第2話:史郎へのスパルタ教育

 1954年の4月に山本和夫さんから電話で話があるので松本に行くので会っ

て欲しいと言われた。用件と言うのは戦前、伊藤家の財産をスイス預けた資産を

日本に戻したいと言うのだ。まずスイスに預けた資産について内訳は28万米ド

ルと50kgの金塊だと教えてくれ、その当時、海外に資産を持ち出すことは出

来なかったが日本に置いておくのが危険だと判断して山本和夫さんが三菱商事、

時代に欧州・スイスとのパイプがあったので秘密裏に多額の金を送金したと教え

てくれた。


 その他、事件のあった屋敷と骨董品、美術品、乗用車などを売った金の残金

6千万円を、和子さん口座に送金すると言い、山本和夫は初めて会う和子の

1歳の史郎を見て226事件でなくなった祖父の伊藤博重さんに似ていると話

した。それで用件は全て終わりと言い山本和夫さんは東京へ帰っていった。


 数日後、和子は山本和夫さんに自分の三菱銀行の口座情報を知らせ6千万円は

1954年6月に和子の口座に送金された。伊藤和子は、伊藤家のしきたり通り、

伊藤史郎が話せる様になり、もの心ついてきた3歳頃から毎晩、絵本を読み聞か

せ、昼間は信州大学の学生に外国語・英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語

を習わせ、音楽、美術も教え、数学、地理、歴史など暗記物は徹底的に暗唱させ

て強制的に身につけさせた。国旗や地図、九九算をみせ覚えさせたが覚えの早い

のに驚いた。


 四歳になりアルファベットや簡単な英会話の絵本をみせると、英語に興味を

もって英語を音で覚えたので英語を話した後に同じ事を必ず日本語でくり返し、

耳が良い事がわかりドレミの音階、その後、日本地図、世界地図に興味を

示したので、地球儀を買い与えた。五歳で多くの事を覚えた。次に2桁の簡単

な、かけ算の暗算を教えた。外国語、地図と音程と暗算に特に秀でていた。

 そこで簡単に日本語と同じ英語とフランス語、ドイツ語、スペイン語の文を

書いたものを家の家庭教師の書生さん話してもらい覚えさせた。


 あまりの厳しさに泣きべそをかくと容赦なく尻をひっぱたくスパルタ教育、6

歳の頃には簡単な日常会話文を英語とフランス語、ドイツ語、スペイン語で言え

る様になったのには父も驚いた。食欲旺盛で好き嫌いはなく中でも特に肉類は好

きで、身体の大きくなるのも早く、負けず嫌いな子供で身体が大きい割に足も速

かった。その猛勉強の甲斐あって信州大学付属小学校、中学校、松本深志高校と

エリート街道を歩んだ。やがて18歳を迎えた年1971年、母が東京大学を受

験させる事にして専攻する学問だけは史郎に任せると言うと彼は松本城を見て育

ち建築設計をしたいと小さい頃から思っていたと言い迷わず東京大学部建築学科

を受験して合格し昔から世話になっていた山下和夫さんの家に下宿して、

大学に通うようになった。

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