第14話:海外研修旅行と長男誕生

 1978年9月4日から18日迄で、まずサンフランシスコにつき会社見学し、

宿泊しシカゴ、ニューヨークに行き4泊してまわる。その後、ロンドン、リスボ

ン、マドリード、バルセロナ、パリ、ベルリン、ジュネーブ、ローマを8泊して

回り、12泊14日の計画だ。9月4日に伊藤史郎と黄川田紘一がT建設の2週間

の研修旅行に出かけた。内容はほとんど現地の日系ゼネコンの現場視察と担当

者達との会見。一部、名所巡りだった。米国は全て飛行機で巡り、欧州では高速

鉄道を利用したりして、まわった。研修と言うよりも、卓越した仕事への

ご褒美旅行と言った感が強かった。


 かなりのハードな旅行で帰る頃には痩せる人も脂っこい食事で太って帰る人に

別れるようだ。帰ってきた週は、日曜日まで休み。伊藤史郎は、ちょっと太り気

味で帰ってきた。いくつか、お土産を買ってきた。9月は体調回復のため会社で、

事務仕事を片付けた。その年の10月、早苗さんが急に気持ちが悪いと戻したの

で、ひょっとしてと思い、お母さんの淑子さんが婦人科に連れて行くと妊娠した

ことがわかった。すぐに、会社にいた、吉川部長に電話を入れた。


 その週、出張から帰ってくると部屋に呼ばれて、この話を聞いた史郎は喜んで

、良かったと言い、結婚式は出産して早苗さんが、ある程度、落ち着いた時の方

が良いでしょうねと、吉川部長に聞くと、その方が安心だと言ったので、結婚式

に日取りと場所は、後日、決めることにしますと言い、入籍は、早苗さん聞いて

決めますと答えた。その週の金曜日の晩に、早苗さんにあり、おめでとうと言う

と、早苗さんは、涙を浮かべて抱き付いてきた。入籍はいつか良いと、

早苗さんに聞くと、大きな声でできるだけ早く、だって、幸せを逃がしたく

ないものと大声で言った。じゃー明日行こうというと、そうしましょうと

決まり、約束通り、翌土曜日に、役所に届けを出してきた。

10月になり毎週金曜日に吉川家に帰ってくるようになった。


 山本和夫さんの息子さんのN証券の山本康男さんと相談して1978年11月

6日に50kgの金をスイス銀行で日本円に替えてもらう様に連絡してもらった。

 2日後の連絡で手数料抜きで2.45億円になったと連絡があったと知らせて

くれた、その後、日本の伊藤史郎との銀行名と口座名を知らせて2.45億円を

振り込んでもらう様に手配しスイスの口座を閉鎖するようにお願いした。


 そんなある日、吉川部長が今、住んでる所から、こっちへ引っ越したらと言わ

れて12月から吉川家の離れで早苗さんと同居することにした。1978年は、

史郎の赤ちゃん誕生という、おめでたい出来事でくれ1979年を迎えた。

もちろん、初詣では早苗さんの安産を祈願した。1月~3月までは今まで通り

、仕事を続ける史郎だったが、4月、設計2部と3部に新人8人ずつが配属された

が設計1部には4人の配属と半分だった。加えて中堅の雨宮宗一が家庭の都合で

退社していった。そのため、史郎の出張スケジュールが大幅に増えて毎週の様に

3泊4日の出張の日が続いた。やがて、その無理な仕事が、だんだんと史郎の

身体をむしばんでいるとはつゆ知らず、激務を続けていた。


 1979年5月の連休も自宅でゴロゴロして午後から買い物に出かける生活だ

った。7月になり赤ちゃんがいつ生まれても、おかしくない時期となり出産予定

日7月20日も生まれず、困っていた1979年7月21日に急に産気づいて、

夜8時に2900gの元気な男の子が誕生した。名前を、誠実さが一位番大切と

いう意味を込めて、誠一と名付けた。

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