第21話:久しぶりの実の母との面会

 やがて、10月になり、涼しくなって、気がつけば12月、徳子ちゃん誕生の年

もクリスマスパーティーで華やかで、長男の誠一は小学生2年で、可愛い徳子を

大事に可愛がってくれた。また、1988年がやってきた。初詣では、徳子の

無事出産のお礼と、健やかな成長を祈願した。この年、本当に久しぶりに、

伊藤史郎の母が、第2子出産の連絡を、山本康男さんから聞いて、


 久しぶりにある実の母1月来ると連絡が入った。1月10日に横浜駅で待ち

合わせた。母は、年を取り、やつれたが、すぐに本人とわかり、抱き付いた。

 母が、ごめんね、松本の伊藤家の祖父母が寝たきりになって、その面倒をみる

ので、来られなかったとわびた。すぐに、私の住んでる家へ案内した。

 大きなリビングで、早苗さん、吉川夫妻、を紹介し、孫の誠一と生まれた

ばかりの伊藤徳子を紹介した。史郎の母は、特に孫を見て、可愛い子達だねと

、涙を流して喜んくれた。


 前日、大きな荷物が届いて、中には、信州そばと、安曇野のサンふじリンゴ

がたくさん、入っていた。早速、リンゴをむいたものを見ると、中に密が

たっぷりで、本当に甘くて、みずみずしくてうまい。その後、早苗さんの

お母さんが、お得意の中華料理を作って、夕飯に出してくれた。史郎の母は

、回鍋肉、青椒肉絲をみて、驚いたようだったが、箸をつけて食べてもらうと

、美味しいと喜んでくれた。


 その晩は、和室に泊まってもらった。横浜は、松本に比べ、暖かいですねと

しみじみ言った。こんな、立派な家に、住まわせていただいて、本当に

ありがとうございますと、史郎の母が、お礼を言った。すると、早苗さんの

お父さんが、私は、以前、彼の上司だったんですが、素晴らしい青年に育て

ましたねと言うと、感極まった様でまた泣いた。


 226事件の話は、お聞きになったと思いますが、史郎の祖父母、私の

両親が殺されて、その後の太平洋戦争、東京の空襲での信州、松本への疎開

、苦労ばかりの時代でしたと、昔を思い出したようで、ハンカチでぬぐっても

ぬぐっても、あふれ来る涙が止まらなかった。それを見ていた、みんなも

もらい泣きをするほどだった。


 少しして、お風呂に入ってもらい、早めに布団を敷き、寝ていただいた。

翌日は、久々に、実のお母さんと、お食事でも楽しんでくればと言われ、

タクシーに乗り、山下公園を案内して、ホテルニューグランドの海の見える

レストランで、洋食をゆっくりと食べながら、母の近況の話を聞いた。

 松本の伊藤家は、戦後の農地解放で、田んぼ、畑は、近くの小作農家に

分け与えて、大きな養蚕工場、製紙工場は、地元の味噌会社やスーパー

マーケットに土地を貸したり、一部は売ってしまい、本家とその周辺の

3件の分家の回りの土地くらいしか残っていないといった。


 そして、祖父母が90代で、寝込んで、10年近く、身の回りの世話に

負われて、史郎の所へ来れなかったと言い、山本和夫さんや、康男さんに

、あなたの近況を聞いていたと話してくれた。史郎が、お金が必要なら

言ってくれと言うと、金に不自由はしてないが、やはり、育った、東京が

忘れられなくて、嫁いでからも、しばらく、枕を濡らす日々が続いたと

言った。


 だた、史郎だけが、私の救いだった。あなたを産んだときは、ひどい難産で

、一時は、助からないかも知れないと医者から言われたんだが、史郎のために

、絶対死ねないと思ったら、神様が助けてくれたんだとしみじみ言うと、

史郎の目にも大粒の涙が浮かび、やがて流れ出した。そんな、思い出話を

しながら、食事を終え、珈琲か紅茶どっちが言いと聞くと、母が、久しぶりに

、うまい紅茶が飲みたいねと言い、飲むことにした。出てきた紅茶を飲むと

、さすが、一流店だね。こんなうまい紅茶、久しぶりだよと、

大喜びしてくれた。


 その後、これは、孫の出産祝いだと、のし袋をくれた。すると、史郎が、

その封を開けると、現金を母に渡し、気持ちだけで良いよ。だって、財産

全部くれたのだからというと、また泣きだした。本当に良い子に成長したねと

、しみじみと泣いた。本当にうれしいよと、ぽつりとつぶやいた。昼食を

終えて山下公園を散歩すると、本当に綺麗な所だねと言い、史郎が、向こう

に見えるのが、横浜港ですと教えた。ここから、昔は船が手で、アメリカ、

ヨーロッパに行ったんだねと言った。


 もう十分楽しんだから、帰ると言ったので、お母さんの荷物を持って、

東神奈川から一緒に電車に乗って、八王子まで行き、中央線の特急切符を

買ってあげ、実の母を見送った。母は、史郎の姿が見えなくなるまで、窓から

手を振ってくれ、それを見ていた史郎の目には、涙がたまり、やがて流れ落ち

、ハンカチで拭けども拭けども、涙が、止めどもなく流れてくるのだった。


 少し落ち着いて、八王子から横浜の家に帰った。家に戻ると、お母様は、

お帰りになったのと言われてので、ええ、と答えた。もう少しゆっくりして

いかれれば良かったのにと、早苗さんのお母さんが言った。本当に優しい、

良い、お母さんですねと言ってくれた。そして、孫の出産祝いと早苗さんに

、10万円の入った祝儀袋を渡した。お返しを返さないとと言うので、

また時間があるときに、私が中華街でシュウマイと中華菓子、まんじゅう

のセットを探して送りますよと言った。

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