3-4. パズルと思い出

 「……ガブリエルおじさまは、風変わりなカタでしたワ。口が悪くてやる気がないように見えて、手術の腕はとても良かったですシ、壱地区の貴族のカタがお忍びデ薬をもらいに来るくらい、立派な医者でした」


 遠慮がちに話し始めたブリジッタは、手元でパズルのピースをくるくると回していた。誰もいない礼拝堂での仕草だからか、随分和らいだ雰囲気が漂っている。

 私も同じようにパズルのピースを手にして、合致しそうなところに差しては当てはまらず、別のピースを探してまた試す……といった作業を繰り返していた。


 これは、彼女からの提案だった。まず、壱地区の住民と二人で話を出来るようなカフェはこの街に無いこと。次に、どうしても初対面の人と話すのは緊張してしまうこと。

 だから最終的に、いつも彼女が説法の後に教会の片づけを終えてから行う趣味、礼拝堂でのパズルに私が同席しているという体勢で、話をしたいという結論に至った。


 そうして、十分ほどパズルに興じてようやく、ブリジッタが口を開いてくれた。


「患者さんは多かったようですけれド、その中でもとりわけ、テイラーさんとアオイさんのことは可愛がっていましたノ。だって、テイラーさんのことは、ゆりかごの頃からずっと治療してきましたカラ。アオイさんとテイラーさんが二人して薬を取りに来た日は、ガブリエルおじさま、うるさい子どもが来たとかなんとかおっしゃいながラ、どこか嬉しそうに二人の話をしてくださいましたワ」


「子どもの頃のお二人は、きっと可愛らしかったでしょうね」

「エエ……。私は存じ上げないのですガ、ガブリエルおじさまの言葉の端々から、おじさまがお二人を可愛がっていることがヨクわかりました」

「ガブリエルさんは、どうしてテイラー牧師の治療担当になったのでしょう? 確か、教会付きの医者は常に常駐しているはずですよね?」


 すると、ブリジッタの手元のパズルがぴたりと止まった。元々伏し目がちだった視線も、パズルの上に落ちている。

 だから私は、何も言わなかった。


 やがて、ブリジッタが小さく息を吸う音が聞こえた。私は安堵した。


「……おじさまは、テイラーさんが生まれた辺りまでは教会の医者でしタ。分娩室にもおられたそうです」

「ガブリエルさんが?」

「エエ……。でも、辞めてしまわれました」

「任期満了ですか?」

「わかりません……。ただ、同じ時期に分娩室は全員を解雇なさったそうです」

「全員? ……何か問題があったんでしょうか?」

「……わかりません。でもネ、エミリアさん。おじさまはちっとも教会を責めてはいなかったノヨ? それだけは、お忘れにならないでくだサイ」


 顔を上げたブリジッタは、ほんの少しだけ微笑んでいた。


「診療所をおじさまに与えたのも教会、テイラーさんやアオイさんとの時間をくれたのも教会と、おじさまは時々おっしゃってましたノ。同じ時に分娩室をおやめになった助産師さんたちも、みんな同じ。……だから、何か問題があったのではなくて、のっぴきならない事情があったのかもしれませんワ」

「他の助産師さんたちは、今もご健在ですか?」

「残念ながら……。みなさん、ご高齢でしたカラ」

「そうですか……。でも、ブリジッタさんから見たガブリエルさんのことが知れて、とても嬉しいです」


 私の言葉に安心したらしく、ブリジッタは安堵の表情を浮かべた。

 だから私は、次の質問がまた彼女の表情を暗くすることに、わずかながらの罪悪感を覚えた。


「ガブリエルさんが亡くなった時、かなりの衝撃だったのではありませんか?」


 案の定、ブリジッタはまた視線を落として、それから小さくうなづいた。


「一体どうしてしまったのか、まったくわかりませんでしたワ……。直前まで、テイラーさんとアオイさんが診療所にいらして、お二人が出られた直後に、首を吊っていたそうデス。忘れ物を取りにいらしたテイラーさんが、おじさまを見つけてくださいました。その時には、モウ……」

「ごめんなさい、辛いことをお話しさせてしまいましたね」

「イエ……。いいんデス。アオイさんが、その当時作りかけの讃美歌をガブリエルおじさまへの歌として捧げてくださっただけで十分、心の慰めになりました……」


 それは、自分自身に言い聞かせるような言葉だった。

 アオイもブリジッタもそう。ガブリエルが本当に自殺だったのか、どこか納得がいかない様子を見せている。


「デスガ……。あの曲が初めて街に流れたのは、830年です。辛い年号ですネ。曲を流した直後に起きたことでしたから、嫌でも思い出してしまいます」

「……紋なき騎士団による、『本物の歌の暴走』ですね?」

「エエ……。あなたはお若いから、ご存じないカシラ」

「記憶はぼんやりしていますが、新聞記事と論文を少々読んでいるので、概要は知っています。新しい讃美歌発表の日に、街の至る所で銃乱射や爆破が起きたということでしたね」


「……ハイ。ガブリエルおじさまのためにアオイさんが作ってくださった歌でした。後から、あの歌は『偽物の歌事件』で流れたものを、アオイさんが作り直したものだと伺って驚きました。ご自身が冤罪で投獄された事件だったのに、それを受け入れ、ガブリエルおじさまへの捧げものになるまでに作り替えるなんテ……。懐の深さに、感服いたしました。お二人がガブリエルおじさまに最後に会った日、アオイさんが作り途中のその歌を、おじさまに聞かせに行ったそうデス。おじさまはとても面白がっていたと、アオイさんがおっしゃってました」

「そうでしたか……」

「あの歌が、おじさまのところまで届いていることを願ってやみません」

「……本当に、そうですね」


 高い空の上、何の音も聞こえない世界の光景が脳裏をよぎった。

 アオイが気づいていた通り、もしかしたら、音楽は神様の所までは届いていないのかもしれない。それでも、音ではない何かで思いが届いていてほしいと、私は強く願った。


 どうやっても届かないなら、神様なんていてもいなくても同じだ。




 アオイが合流し、私たちは馬車の荷台に乗り零地区へ向かっていた。


「何か面白い話は聞けた?」

「はい、おかげさまで。ご紹介くださり、ありがとうございました」

「そりゃあよかった! 良ければ、友達になってあげてよ」

「……なってもらえるでしょうか」

「おお、いいね」


 私の答えに、アオイの声色が明るくなる。しかし、その意味はアオイの口から聞かなければわからないままだった。


「別の地区の人と友達になることを、諦めちゃあいけないよ? 最初の君が、司教や牧師と友達になることを諦めてたみたいに、基本的にはみーんな、無理だと思って生きてるんだからさ」


 その言葉に、私は目を丸くした。言われてみればそうだ。

 今私は、ブリジッタのことを諦めずにいられた。友達になるにはどうしたらいいのか、その答えを探して脳裏を探っていた。

 そうして、彼女のおかげで知るべきことが何かを理解した。


「……ガブリエルさんは、テイラー牧師がいた辺りまで分娩室にいて、その後他の従業員と一緒に解雇されているそうですね」

「そうらしいね」

「テイラー牧師の瞳には、生まれつき紋がなかったか、あっても薄くて消えかかっていた。……テイラー牧師の瞳のことを知っていたから、全員解雇されたんでしょうか」

「ご名答」

「出生名簿にも、記録はありませんでした」

「君ってなかなか鋭いね」


 言葉とは裏腹に、アオイの声はわずかに沈んでいた。横顔の笑みも、幾分弱々しい。


「司教様、今から私が申し上げることは、多分おかしなことだと思うのですが」

「言ってごらんよ」

「……ガブリエルさんは、他殺のように思えるんです」

「どうして?」

「少し根拠としては弱いのですが……。司教様やブリジッタさんのお話では、なぜガブリエルさんが自殺したのかわからないといったご様子でした。それにー……。紋なき騎士団の黒幕だったテイラー牧師が第一発見者というだけで、どうしても何か偶然以上のものを感じてしまいます。830年の『本物の歌の暴走』の引き金になった歌の試作段階のものを、ガブリエルさんが聞いているというのも気になります」

「そうだね。私もそう思うけれど、残念ながら根拠としては弱い」


 そこまで言うと、アオイは空っぽになった荷台に寝転がって大きく伸びをした。脱力した流れで笑った顔が、少しだけ寂しそうに見えた。


「あの頃君がわたしの側にいてくれたら、歴史は変わったかもしれないね」

「え?」

「君はきっと、自分の力でわたしのすべてにたどり着けるよ。君ならそれが出来る。そうは思わないかい?」

「は、はい! 頑張ります!」


 調子外れな声で返事をすると、アオイは口元で笑みを弾けさせた。まるで、最後に笑った日を懐かしむように、美しく笑った。




 その日の夜、部屋に戻るとドアの前に紙袋が置かれていた。繊細な絵筆が夢から覚めたらしく、添えられた手紙は随分ぶっきらぼうなものだった。


『読んだら返せ』


 紙袋を手に取れば、中にはたくさんの分厚い手帳が入っている。表紙には日付が書かれていた。

 それを順番に並べると、手帳は812年から826年までのものらしい。アオイが生まれてから、司教襲撃事件に合うまでの期間だ。


 思わず私の中の血が騒ぎ、一冊目のページを開いた。そこに踊る文字はまだあどけない子どもの字。

 しかし、読んでみて驚いた。文字の動きの割に、文章は読みやすい。


 日記の一日目に目を通して、これから続く長い物語が誰によって綴られたものなのかを私は理解した。


 最初の日付は812年。書き手のジョスリンは当時十歳だ。


 そこから彼が二十四歳になるまでの日記を、抜粋して残したいと思う。

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