伊藤侯爵の忘れ形見
ハリマオ65
第1話:226事件と伊藤史郎の誕生
主人公伊藤史郎はコメディアンではなくて千円札に描かれた明治の偉人伊藤
○○、旧華族でも最高位の公爵を持つ由緒正しき名家の出である。東京に大きな
屋敷を持ち日本の戦後でも不自由のない生活を送っていて所有する土地は日比谷
から新宿までと広大なものだった。父・伊藤広重は貴族院議員に当選した侯爵で
大きな邸宅に住んでいた。1936年2月26日、早朝、この邸宅の玄関の戸を
激しくたたく音が響いた。伊藤侯爵の奥さんの伊藤絹恵が戸を開けると伊藤広重
候は、どこだと兵隊達が聞くと存じませんと答え、あなた達は一体何者なんです
かと怒鳴ると一人の兵士は何を貴様と言って銃を撃ってしまった。上官らしき
男が待てと言ったが時、既に遅く銃弾が伊藤絹恵の眉間に命中し即死した。
上官らしき男が銃を撃った兵隊に貴様、何をしているというと反抗したから
撃ちましたと答えた。その後すぐに伊藤広重候を探し出せと命令して1人ずつ銃
を構えながら別れて家中を探し回り、十数分後、書斎に隠れていた伊藤広重候
は見つかり、数発の銃弾を浴びて瀕死の重傷をおい、その後、治療の甲斐なく
亡き人となった。
家の書庫に逃げ込んで中から鍵をかけて潜んでいた長女の伊藤和子・5歳と
弟の伊藤一郎・3歳は見つからず無傷で助かり、その知らせを聞いた伊藤家の
金庫番を仰せつかっていた山下和夫が車で慌てて駆けつけ、子供達に母親の死体
を見せないようにして山下の家に避難した。山下和夫は三菱商事の役員のだった。
伊藤博重候の広大な土地を当時の財閥の富豪に売却し売り払った金の一部は山
本和夫が預かり残された伊藤和子・5歳と弟の伊藤一郎・3歳の生活費とし
て渡し管理していた。その後、伊藤家の住んでいた家・屋敷、車、宝飾品、全て
売り払った。この時点で日本の勝利はないと考えた山下和夫は残った伊藤家の財
産を永世中立国のスイスの銀行に全て秘密裏に三菱商事のコネクションを利用
して預けた。
その事件後、残された伊藤和子・5歳と弟の伊藤一郎・3歳が山下家のお手伝
いさんに大事に育てられ、東京の空襲がひどくなった時に山下家の松本の実家に
疎開して学校に通い、1945年8月15日伊藤和子・15歳と弟の伊藤一郎・
12歳は食料が乏しい東京に戻らずに松本の農村で何とか食いつないで育った。
和子の弟、伊藤一郎は、その後、東京の学校へ入学して勉学に励んでいたが
当時流行していた肺結核にかかり病院に入院して入退院をくり返していたが、
1950年の冬に帰らぬ人となった。
その翌年1951年10月に長女、伊藤和子・21歳は松本の大地主、伊藤家
の長男、伊藤貞夫・26歳と結婚した。伊藤貞夫の実家は、昔からの大きな織物
工場を数ヶ所もつ大富豪で、結婚して2年後の1953年3月12日、伊藤和子
は、長男、伊藤史郎を難産の末、産み落とした。この難産によって、その後、
子供を産めない身体になり伊藤史郎は一人っ子となった。
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