


 訳の分からないことを口にしてしまったけれど、私の申し出は好意的に受け取ってもらえたらしい。

 カミーユは一度目を丸くして口をすぼめた後で、いつも通りの優しい笑顔を見せた。


「僕の部屋でよければいくらでも。ああ、そういえば、少々変わった資料をご紹介出来ますよ」

「何ですか?」

「テイラーさんの説法の音源です」

「音源?」

「はい。公式なものは全部破棄されてしまったのですが、牧師が個人で持っているものについては廃棄命令が出ていないので、僕も一本だけ音声を持っているのです。テイラーさん、とてもお話がお上手だったのですよ」

「それはぜひ聞きたいです」

「わかりました。では明日の昼食の時、食堂でお会いしましょう。住居棟はまだご案内していませんし、せっかくですから」

「ありがとうございます!」


 私が頭を下げると、カミーユも微笑みながらお辞儀をした。


「相変わらずお仕事熱心なのは良い事ですが、無理はし過ぎないでくださいね」

「はい。おやすみなさい」


 カミーユが書庫を去るのを見届けてから、私も出生名簿を仕舞い書庫を出た。


 窓から外を見上げれば、恐らくあの日と同じような星空が、窓いっぱいに広がっていた。

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