1-2. 残る名前

 応接室には既に聖職者が数名集まっていた。

 どう見ても、男女ともに全員が司教よりも年上に見え、貫録がある。その視線が一度に集まって、私の体は強張った。

 それはすぐに司教まで伝わったらしい。彼は足をすくめたままの私の背中をつついて、「ほらほら、別に君を取って食おうってわけじゃあないんだからさ」と席に促してくれた。


 ここでの私の役割は、今回の単独取材や記録本に関して彼らに説明をすることだ。

 私の企画が幾分突飛だったのは、彼らも理解していたらしい。私に話しかけてきたのは、聖職者の黒いコートに身を包んだ女性だった。

 見た目だけならば、彼女がこの中で最も司教らしく見える。


「司教の人柄に迫った記録本は、確かに今までにない企画のようですね」

「はい。今回の記録本の企画を検討するにあたって、私も今までの記録を閲覧しました。読み進めていくうちに、私は司教様一人一人の人柄に興味を持つようになりました。私は、年表と年表の間、文と文の間、言葉と言葉の間に滲みだす、司教様の人柄そのものを立体的に描きたいと思ったのです」


 静まり返った応接室で、私はまるで、たくさんの人の前で懺悔でもしているような気持ちになった。アオイは私の緊張を手に取るように眺めると、優しい声をかける。


「エミリア、君は企画を考える時に、わたしのことを誰よりもたくさん調べてくれたみたいだね。年表を作っていたと思うんだけど、教えてくれるかい?」


 私は手に持っていたカバンの中からノートを取り出すと、今時点の年表を本人に向けて読み上げた。



 812年、教会の分娩室にて誕生

 817年、音楽家に配属

 826年11月7日、パレード中に、紋なき騎士団による『司教襲撃未遂事件』で重傷。奇跡的に生還

 827年、教会へ復帰、音楽長就任

 830年、紋なき騎士団による『偽物の歌事件』及び『本物の歌の暴走』発生。テイラー牧師のパルヴィーン司教(当時)への謀反を制止

 831年、司教候補に指名

 837年4月17日、司教就任

 838年、司教記録本作成決定(10月31日~11月4日取材実施)



 年表を読み上げ終わると、応接室は静まり返っていた。どの聖職者も口を閉ざして、黙りこくっている。

 私の言葉が、応接室にふわふわ浮かんでいるような気がして、それが妙に気恥ずかしかった。

 だから、咄嗟に言ってしまった。


「私は、巷で時々話題に出る、司教様と紋なき騎士団との関係性に関する嫌な噂を、拭い去りたいと思っています」

「噂?」


 司教は聞き返したけれど、口ぶりからするに内容はとっくに知っているのだろう。


「……嫌なお話をお耳に入れる無礼を、お許しください。紋なき騎士団の首謀者であったテイラー牧師は、司教様と同じ年に生まれた親しい間柄だったと伺っています。そのため、司教様も紋なき騎士団に何らかの関係があったのではないかと」


「お前、何言ってやがる!」


 声を上げたのは、別の聖職者だった。激高した真っ赤な顔の聖職者を、隣の席のカミーユがなだめている。

 私だって、こんなことは言いたくなかった。でも、企画書に書かなかった目的の一つを承認してもらうには、今しかなかったのだ。

 怒りを露わにした聖職者に、相変わらずの飄々とした口調で司教が言った。


「メレディス、いいじゃあないか。エミリアは、わたしの身の潔白を証明してくれようとしてるだけのことさ。テイラーか。久しぶりに聞いた名前だ。わたしのたった一人の友達だよ」

「司教様」


 カミーユが、黙って首を横に振った。その名前の受け取り方は、教会内でも異なるらしい。

 司教と同じように表情に懐かしさを浮かべる者、明らかに不快感に顔を歪める者。

 両方の顔を眺めてから、私は頭を下げた。


「……失礼しました」


「いいのいいの。みんな、わたしに気を遣いすぎなんだよ。大事にしてくれるのは有り難いけど、今の司教はわたしだからね。ほら、確かあの小難しい……『司教記録本に係る取り決め』にも書いてあるじゃあないか。エミリアにも送ってあるだろう?『司教記録本の作成に係る情報開示について、教会は拒否権を行使しない。新聞記者の希望に応じ、司教を含む零地区の住民(以下聖職者)に対する取材、聖職者の職務への同行、教会施設内への立ち入り、記録文書並びにデータベースの閲覧を許可する』って」


 司教の言葉は、気づけば聖職者たちに向けられた。調子はずれの教会の鐘が鳴り響くみたいに、聖職者たちの瞳の紋が無秩序に揺れる。それから、口々に不安げな声色で言い出した。


「しかし、どこまで言っていいのか……」

「取り決めにはああ書かれているけど」

「永遠に残る記録本だぞ?」


 狼狽する聖職者たちは、お互いの顔と私を見比べてはそんなことを言っている。たくさんの音が混ざり合って、四角い応接室に浮かんでは消える。

 その一つ一つの耳をすませた後、司教は唇の片方をわずかに上げて笑った。


「大丈夫。詳らかにされるのはあなたじゃあない。わたしのすべてだ」


 全員が言葉を失って、揺れる鐘の紋は司教を向いて止まる。しかし、司教の瞳が何をとらえているのかはわからない。

 たった一人の司教によって導かれた沈黙が、全員の首に手をかけるような、それでいて温かく包み込むような気配を漂わせる。



 私と視線がぶつかって、ようやく司教は明るく笑った。


「エミリア、普段はみんな優しくていい人たちだから安心してよ。さっきはぷんぷん怒ってたけど、メレディスが描く絵はびっくりするほど繊細なんだ。それに本当は花が大好きだし。今度花壇を見せてもらうといい。ああ、カミーユは真面目そうな顔してるけどチョコレートアイスが大好きで、あと酷く音痴だ」

「司教様!」


 話題の流れ弾を浴びたカミーユが、今までで一番顔を崩して声を上げた。

 その姿は他の聖職者にとって珍しかったのだろう。ようやく部屋に笑い声が漏れて、空気は一気に動き出した。司教は席を立ち上がると、全員の顔を眺めて明るい声で言った。


「さあて! 堅苦しい面会はこれでおしまい! みんな、五日間エミリアと仲良くね。神様もきっと彼女を歓迎してるさ。カミーユ、三十分くらいで教会を案内してあげるといい。それが済んだらエミリア、二人で話でもしよう。部屋まで迎えに行くよ。メレディス、君は本当に心が優しい人だと思うよ。他のみんなもありがとう。わたしは平気さ。最後に生き残るのは笑ってるやつなんだから。それじゃあ、解散だ」

「お忙しいところ、お時間ありがとうございました!」



 私が慌てて礼をすると、聖職者たちはそれなりに反応して席を立った。

 激高していたメレディスも、司教の言葉で怒りが収まったらしい。私と目が合うと、仏頂面のままだが胸元の正方形をわずかに掲げて唱えてくれた。


「正方形のご加護があらんことを」

「御慈悲に感謝いたします」


 私が頭を下げると、メレディスの岩のような顔がふと和らいだ。


「お前、若いのに堅苦しいなあ」

「すみません……」

「テイラーもそんな奴だったぞ」

「え?」


 答えを聞く前にメレディスは部屋を去ってしまった。

 しかしその言葉の余韻には、彼も司教同様、あの名前に懐かしさを覚えているような音色が残っている。



「エミリアさん、ご案内します」


 カミーユの声で意識を引き戻すと、私は慌てて荷物をまとめた。

 なんだか今になって、心臓の音がばくばくとうるさく耳の奥で聞こえてくる。荷物に触れる手も震えている。

 ただ、視界の隅に見え隠れするカミーユまで落ち着きがないのには違和感を覚える。何か声をかけようかと言葉を選んでいたところに、カミーユはあっさり言った。


「牧師も、緊張くらいはしますよ」

「……ええと?」


 少しだけ考えて、彼の言葉の真意を理解する。


「あ、歌のことですか?」

「そうです。僕は、一人で歌うのが苦手でして」

「チョコレートアイスの件は、本当ですか?」

「……ええ」


 ぷいと顔をそむけるように返事をしたカミーユの横顔は、真っ赤に染まっていた。




 その後、私はカミーユと共に書庫へ向かった。書庫は地下(と言っても地上からすればだいぶ高い位置)にあり、窓のない部屋の中には、ずらりと本が並んでいる。


「最近の情報であればデータベースに入っているので、コンピューターを使って閲覧してください。五年以上前のデータについては、申し訳ないのですが紙のままです。あちらからお探しください」

「どんな資料があるんですか?」

「手前は事務的な資料ですね。聖職者以外の労働者の給与明細や、人員名簿、零地区の住民の死亡記録……。あと、讃美歌の楽譜がその隣から三つほどの棚に入っています。他にも細々したものが入っていますが……」


 カミーユは少しだけ言葉にもやをかけ、それを飲み込んでから続けた。


「昔は、この辺りの資料はごちゃごちゃだったらしいのです。それを整理して今の状態にしたのは、テイラー牧師です」

「そうなんですか? ……すごいですね」


 書庫に伸びるたくさんの本棚。その一つ一つの資料に書かれた文字を想像すれば、それらはこちらに向かって襲い掛かるようだ。


「カミーユさん、テイラー牧師は若くして亡くなっていますよね?それなのに、こんなことが出来るなんて」

「……ええ、そうですね。確か、十一歳ぐらいの頃になさったそうですよ。資料の種類に番号を振ったり、使う順番に並べたり……。誰が使っても見やすいように、何も決まりがない状態からすべてお考えになったそうです」

「すごい人ですね」

「はい。おっしゃる通りです。少なくとも、司教様には出来ないお仕事ですから」


 随分親しみのこもった声色で、カミーユは柔らかい笑みを浮かべた。頬に出来た傷も一緒になって笑っているように見える。



 書庫の向こう側を指さして、そのままカミーユは続けた。


「あちら以降の棚は全部、出生名簿です。クアドラートの住民全員分が、百年ほど溜まっています」

「すごい。出生名簿って初めて見ました」

「そうでしょうね。今まで、他の地区のかたからの閲覧申請は無いと聞いています」

「そうなんですか?」

「はい。ご覧になる必要もないでしょう」

「と、おっしゃると?」

「クアドラートの住民であれば、教会に出生記録があるのは当然ですから」


 ずらりと並んだ出生名簿の一つを手に取り、ぱらぱらとページをめくる。

 たくさんの住民の名前。

 これが、クアドラートに実在する一人一人のことだと思うと、文字は妙に立体的に見えてくる。


「エミリアさん、何年生まれですか?」

「820年の11月です」


 すると、カミーユがわずかに片方の眉を上げた。そうして、眼鏡に一度触れると、本棚の前で視線を滑らせながら続けた。


「それは驚きました」

「なんでですか?」

「僕も同じなのです」

「ええっ!」


 私の驚いた声にカミーユは満足そうにうなづくと、本棚から一冊の出生名簿を拾い上げた。

 ぱらぱらとめくると、とあるページを私に見せる。骨ばった細い指先は、『男性』と書かれたページを指さしていた。


「こちらが、11月生まれの赤ん坊です。僕の名前は、ここに」


『カミーユ/鐘/男性(産んだ誰か/扉)※視力にやや難あり、水パイプによる薬の処方を実施。頬に傷があるものの、特段問題なし』


 私がその名前を覗き込んでうなづくと、カミーユの表情がまた明るくなった。

 視線が数ページをなぞり読みすると、「ありましたね」と顔を上げてカミーユはこちらに名簿を寄せた。

 開かれたのは、『女性』のページだ。


『エミリア=テューア・ヴェーバー/扉/女性(産んだ誰か/山)』


 それは確かに私のことなのに、なんだか他人事のように思えた。私に付けられた名前、瞳に浮かぶ紋。そして。


「産んだ誰かのことも、教会では記録してるんですね」

「はい。赤ん坊の識別のためですね。同じ月に、同じ紋を持つ赤ん坊が生まれることもあるので、そういう時は、産んだ誰かの紋で識別するのです。赤ん坊が入れ替わらないようにするには、それが一番手っ取り早いので」

「……そっか。私を産んだ誰かが、クアドラートのどこかにいるんですよね」

「不思議ですよね。僕も、名簿を見るまではそんなこと考えずに生きてきました」

「牧師様でもそうなんですか?」

「ええ。牧師もクアドラートの住民ですから」


 近くに書かれた、私とカミーユの名前を見比べる。

 壱地区のファミリアに生まれた私の名前は長いので、11月生まれの中でも随分と目立つ。

 一方のカミーユは、零地区らしく短い名前だからあまり目立たない。

 ただ、瞳の紋が鐘であることと、視力や頬の傷に関する記載があるおかげで、それが私の隣にいるカミーユのことだと理解が出来る。


「カミーユさんも同じ時期に生まれていたのは、びっくりです」

「そうですね。僕も驚きました」


 カミーユの笑顔は、暗い書庫に灯るランプのように柔らかい。


 実のところ、彼の笑顔には多くの種類があるようだ。彼の真面目一辺倒ではない部分に触れた気がして、私は嬉々として一緒になって笑った。

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