第38話:吉川茂紀部長の死

2011年の東日本大震災を経験してから義理の父の吉川茂紀さんが、生きる

気力をなくした様になった。4月に病院で調べともらうとアルツハイマー型痴呆

がひどくなっているようだと言われた。5月の連休を過ぎると食事も取らなく

なり痩せてきてKU病院に入院する事になった。脳梗塞の症状も強くなり

6月30日に、あっけなく亡くなってしまった。内輪だけの家族葬で父、

吉川茂紀さんの葬儀を終えた。


 奥さんの君恵さんは、あまりに突然の死に混乱して現実を受け入れないようで

、悲嘆に暮れる日々が続いた。それが2週間も続いたので、気にり、KU病院

を受診すると、彼女も痴呆の症状が出ていると言われた。夏が過ぎて、毎日、

庭を眺めては、寂しそうな顔をしていた。そこで、娘のが、この家は嫌いに

なったのと聞くと、茂紀さんの思い出が多すぎて、嫌だと言い始めた。


 そこで、老人介護施設に入りますかというと、入所しても構わないから、

ここから出たいと言った。そこで、どういう所が良いかと聞くと、花があって

、暖かい温泉がある施設が良いと話しくれた。そこで、その晩、史郎が帰って

きたときに、その話をすると、家から、それ程離れてなくて、温暖で、温泉が

ある所というと、房総半島の温泉か、箱根、熱海、山梨・・、車ですぐに

行けるところと言うと、熱海か、房総半島の温泉のどちらかが良いと言う

事になった。


 熱海は、行楽地で車の渋滞が激しく、アクアラインを使って房総半島の方

が良いかも知れないと言うことになった。この話をすると、房総は、冬でも

、一番先に花が咲くきれいなところねと言い、母が、承諾してくれた。


 外房の鴨川の老人施設に入所することになり、手続きを取り、2011年

10月に、史郎と奥さんとお母さんの3人で出かけた。その老人施設から

亀田病院まで、近く、何かあった時でも安心できそうなので、史郎も奥さんも

、お母さんも納得した。そうして毎年、史郎家族が、お母さんの所を訪ねた。

その後、年に2回・1月、10月に早苗さんと2人で、南房総・鴨川の早苗さん

の母が入所する老人ホームを訪問して、いろんな話をするようになった。

 そして、2013年4月、伊藤史郎も60歳になりKS建設を定年退職した。


 2013年6月にドル円が77.5円なり、4億円で514万ドルを買った。

 その2年後2015年6月にドル円が125円を越え125円で514万ドル

を売って5.4億円を手に入れ、残金が14億円となった。


 入所して6年目の冬、早苗さんの母が2018年12月20日に風邪を

こじらせ、肺炎を併発して帰らぬ人となった。その後、伊藤家の家族4人と

親戚8人の12人で早苗さんのお母さん幸恵さんの葬儀をして、お別れをした。

 2011年に徳子が上智大学の英米文学科を卒業し、地元横浜のWOWOW

に入社し、洋画の日本語訳の仕事を始めた。

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