第15話:重症メニエールで倒れ、退職
夏休みも疲れを取る事に専念したかったが、赤ちゃんの世話で忙しかった。
その後も人手不足で出張し仕事をミスなく、継続するだけで精一杯だった。
そんな年も押せ迫った12月20日、伊藤史郎は、体調を崩して倒れた。
ひどいめまい発作で、大学の内科を受診すると重度のメニエール病、自律
神経失調症といわれ、ステロイドの大量療法をするため2週間休みを取った。
年が明けて1980年1月6日になり、めまいは収まったが左耳の聞こえが
極端に落ちて、耳鼻科の先生を受診すると耳の聞こえは回復しないと告げられ重度
のメニエール病、自律神経失調症だから出張は禁止と言われ、1月中は休職して、
首から上を冷やさない様にして安静にし様子を見ようと言われ長期休暇をとった。
2月20日吉川部長が設計部の不公正人事を調査してみると以前、設計3部と
もめたことがあったが、その時、激怒した唐沢部長が取り入ってる山下専務に
言って決まった人事だそうだ。君も僕もTK建設では厄介者になっているんだと
教えてくれた。だから君の将来を考えたら転職した方が良いと思うと言った。
吉川部長が僕は、もう少しで60歳定年だ。君も将来を考えたら転職した方が
良いと思うと言い、東京湾の橋の協議会でも史郎君の働きは評判で実は幹事の
SM建設の山下専務が史郎君の様な優秀な人が欲しいと飲んだ席で言っていた
と教えてくれ、TK工務店は大型ゼネコンの中では最下位でSM建設の方が
格上で海外でも特にトンネル工事の技術水準は今や世界一だと言った。
そこの専務が君を欲しいと言っているんだ、もし良かったら話してやるよ
と言った。そこで史郎は意を決して、わかりました。転職の件、
宜しくお願いしますと言った。
翌月の協議会の後、吉川部長がSM建設の山下専務に転職の件をお願いした。
TK建設での年収も知らせると2割増しで引き受けると言ってくれたそうだ。
その話を吉川部長が家に帰って史郎に話してくれ、史郎が今後、どんな風にふ
るまえば良いのか聞いてきたので、今まで通りにやっていれば良いと言った。
手はずは、全部、吉川部長がやるからと言い翌々月の7月が吉川部長の定年
であり、その日付でSM建設への史郎の転職とい言う手はずで行く事になった。
6月に辞表を書いて私に提出しなさいと吉川部長に言われ梅雨が過ぎて
1980年7月7日、吉川部長が退職した。その日、史郎は会社を休んだ。
吉川部長が人事部の池山部長に部下の伊藤史郎の退職願を先月もらい説得
したが彼の決心が堅く阻止できなかったと話すと池山部長は困った
顔をしていた。
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