3-6. 告白

 ──826年 11月6日

 神様、お聴き下さい。明日はあなたに捧げるクアドラートのお祭りです。私たちはあなたにこの街をお見せするのを楽しみにしています。

 だからこそ、その前にこっそり、私の告白を聞いていただきたいのです。


 私には、可愛い二人の保護対象がいます。一人は聡明なテイラー、もう一人はなんとも形容し難いアオイです。この二人はとても仲が良く、私はいつかこの二人がクアドラートを治めて欲しいと願うほどに、二人が笑い合っているのを眺めているのが好きなのです。きっと二人は、あなたが私に与えてくださった最大の贈り物だと、信じているのです。

 神様もきっと、私がどれほどまでにこの二人を愛しているのか、大事にしているのかを、ご存知かと思います。


 アオイは今年十四歳になりました。子どもの頃から目鼻立ちがはっきりしていて、真っ黒な瞳には鐘の紋が鮮やかに浮かんでいます。それは今も変わりません。


 今から続く告白は、この、アオイについての告白なのです。



 ついさっきまで、私とアオイは二人で私の部屋にいました。こんな夜更けにです。そうして今私は、勢いに任せてあなたに告白をしようとこれを書いているのです。


 アオイが珍しく、私の部屋のドアをノックしました。昔はよくテイラーと連れ立って遊びに来たものですが、大きくなった今は私の自室に来ることも少なくなりました。どちらかと言えば、音楽家らしく楽器を挟んで語らうことの方が多くなったのです。

 だから私は、少しだけ懐かしいと思いながらドアを開けました。夜中に目をこすりながら「眠れない」と言ってドアをノックする幼い二人の顔を、思い浮かべて。


 しかし、そこにいたのは十四歳のアオイでした。背丈は私よりも低いながらも、記憶の中のアオイよりはずっと大きく、私はなぜか「しまった」と思いました。

 夜更けに、一人でいる部屋のドアを開けてしまったこと。アオイと向き合ってしまったことに、なぜかそう思ったのです。


 私はメレディスと同室ですが、メレディスは食堂で開かれたトライトの会に出ていて不在でした。メレディスは見た目通りの大酒飲みで、どれだけ飲んでも顔色が変わらないものですから、トライトが何樽あっても延々と飲み続けることでしょう。

 一方の私はと言えば、コップ一杯のトライトでも頭が痛くなってしまいます。それでもおめでたいお酒ですから、一口だけいただきました。後はすべてメレディスに飲んでもらうことにして、少しだけ温かくぼんやりとした心地を残して、部屋で酔い覚ましをしていたのです。酔いが覚めたらまた、食堂に顔を出そうかとさえ思っていました。


「やあ、ジョスリン。ひとりかい?」

「そうだね。メレディスはまだトライト飲んでるんじゃないかなあ」

「テイラーもまだ食堂でね。酔っ払いの面倒を見てる」

「だから私のところに遊びに来たの?」

「うん。そうとも言えるし、そうじゃあないとも言える」


 トライトのせいでしょうか。急に立ち上がったせいでしょうか。私は少しだけよろけてしまいました。小さいアオイに支えられた時、アオイから香るなんとも言えない甘い気配に、頭の奥がぎしぎしと痛むのを覚えました。

 そうしてそれが、頭の痛みだけではない感情の形になるのに気づいて、急いでアオイから離れたのです。


 昔のように、昔のように。頭の中で念じながら、私はアオイに紅茶を入れました。私は自分のベッドサイドの席に腰掛け、アオイは私のベッドに腰を下ろして紅茶を飲んでいます。


「この紅茶、知らない味がしないかい?」

「壱地区の紅茶だからかなあ。ほら、讃美歌を承認してもらいに行った時、出してもらって美味しかったから買ったんだ」

「あのつまらない会議のことなんて忘れちゃったよ」


 アオイは、讃美歌が世に出回るまでの手順、つまりあなたに届くまでの手順をひどく嫌っていました。「神様に捧げる歌を、どうして貴族や役人に認めてもらわなきゃあいけないんだ」というのがその主張でした。


 しかしアオイはすぐに機嫌を取り戻して、お祭りの準備で起きた出来事をあれこれと話し始めました。私たちがあなたに捧げるのはパレードですから、当然その話です。歩きながら歌うと聖歌隊の音程がずれるんだとか、それにつられて笑ってしまいそうになるんだとか、他愛のない話でした。

 でも、その一つ一つを大切な宝物を見せるみたいに話すアオイを見ていると、あなたが私に与えてくれたすべてのものが、みんな素晴らしいことの様に見えてくるのです。


 寝間着姿のアオイが部屋にいるのは、随分久しぶりのことでした。この部屋で二人きりになったのも、最後がいつだったのかを思い出すのが難しいほどです。

 普段は黒のコートに白いシャツを着ているアオイが、寝間着姿で私の目の前に座っています。普段一つに結んでいる髪を下しているので、それを耳にかけたり、片方の肩にまとめてみたりと落ち着かないようです。

 時折黒い髪から立体的な横顔が覗いて、その度に私のこめかみが痛みました。心臓が強く脈打つからです。アオイの細い首筋が見えて、肩の線が寝間着で隠れたところで、私は一つ息をつきました。


「アオイも大きくなったね」

「そうかい? まだアンタよりは小さいだろう?」

「君が枕ぐらいの大きさだった時を知ってるからさあ」

「そんな時のこと、わたしは覚えちゃあいないよ」


 保護者らしい言葉を言えば、心が穏やかになると信じていました。しかし、アオイが足を組んだ時、白のズボンからアオイの黒い足がするりと伸びるのを見て息を飲みました。

 つるりとした膝小僧には、もう夕焼けは映らないでしょう。そのすらりと長い足が、幼い頃のようにぶらぶらと揺れなかったとしたら。私は手を伸ばしていたかもしれません。それほどまでに、アオイの足の造形は見事な物でした。


 手元の紅茶が残りわずかになった頃、廊下で時々、酔った陽気な声が聞こえるようになりました。食堂がお開きになって、牧師たちが寝床に戻り始めたのでしょう。

 だいたいこういう時、最後まで平静を保っているメレディスは、酔っ払いの介抱をしたり場所を片付けたりするので最後に戻ってきます。きっと、まだトライトを飲めないテイラーも同じです。

 それでもアオイは、外の音に耳をそばだてる様に黙り込んでしまったのです。


 私はもう一度思いました。「しまった」と。けれど、沈黙は私たちの間から立ち退くどころか居座るばかりです。

 アオイは私のベッドの上で、じっと黙ってこちらを見ています。真っ黒な瞳の中で、鐘の紋が揺れました。それは私の心のようでした。

 私たちの心は、あの時確かに重なったのです。

「しまった」そう思いました。


 だから私は、急いで立ち上がったのです。


「そろそろ戻ったら? それか、テイラーを手伝いに食堂に行く?」


 そのまま私はドアの方に向かい、寝間着の上に黒のコートを羽織ろうと手を伸ばしました。ここにいては危ないと、咄嗟に判断したからです。


 しかしその刹那、背中に温かな命を感じたのです。


 私の背中に、アオイがしがみついていました。柔らかなアオイの温もりが、私の体に滲んで行きます。


 ああ神様。

 この時私の頭を埋め尽くした愚かな妄想を、どうか消し去ってください。


 このまま私が体をくるりと向けて、アオイの体を抱きしめたら。細い腕を掴んでベッドに押し倒し、小麦色の唇に舌を割り入れたら。

 アオイはどんな顔をするだろう。どんな吐息を洩らすだろう。きっと嫌がりはしないはずだ、むしろ喜んで私を受け入れるだろう。

 私たちのこれからを決めるのは、今の私の指先ひとつだ。


 アオイから漂う甘い香りで芽生えた感情が、私の体の奥で急に鋭さを増したのです。それは私だけではなくアオイを貫かんとするほどに、私の中で形を表すのです。


 なんて恐ろしい事だ。


 私はそう思いました。本来、この感情は恐ろしいものではありません。住民のすべてがこれを愛情と表現し、温かな営みとして手に取り合うものなのです。

 しかし私は思いました。

 なんて恐ろしい事だ、と。


 愛しているがゆえに、私はアオイを汚したい。聞いたことのない音階を知りたい。

 そう思っていることの、愚かさよ。おぞましさよ。

 アオイの方を向いたら、私はアオイを掴んで、燃え盛る感情の中に二人で転げ落ちてしまうでしょう。


 アオイの声は、わずかに震えて聞こえました。震えを押さえようとする声でした。


「ねえ、なんでそっち向いてるんだい?」

「落ちないように踏ん張ってる」

「随分な理由じゃあないか」

「君の物言いは相変わらずだなあ」


 今ここにいるのは、私が守るべき可愛いアオイだ。

 何度も言い聞かせ、いつも通りの声色でいようと全力を尽くしました。


「私は君の保護者だよ。お願いだから、君のことを大事にさせてくれないかなあ」

「アンタが大事にしたいのは、わたしじゃあなくってアンタだろう?」


 アオイの泣き声を聞くのは、随分久しぶりのことのように思いました。木から落ちても独房に入れられても泣かなかったあの子が、私の背中に隠れて泣いているのです。私に気づかれないように、私が一番気づくところで泣いているのです。


 泣き声が小さくなっていくのを聞いているうちに、私の中に生まれたあの愚かしい思いも消えて行きました。きいんと張りつめた頭の中が緩んで、目の前の景色がよく見えるようになったのに気づきました。アオイは、部屋を出ていきます。


「ごめんよ、困らせたね」


 それだけ、言い残して。


 慌てて自分の背中を見れば、寝間着にアオイの涙の痕がかすかに残っていました。私が知らない間に、コーヒー色の女の子は、一人の女性に成長していたのです。



 明日お祭りが終わったら、この思いはすべて消え去り、またいつも通りの穏やかな日々が訪れるのでしょうか。それともこの思いが私の中で渦巻いて、やがて私とアオイを覆い尽くしてしまうのでしょうか。


 神様。あなたが本当にいらっしゃるならば、私を正しい道へお導きください。


 あなたが導くのならば、私はどこまでも参ります。

 たとえそれが、正方形の裏側でも。──

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