2-4. 法案と人質

 その後、アオイを訪ねてきたのは、某地区の議会幹部だ。私の同席は、当初議会幹部側に断られてしまった。


 しかしアオイは、『司教記録本作成に係る取り決め』を元に、アオイの発言のみ書面に落とすことを条件として、私の同席を議会側に認めさせた。


 その際、どの地区の議会が訪問したのか、また、議員の特定が出来る記録をしないと言う点について、私は配慮して記録をする約束をしている。


 以下は、それに則った記載のため、一部曖昧な箇所がある点、要した時間に対して記録が少ない点をご留意いただきたい。



 某地区の議会が求めるのは、スピーカーの使用。とある法案が可決されたことを、住民に発信するのが彼らの目的だ。


 応接室の一番奥に座ったアオイは、自分より十も二十も年上の議員たちを目の前にして、堂々たる気配を漂わせていた。

 背中に暗闇でも纏ったような彼は、提出された資料をテーブルに置くと、議員たちの顔をぐるりと見渡す。


「端的に言いましょうか。これが一体、何になる?」


 彼の言葉に、全員が凍りつくのを私は見た。

 アオイは決して、大声を上げたわけではない。テーブルを強く叩いたわけでもないし、花瓶を投げたわけでもない。

 ただ、静かに言っただけだ。


「もう少しわかりやすく言うならば。この法案は、君たち以外の誰のためになる? それをわたしに教えてもらえやしませんか?」


 議員たちは、肩をすぼめたままお互いの顔を見合わせた。視線で擦り付け合った結果、一番若いと見られる議員が口火を切る。

 そのたどたどしい説明に、アオイはただじっと耳を傾けていた。一度もうなづきもせず、相槌も打たずに。


 議員の説明が終わってから、アオイは口を開いた。


「……つまり君は、君たちは。特定の地域以外の住民の労働時間は、取るに足らないものだと認識しているんですね? それが未来永劫続く認識になっても、致し方ないと」


 当然、議員は反論する。

 そう言っている訳ではない、ただ、仕事の評価に階級が反映されないのはおかしいと言っているだけだ、と。


「君たちはまず、誤解しているんじゃあありませんか? 階級と階層の違いってやつだ。言葉のあやだと思ってるんじゃあないだろうね。階級が上でも貧しい人はいる。階級が下でも豊かな人はいる。壱地区が肆地区よりも豊かに見えるのは、比較した時に豊かな人の割合が壱地区の方が多いって話であって、肆地区の役人は壱地区の労働者よりも裕福だったりする。君たちがやりたいのは、階級と階層をおなじものにすることであって、世の中の貧富の差の是正ではないんじゃあありませんか? 残念ですよ、たくさんの人がそちらの地区では働いている。それなのにどうして急に、労働者の階級に応じて賃金を分けるだなんて言い出したんだか。考えてもご覧よ、優秀な人材を呼びたいなら、むしろもっと門戸を広げるべきだ。そうすればそちらの地区の企業は繁栄する。税収入が増えれば地区は潤うし、更にいい企業だって誘致出来るだろう。何かを制限した瞬間、たくさんの希望が奪われることに気づいてほしいんですよ、政治家である君たちには。……まあ凡そ、自分たちの階級よりも下の住民の方が優秀で高給取りになったのを、焦っているだけでしょうけどね。わたしが勘違いしているなら教えてもらいたい。君たちの言葉で教えてほしい」


 アオイが話し終える頃には、議員たち全員の顔から血の気が引いていた。

 苛立ちと同時に本音を抉られた絶望に打ちひしがれ、奥歯を噛みしめている。禿げ上がった頭から流れる脂汗を、金色の悪趣味な指輪が付いた手で拭う者もいた。


「反論が特にないなら、今日はこれでおしまいです。残念だけれど、スピーカーから流す法案は、長期的に見てクアドラート全体に価値があり、すべての住民に利益があるものにしようと決めているんだ。ヒントは渡したんだから、悪く思わないでいただきたい。こんな淀み切った価値観、恥ずかしくて残せやしないよ」


 アオイが笑顔を見せて立ち上がっても、全員顔をこわばらせたままその場を動こうとしなかった。

 それは抗議でもなければ反抗でもなく、恐怖に押しつぶされた腰を上げるのが難しかったせいだろう。


 すると、アオイは一人の議員の名を呼んだ。まるで氷が解けるように、議員の一人は顔を上げる。先程長話をした、若い議員だ。


「君、お喋りはあんまり得意じゃあなさそうだけれど、すごくいい人なんだろうね。周りの人たちも、実は信頼してるんじゃあないかな。わたしみたいな、へんちくりんな司教の前であれだけ話せるんだ。きっとそのうち、議会でも重要な役を担うことになりそうだね」


 褒められた議員は、先程の余韻を引きずった苦笑いを浮かべた。周囲も同様の顔をしている。


「先日、〇〇さんのファミリアのお嬢さんがお喋りしているのを小耳に挟んだんだけれど、君のことを好く思っているようだよ? 〇〇さん、違いますか? あの綺麗で優しいお嬢さんだ。そうそう、赤毛が綺麗な」


 すると、もう一人の議員がうなづく。いずれの議員も、驚いた様子を浮かべている。「どうしてそんなことを知っているのか?」といった顔つきだ。


「一つお願いをするとするならば、法案を考える時は、いつかあのお嬢さんが生む誰かのことを考えてほしいな。……まあ、顔も知らない他人のことを考えるのは、難しいかもしれないけれど。その誰かの瞳の紋がどのファミリアを示しても、その子が幸せに暮らせる街には、どんな法案が必要なんだろうね。そうやって考えれば、スピーカーで流せる法案って、すぐに答えが見つかると思うんだ」


 議員たちは、呆気に取られた顔をしていた。個人的なことを知られている薄気味悪さと、自分たちのことを受け入れているという優しさ。その両方を一度に見せつけられて、戸惑っているのだろう。

 アオイはそのすべてを理解した上で、はっきり言った。


「たとえ瞳に紋が無くても幸せに暮らせるクアドラートを、わたしは作りたいんだよ。頼むから、力を貸してほしい」


 少なくともアオイの言葉は、若い議員には届いていたように見える。

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