第26話:LIMさんからの支援1
2001年の成功後、2002年は、ベトナム、マレーシアと回り、以前、
世話になったシンガポールのリムさんに会いに言った。面会していると、
2006年から、地下鉄工事が5件計画されているので、2年前くらいから、
行動を取った方が良いよと、耳打ちしてくれた。2002年の10月、会社に
戻り、海外営業部で史郎の聞いた、地下鉄工事の事を調査し始めた。
そしてシンガポールに駐在してる宗田義男さんにも、この情報を知らせた。
こうして、2002年が終わり、2003年があけた。新年の挨拶に山下専務
に面会したところ、シンガポールで手柄を上げたようだねと言い、おめでとう
と言ってくれた。現在は、東南アジア中心だが、2005年以降は、中東の
産油国のインフラ整備が本格的に、動きだす。彼らの方がお金を持っているから
、仕事の規模もでかい。数年後は、中東が、ゼネコンの主戦場になるだろうと
話してくれた。海外営業は、出張も長く、厳しい環境だ、くれぐれも体調管理
に気をつけて、良い仕事をしてくれと言った。史郎が、ご期待に添えるように
頑張りますと言い、失礼した。
2003年の4月に、シンガポールのリムさんの所へ、韓国の連中が押し
かけるようになったとの情報が入った。6月に、欧州、フランス、スペインも
訪問し始めたと知らせがきた。我が社も7月に霧島部長と伊藤史郎、他3名が
、手土産持参で、リムさんの所を訪問した。リムさんが、どうしたと聞いた。
そこで、他のゼネゴンが動き出してきたので、何か、大きな工事があると
見たのですがと言うと、笑いながら、そんな話が、議会で出たという段階だよと
、まだ、先の話だと言った。
史郎が、リムさん、その後、お元気でしたかと、巧みに、話し込んで言った。
すると、娘が結婚するんだと聞き出し、できたら、結婚祝いに立派な日本人形
でも欲しいと思っているんだと言った。結婚式は、いつですかというと、
2004年3月だと教えてくれた。史郎が、早速、日本に帰って、日本人形
作りの名人を探して、素晴らしい、日本人形を作らせますよと言った。本当か?
、名人の日本人形か、それは良いなと、笑った。
地下鉄工事の情報をいただけないでしょうかと言うと、まだ、機密情報で、
もらすわけにはいかないと言った。そう言って、立ち上がって、応接室の奥の
本棚の方へ、歩いて行った。そして、目配せで、ある場所をみた。そこには、
何か、コピーのようなものが数枚、表を向けておいてあった。何かの図面の
ような物だった。史郎は、さっと、カメラを取り出して、失礼しますと言い
、すぐに、その資料を写真に収めた。
2003年、史郎の長女の徳子は、近くの進学塾に通って猛勉強の末に
フェリス女学院高校を目指して勉強し合格した。
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