第32話:パソコンの教育担当へ3

 2006年4月、終えるとすぐ、山下専務が来て、今日授業を終えたら、

専務室に来て欲しいと言われたので了解した。10分休憩で10時40分から

、次のクラスを同じ様に講義した。午後4時過ぎに山下専務に電話をすると

来客中と秘書から言われ、空いた時に、電話していただくように、お知らせ

しておきますと言われた。5時過ぎに、専務から電話が入り、今晩、一緒に

夕食をとりながら、話をしたいのだが、6時半に会社の玄関に車を待たせて

おくと言われ、了解した。約束の時間に、玄関に行くと、専務の車があり、

後部座席に乗り込んだ。すると、すぐ、専務が、伊藤君、芸は身を助けると

言うが、君のパソコンの知識は、本物だと言ってくれた。


 一体どういう訳なのだと聞くので、史郎は、日本にパソコンが最初に・

1976年に発売されたTK80・ワンボード・コンピュータと言うNECの

マイコンキットを買った友人がいて、それを見て、マイコンに、俄然、興味を

持ったのです。1979年9月末の頃、マイコンは、秋葉原で20万円で無理

した買ったのです。その当時は、ゲームマシンとして、BASICでソフトを

作ったりして、遊んでましたと、話し、それ以来、3~5年、周期で新しい

製品に買い換えてますと言った。


 東京駅近く大きな中華料理やに着き、個室に案内された。山下専務が寒い時は

、紹興酒を熱燗して、飲むのが大好きだと、史郎にも注いでくれた。つまみは

、チャーシューとメンマが合うのだと言い、美味しくいただいた。

 実はね、パソコンを駆使して使えれば、非常に便利なことはわかっているのだが

、我が社の40代以上の管理職連中が、パソコンを苦手とする者が多く困って

いたんだ。なにせ、従業員数が多く、どうしたものかと総務部、人事部で苦慮

していたんだ、そこに、君が昔からパソコンをやっていたと言う事を思い出して

、応援を頼もうと思いついたんだと明かしてくれた。


 これから毎日50人から80人くらいになるが、是非、早くパソコンを使え

こなせる様に鍛え上げてくれと言われた。これが、うまく行った時には、今度は

、部長にする様に働きかけてあげるからと言ってくれた。もちろん、手当も十分

、出すつもりだと言ってくれた。料理を食べながら、思い返せば、

東京アクアライン建設の協議会で会った時の事を思い出すと言い、あの時、

君を見た時の印象は、若いのに、言いたいこと言う生意気な奴だと言うのが

正直な気持ちだった。


 しかし、自分の意見に自信を持って、力説する姿を見て、こいつ、もしかして

、すごい奴なんじゃないかと思い始めたというのだ。その直感が、ずばり当たり

、我が社に引き抜いてからは、君の幅広い、能力で、専門的な仕事をやって

もらった。今回の事も、大いに期待していると肩をたたいてくれた。


 外国営業部でも活躍したが無理できない身体だという事がわかり、専門職で

、残業、出張なし、残業なしで良いから君の持ってる専門的知識を我が社で

大いに発揮してくれと言われた。一生懸命、期待にそえる様に、頑張りますと

言い、失礼した。その翌日から、大勢の人を相手に、講義をしたが、特に、

大変と言うこともなく、淡々と仕事をこなしていった。もしかしたら、私、

自身、人に教える方が、むいてるのかも知れないと思う程だった。パソコン

使ってる人は、1週間で、要領の良い人は、2週間で卒業していったが、

年言った人ほど、最初に理屈で理解しないとなかなか、前に進めず、4週間

ら6週間の人も一部見られた。

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