第19話:アクアラインの協議会に参加

 アクアラインの協議会に参加君は、このプロジェクトの協議会にも積極席に

参加して意見を述べていて会議をリードしていた。その姿に惚れ込んで我が社に

引き抜いたんだよと話してくれ、史郎は話のわかる山下専務に感謝しありがとう

ございますとお礼を述べた。その時、君の実力の高さは吉川部長の言っていった

とおり素晴らしい、今後の活躍を期待してるよと、肩をポンとたたいてくれた。

 SM建設に入ってもアクアラインの協議会に参加して欲しいと言われて、出席

する様になり1981年11月には日本道路公団が「東京湾横断道路の調査概要」

をまとめ翌年の1982年8月に第9次道路整備5カ年計画案において「調査を

完了し、建設に着手する」と明記されたが、なかなか工事着工されなかった。


 その後も史郎はSM建設で教育研修課長として一級建築施工管理技士に養成の

ための教育を担当していた。やがて1982年が開け合格者を増やす様に教育研

修課に50代のベテラン1級建築士3人が配属されて、教育の仕方を1ヶ月教え、

4人で分担していく様になり毎日定時に帰り、3歳になった伊藤誠一に絵本を読

んであげたりしていて、この1年、ゆっくりとした生活を送ることができて病気

の療養に専念しているうちに1982年も12月になり、1983年を迎えた。


 1983年になり教育研修課の仕事も4人で分担することになり、報告書など

事務仕事が増えてきたが、その後も毎月の様に東京湾横断道路のゼネゴンの協議

会に参加して各会社の情報交換と、どの仕事をどの会社が担当するとか分担も決

めるようになった。仕事は定時に帰り3歳になった息子の誠一に、地理、英語、

数学で覚えることを始め、家に帰ると毎日の様に息子の誠一に勉強を熱心に教え、

あっという間に1984年を迎えた。


 久しぶりに東京の山本和夫さんのお宅に新年の挨拶に行くと和夫さんの経営コ

ンサルタントの仕事も増えて忙しく飛び回っていると話してくれた。ところで、

息子の康男から聞かされて言るが、株の投資で順調に稼いでるようだねと史郎の

肩をたたいた。少しして康男さんが来て新年の挨拶後、別の部屋で株の話をした。


 1984年の仕事始めの日、山下専務に新年の挨拶に伺い、君が教育研修課で

研修始めて1級建築士の合格率が上がったようで助かったと言い昨年から3人の

教育担当を増やしたので、今年も1人でも多く、合格者を出してくれと言われ、

頑張りますと答えた。この年も教育研修の仕事で身体は楽だが仕事の充実感が

なく満足仕切れない気持ちが芽生え始めた。


 今年の夏休みは家族5人で北海道旅行へ行きレンタカーを借りて7日間、札幌、

旭川、北上して稚内、東海岸を南下して、網走、知床、釧路、帯広と回り、温泉

に入り十分楽しめた。奥さんの早苗さんも今年から息子の誠一を保育園に出して、

英語の塾を再開したいと言ってきたので、定時に帰れるので、手伝えることは協

力すると言った。9月から試し保育を始め、お迎えを、お父さんとお母さんに

お願いし誠一が保育園に行き始めた。12月になり今年は沖縄旅行を計画し5人

で3泊4日で出かけ、沖縄は暖かく過ごしやすくレンタカーで一番北の岬まで

行き、景色のきれいな名所巡りを楽しんで、那覇のステーキハウスや国際通りで

買い物をして帰ってきた。費用は全て史郎が持った。やがて年末を迎え1985

年を迎えた。今年も例年通り教育研修と関連書類作成と授業をして定時に帰る

生活が続いた。息子の誠一のお勉強も手伝い、英語も覚え始め、九九算も暗記

し、歴史の年号、日本と世界の地理、国の名前と国旗、首都の名前を教えた。

 縦笛や、エレクトーンも買い与え、練習させた。誠一も史郎に似て、

耳が良く、音感も優れているようだ。

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