第20話:エミリアの葬儀とクルーズ船でアメリカへ
彼女は亡きマリアの片腕として裁縫を手伝い、ある時はレフを手伝い、いつも誰かを助けていた人生だった。思い返せば1992年にウラジオストクからヤルタに移動する時、密かに思い続けたな男性がいたが彼と一緒に残るか別れてファミリーに着いていくか悩んでいた。
最後に、ファミリーを選んでヤルタに移動した。その後、ポルトガルに着きマリアの片腕として働いてくれた。彼女はいつの時でもマリヤ、ファミリーのために生きてきた。何とけなげ人生だったのだろう。レフは自分が、いかに回りに助けられて生きて来たかを思い知らされるのだった。
そして生前エミリアが一番好きだったマリアに縫ってもらった綺麗な刺繍の入ったブラウスとカーディガンを亡くなったエミリヤに着せて、お別れする事にした。数日の葬儀で、レフがエミリアよ、本当にご苦労さんと言うと、ファミリー、参列者からすすり泣く声が聞こえた。
エミリアの何とも、けなげで、まるで笑っている様な死に顔を見ると、皆、むせび泣くばかりだった。その時、レフはマリアやエミリアの分まで人生を楽しんで生きていこうと決心した。エミリアの死後、彼女の口座の残金30万ドルは、ファミリーのために使わせてもらう様にした。
2010年4月、エミリアのために予約していたアメリカへのクルーズに妻にアリサと出かけた。二週間でニューヨークについてアメリカ国内、ラスベガス、サンディエゴ、シアトル、ワシントンを2週間かけて回って来た。
亡きマリアとエミリアに見せるために写真を撮りまくった。アメリカ中を回り、その活気というかバイタリティーに魅せられた。ニューヨークで奥さんのアリサが、ブロードウェイ・ミュージカルを見たいと言った。
そこで、ホテルに二泊して、二つの評判の高いミュージカルの迫力と素晴らしさに魅了された。その後、飛行機でラスベガスへ行き、5泊して、シルクドソレイユのオー、有名ミュージカルを楽しんだ。最終日には、小型飛行機でグランドキャニオンへ行き、雄大な風景を見て、感動した。
そこから、飛行機でサンディゴに飛び、シーワールド「水族館」、サンディエゴ動物園を見て回った。サンディエゴから、列車でロサンゼルスへ行き、そこからシアトルに飛び、有名なスペース・ニードルの最上階からシアトルの町をや、マウントレーニアの景色がよく見えた。
その後、パイク・プレイス・マーケットでカニや、オイスターを食べた。2泊したが、シアトルの食事、珈琲は、他の米国の都市に比べて美味しい。特にパンが美味しかった。その後、ワシントンに立ち寄り、ニューヨークに戻り、宿泊した。
数日の後クルーズ船でニューヨークからリスボン行きのクルーズ船にのって2週間で着いた。1ヶ月の旅行で、いろんな事を学び、吸収してきた。帰った日の晩に、リスボンマキシムとソフィアの家により、お土産を渡しながらアメリカでの写真を見せた。
今回は、疲れていけなかったが、次回、オーランドのディズニーワールドやマイアミ、ヒューストン、サンアントニオ、アルパカーキ、サンタフェなどアメリカ南部を回りたいと考えた。翌年、2011年3月、ヨーロッパ出発して、リスボンに立ち寄り、マイアミ港に行く、クルーズ船を予約して出かける事にした。
リスボンを出発して、マイアミ港に到着して、ツアーバスでキーウエストへ、キーラーゴ島に入り、異様に長い島を、ひたすら南下、途中で休憩しながら2時間かけて、キーウエストへ。何か、信じられない光景に驚かされた。
島々を橋で渡して、ハイウェイを作るなんて、壮大なことをよく考えたと思うほどだった。ツアーから戻ると、疲れていたせいか、軽食をとり、すぐ寝てしまった。翌日もツアーでエバーグレース公園へ行った。そこには、熱帯のワニや、亀、蛇がおり、見ると気持ちが悪い。
その後は、エアーボートに乗って、湿地帯を猛スピードで走った、これは、爽快で楽しいものだった。翌日は、オーランドまで飛び、6泊して、ディズニーワールドとユニバーサルスタジオをまわった。どの遊園地も広大な敷地であった。
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