3-5. 終わりのある記録

 ──812年 5月24日

 神様、今日から日記を書きます。アオイが生まれました。コーヒー色をした小さな子です。私は初めて鐘の紋の赤ちゃんを見ました。とてもかわいかったです。お祝いに、司教様がアイスクリームを買ってくださいました。


 813年 4月13日

 神様、3月にやってきたテイラーは、とても元気にしています。病気だったと聞きましたが、ミルクみたいにふわふわしています。まだ赤ちゃんだけど、アオイとテイラーはなかよしです。ふたりがいると、メレディスが優しい顔をします。


 814年 11月9日

 神様、今日はお祭りでした。空から見ていてくださいましたか? 私は初めてパレードに参加しました。楽しかったけれど、少し歩き疲れました。

 テイラーとアオイは、助産師のみなさんがパレード見物に連れて行ってくださいました。教会に戻って様子を聞いてみたら、テイラーはパレードの大きな音で泣いてしまい、アオイは楽しそうにしていたそうです。次のお祭りが楽しみです。


 815年 7月5日

 神様、テイラーのことをほめてください。まだ三歳なのに、あの子は毎日ちゃんと薬を呑むのです。私がわすれても、テイラーはわすれません。「司教様とのやくそくです」と、あの子は言いました。

 アオイはあそんでいる時に木の上から落ちていましたが、どこもいたくないよと笑っていました。「あいかわらずだな」と司教様がおっしゃいました。私は「いつも笑ってる子が、最後まで生き残るのだと思います」と言いました。司教様は、「そうだな」と言ってくださいました。


 816年 2月3日

 神様、今日、あなたはお手紙をくださいました。空から白い冷たいものが降って来て、私は初めて見たのでとてもびっくりしました。

 あなたからのお手紙は、とてもきれいな形をしているのだと聞いたので、みんなして顕微鏡でのぞいて見ました。雪は六つ角があるもの、たて長のもの、なんでもないものもありました。

 でもやっぱり、クアドラートみたいな正方形がいちばんきれいだと思いました。テイラーもそうだと言っていました。アオイは六つ角があってだんだんが出来ているのが好きだと言っていました。メレディスはどれでもいいと言っていました。

 お手紙をどうもありがとうございました。


 817年 9月30日

 神様、アオイが昨日説法中に寝てしまったのはご存知かと思います。でも、あれは神様のお導きだったのですね。

 時計台の真下にいるアオイの様子を見に行ったら、なんともないどころか得意そうな顔をして、「当たったんだよ、ジョスリン」と言ってくるのです。時計の音や鐘の音がおかしいのに気付いて、アシュリーに整備をしたのかと聞いたそうです。アオイのおかげで、時計と鐘の不具合が見つかったと言って、アシュリーが喜んでいました。

 多分、アオイはとても耳が良いのでしょう。音を聞き取ることが得意なら、音楽家に向いているかもしれません。明日アオイと二人で話すことがあったら、音楽家になるのはどうかと聞いてみたいと思います。


 818年  11月12日

 神様、今日私はお祭りのパレードに参加しました。クアドラート中を歩くのは少し大変でしたが、街中の住民が私たちに手を振ってくれたので、とても嬉しかったです。それと、私が作った讃美歌を大勢の人が歌ってくれた時は、涙が出そうなくらい幸せでした。

 その話をアオイにしたら、「わたしの歌も早くみんなに歌ってほしいなあ」と言っていました。だから私は教えてあげました。「それならば、誰もが歌いやすくって覚えやすい歌をつくらないといけないね」これは音楽家ならみんなが教わることですが、私は特に大事に思っているのです。みんなが歌えば、あなたにも聞こえると信じているからです。

 テイラーとアオイが、早くパレードに出られる年になればいいのに。次のお祭りは一緒に出られるので、楽しみにしています。


 819年 8月8日

 神様、今日私はアオイを乗せてバイクで空を散歩したのですが、あなたのところからも見えましたか? アオイは七歳になるので、私が抱えるように乗せてやるのも今年が最後かもしれません。アオイのつるりとした膝小僧に夕焼けが映るのを見るのは好きだったので、少しだけ残念です。でも、アオイやテイラーが大きくなるのはとても嬉しいです。二人がずっと仲良く、元気でいてくれればと願っています。

 私が思った通り、いいえ、思ったよりもずっとアオイは音楽の才能が有ります。あの子は、説法を覚えたり数式を解くのはあまり得意ではありませんが、音楽に関しては誰よりもよく出来るのです。歌を作るのも歌うのも、楽器を演奏するのも上手です。アオイが大きくなったら、音楽長になって欲しいなと思います。


 820年 6月22日

 神様、今日はアオイがカーテンの中に隠れてしばらく出てきませんでした。三十分が経過しても出てこなかったので声をかけてみたところ、アオイはすやすやと眠っていました。しかし、カーテンはねじれてしまって、私たちが楽器室を出るまで跡が残っていました。

 会議で司教様にお会いしたのでその話をしたら「貴様はのんびり屋にもほどがある。首が締まっていたら、あんな子どもあっという間に正方形の裏側に連れていかれるだろう」と叱られました。カーテンにしわが残っていることは、特段叱られませんでした。

 アオイにも、危ないことはしないようにと注意をしたところ、「ジョスリンが気づかないから寂しくて寝ちゃったんだ」と私のせいにされました。「ジョスリンはのんびり屋すぎていけないね」とのこと。だけれど、三十分もカーテンの中で眠っていたアオイもアオイで、ずいぶんとのんびり屋だと思いませんか? 


 821年 7月17日

 神様、街の人たちが司教様のことを怖いと言います。今日もそんなことを言われてしまいましたが、司教様は怖いのではなく必死なのです。クアドラートの街を導くために必死なのです。だからスピーカーを安易に使わせることはありませんし、治安を乱す存在を排除するのです。確かにやり方が強引なこともありますが、ただ恐ろしいだけではないということを、どうしたら住民にわかってもらえるのでしょうか。

 司教様にそうやって言ったら、「無理にわからせてどうする。わかったところで、クアドラートは正しい道には進まない」と言われてしまいました。


 822年 11月1日

 神様、クアドラートはお祭りの準備でにぎわっています。今年はアオイもテイラーも十歳ですから、パレードに一緒に出られます。みんな、あなたに捧げるお祭りを楽しみにしています。

 メレディスは、今年からトライトを飲めると言って珍しくはしゃいでいます。私も少しだけ飲んでみようと思います。先輩たちがおいしそうに飲んでいるので、お酒というのはきっととても良いものなのでしょう。神様はトライトがお好きですか?

 今日、先代から発表がありました。来年から私が、音楽長になることが決まったそうです。神様、あなたに素晴らしい音楽を捧げられるように、頑張ります。


 823年 12月9日

 神様、今日はテイラーが浮かない顔をしていました。どうしたのかと聞いても、珍しく歯切れの悪い返事をします。けれど、少ししてから思い立ったように「ジョスリンは、自分を産んだ誰かのことを考えたことがある?」と言ったのです。

 私は瞳の紋が零れ落ちるかと思うくらい驚きました。なんて想像力豊かで、物事を深く考える子なのでしょう。

 もちろん私は、自分を産んだ誰かのことなんて考えたことがありません。でも、だからこそテイラーは悩んでいるのかもしれません。私には想像出来ない何らかの考えが、テイラーを苦しめているのかもしれません。

 それでもやはり、テイラーが司教候補になったということは、あの子の考えが教会にとって正しいということでしょう。神様、もしそうならば、あの子の肩に手を置いて言ってあげてください。

 瞳の紋の導きに従えば、何も怖がることなんかないと。


 824年 5月24日

 神様、今日はアオイの誕生日です。けれど少しだけ、アオイはむくれていました。テイラーがどこかへ行ってしまったからです。二人は確か十歳で部屋が分かれましたが、いつも仲良くしていたと思います。それがここ最近、なかなか教会にいなくて遊んでくれないのだそうです。

 でも、テイラーは司教候補になったので、仕方のないことだと思います。街に出て司教様のお手伝いをすることも増えるでしょう。でも、散々むくれた後で「ジョスリンを独り占め出来るからいいんだけどね」と笑っていました。相変わらずだなと思いました。

 あの子たちは今年、十二歳になりました。いつか一緒にトライトが飲めたら、きっと楽しいでしょう。ただ、メレディスはトライトを飲んでもちっとも変わらないので、どう思うのかはわかりません。

 神様、私の元にアオイとテイラーを届けてくださってありがとうございます。この幸せが、私が正方形の裏側に行くまでずっと続くことを願います。──



 ジョスリンの賢さは、年齢らしからぬ読みやすさの文章から十分見て取れた。たどたどしい文字が少しずつ大人びたとしても、元々の誠実さを残したまま彼が成長したことはよくわかる。


 アオイが生まれた812年から始まる日記は絶えることなく続いている。そうしてそのほとんどが、アオイとテイラーのことに言及していた。今まで私がアオイの口から聞いた思い出も、確かに記載されている。


 823年から824年にかけては、テイラーがあまり姿を見せずアオイが不満を零しているという記述が多い。恐らくこの辺りは、テイラーが紋なき騎士団を作成した頃なのだろう。


 しかし私は、彼の人生がいつ終わるのかを知っている。彼らが一緒にトライトを飲めなかったことだって知っている。


 だから、その日の日記を読むのは酷く怖かった。


 それだけではない。最後の一日の日記は、それまでのものとは一線を画していた。



 まるで当たり前のように、日記は『神様』から始まる。

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